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菊池寛略年譜

更新日:2024年7月11日

西 暦  和 暦 年 齢 事項
 1888 明治21 0 12月26日、香川県香川郡高松七番丁(現高松市天神前)に父武脩、母カツの4男として生れる。
 1895 明治28 7 四番丁尋常小学校入学。(旧四番丁小学校)
 1903 明治36 15 県立高松中学校入学。(現県立高松高等学校)
 1908 明治41 20 推薦で東京高等師範学校に入学。翌年除籍。
 1910 明治43 22 第一高等学校文科に入学。
 1913 大正2 25 友人の窃盗事件に巻き込まれ卒業目前で退学。京都帝国大学英文学科に入学。
『万朝報』の懸賞に当選。将棋を習う。
 1914 大正3 26 第三次『新思潮』に参加。草田杜太郎の筆名で戯曲「玉村吉弥の死」等発表。
 1916 大正5 28 第四次『新思潮』創刊。戯曲「屋上の狂人」等発表。京大卒業。
時事新報社入社、社会部の記者となる。
 1917 大正6 29 同郷の奥村包子と結婚。戯曲「父帰る」等発表。
 1918 大正7 30 「無名作家の日記」「忠直卿行状記」等発表。文壇での地位を確立。
 1919 大正8 31 時事新報社を退き、大阪毎日新聞社の客員となる。
 1920 大正9 32 新聞小説「真珠夫人」で成功。
 1923 大正12 35 文藝春秋社を創設。雑誌『文藝春秋』創刊。
 1926

大正15
昭和元

38 文藝家協会を組織。報知新聞社の客員となる。
 1927 昭和2 39 誌上座談会を創出。芥川龍之介没。
 1935 昭和10 47 芥川龍之介賞、直木三十五賞を創設
 1938 昭和13 50 「日本文学振興会」を創立。初代理事長となる。
 1939 昭和14 51 菊池寛賞を設定。大日本著作権保護同盟会長。
 1948 昭和23 59 3月6日午後9時15分、狭心症で急逝。

もっと詳しく菊池寛の著作、行動、功績について調べたい方は、『菊池寛研究年譜』を御参照ください。

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電話:087-839-2660  ファクス:087-839-2659

(高松市埋蔵文化財センター)
 住所:〒760-0017 高松市番町一丁目5番1号
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(菊池寛記念館)
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<文化財課>
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