市長どっとコム(平成30年度)
更新日:2018年4月1日
ユニークな三つの灯台(12月1日号掲載分)
夜間の船の航行を導く灯台の光は、時にそれを眺める人にとって人生の道標(みちしるべ)のように見えることがあります。そんな未来を照らす灯台が高松市には大小17基もあります。うち、ご紹介する3基は極めて個性的で魅力的です。
まずは、「せとしるべ」の愛称で親しまれるサンポートの高松港玉藻防波堤灯台。ちょうど今年で設置20周年を迎えました。2016年には日本ロマンチスト協会から「恋する灯台」に認定されています。約1600個のガラスブロックでできた世界初のガラスの灯台で、夜間は胴体部分も含めた全体が赤い光を放ち、赤いこけしが優雅にすっくと立ち上がっているように見えます。その美しさから夜景鑑定士へのアンケートをもとに選出した「日本三大夜灯台」に「江の島灯台」に次ぐ2位で選出されているそうです。「灯台下(もと)暗し」ならぬ「灯台下(もと)赤し」という何ともロマンチックな灯台です。
二つ目は男木島灯台。設置から約123年の歴史を誇り、昭和32年に公開された映画「喜びも悲しみも幾歳月」の重要な舞台の一つとなりました。灯台本体は地元産庵治石を使用した総御影石造りで、日本では2基しかない地肌のままの無塗装の灯台です。映画では、息子の光太郎が不良とのケンカで刺殺されるという大きな悲しみの場所となりました。それを乗り越えた先には喜びが待っているという展開で、灯台が人生模様を照らす象徴として扱われています。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」ならぬ「禍福は点滅する灯明(あかり)の如し」というところでしょうか。
三つ目が女木港鬼ヶ島防波堤灯台です。桃太郎の鬼ヶ島伝説で有名な女木島の玄関口に「せとしるべ」と同時にデザイン灯台として設置されたものです。庵治石の台座の上で周囲を見張っている鬼の姿が石像でリアルに作られています。抱えている棒の先が灯器になっていて、遠見では灯台とはわかりません。鬼の顔は親切な青鬼君に似て柔和で、島を訪れる人を温かく歓迎してくれています。「鬼に金棒」ならぬ「鬼に灯台」で、強さではなく優しさに溢れています。
来年、4度目となる瀬戸内国際芸術祭がこの地で開催されます。瀬戸の海を照らし出すこれらの灯台が放つ光の先に、明るい地域の未来図が見えてくることを期待したいと思います。
「行基の湯」を再開します(11月1日号掲載分)
今も昔も高松の奥座敷である塩江。そこは、讃岐山脈の山あいの大自然に抱かれた香川県下最大の温泉郷です。古くは潮江と記されており、江は井(泉のこと)が転じたもので、塩気のある泉から塩江となったといわれています。現在は保養、湯治向けの閑静な温泉街ですが、戦前は塩江温泉鉄道(ガソリンカー)で高松市街(仏生山町)と結ばれていて、旅館内の演芸場で少女歌劇が催され、「讃岐の宝塚」と称されていたこともあるそうです。
塩江の温泉は約1300年前、行基という僧により発見され、その後、弘法大師が修業し湯治を万人に勧めたという言い伝えの残る名湯です。行基は、聖武天皇に招請されて奈良の大仏を実質的に建立したとも伝えられ、仏教界における最高位「大僧正」の位を日本で最初に贈られた名僧です。その行基と、郷土が生んだ大偉人、弘法大師に由来する由緒正しき温泉なのです。
そんな塩江温泉郷のシンボル的な日帰り温浴施設として、「行基の湯」は平成12年4月に誕生しました。しかしながら、経年によるいたみが激しく、全体調査の結果、大規模改修が必要であることが判明。平成29年2月に改修工事のために休館となっていました。
その「行基の湯」を11月11日(日曜日)に再開いたします。これまで地元関係者にご迷惑をかけ、また、多くの塩江温泉のファンの皆さまにご心配やご不便をおかけしたことをお詫び申し上げます。
高松市では、「行基の湯」の改修に合わせて、「塩江温泉郷観光活性化基本構想」をまとめました。「道の駅しおのえ」エリアの再整備をはじめ、老朽化により閉館となった奥の湯温泉があった上西地域の資源を生かした環境整備の取り組みを主要事業として位置づけています。過疎化と高齢化が進行する塩江地域ですが、高松空港に程近い利便性の高さから、近年、外国人宿泊客の増加が顕著です。また、民間事業者などが中心となって、建設技能者を育成する職人育成塾や現代サーカスの創作活動の拠点作りなど、全国初の取り組みとも言っていいユニークな活動が展開されています。
改修を終えた「行基の湯」の再開を機に、塩江を「オンリーワンの価値を持つ温泉郷」に磨き上げられるよう、各種施策を展開し、新しい魅力と価値を生み出してまいりたいと思います。
茜色(あかねいろ)の空(10月1日号掲載分)
清少納言が枕草子(まくらのそうし)で「秋は夕暮れ」と言っているように、秋は夕日、夕焼けがひときわ美しい季節です。そしてその空の色はよく「茜色」と形容されます。茜は植物の名前ですが、一般的にはその根で染めたわずかに黄みを帯びた沈んだ赤色を言うようです。
大学生の時、東京で「茜ロッジ」というアパートの一室に住んでいました。普通の2階建てのアパートで、なぜその名が付いていたかはわかりません。名前から連想されるような夕焼けの空をアパートから見ることもありませんでした。そもそも東京の都心で美しい茜色の空を眺めたいというのは、漫画「三丁目の夕日」の時代(昭和30年代)ならいざ知らず、無い物ねだりというものでしょう。高村光太郎の詩にも「智恵子は東京に空が無いといふ」との有名な一節があります。
ところでなぜ、夕焼けは茜色に染まるのでしょうか。それは、日中の空がなぜ青いのか、という原理と同じことのようです。太陽は沈むにつれて、私たちの真上から横に移動します。そうすると、太陽光の空気層を通る距離が長くなるため、波長の短い青い光は次第に届かなくなり、それまで細かい塵(ちり)の間をすり抜けてきた波長の長い赤い光が、塵にぶつかり散らばり始め、私たちにはその赤い光が満ちた空が目に映るのです。夕暮れ時には地平線や水平線近くから太陽光が横串をさすように長い空気の層を通って差し込むからきれいな茜色の夕焼けが見られるのです。
全国に数ある夕日スポットの中でも、屋島から見る西の空、瀬戸内海の島影に沈む夕日と静かに燃え立つような茜色の夕焼けの神秘的な美しさは比類なきものだと思います。もちろん「日本の夕陽百選」にも選ばれています。そんな絶景をバックにして、夏の終わりから秋の初めにかけて、屋島山上にて「天空ミュージック」というイベントが開催されました。天下一品の瀬戸内海の夕景、夜景を借景にしたぜいたくなステージで繰り広げられる上質な音楽ライブが売り物で、毎年好評を博しています。文字どおり天空にいて神々と一緒に音を楽しむような不思議な雰囲気が醸し出されるのです。
「瀬戸の花嫁」の出だしにも日暮れが歌われます。茜色の空が夕波に映る様は、この地に住む者の一番の自慢で、心落ち着く情景のように思います。
わかりやすい「スマートシティ」に向けて(9月1日号掲載分)
昨年、高松市は、情報通信分野での先進的な取り組みを進める国のモデル事業「データ利活用型スマートシティ推進事業」の採択を受けました。この「スマートシティ」というもの、広狭いろいろな定義がありますが、一般的には、「IoT(Internet of Things:モノのインターネット)をエネルギーや生活インフラの管理に用いることで、生活の質の向上や都市の運用およびサービスの効率向上、そして都市の競争力をつけ、現在と次の世代が経済・社会・環境の観点で需要を満たすことができるような都市のこと」とされています(注)。新しくできた「官民データ活用推進基本法」に基づいて、各種データを共通のプラットフォームに乗せて収集分析し、その課題分野においての最適な政策判断をするなどのために役立てていこうとするものです。高松市では、産学民官で「スマートシティたかまつ推進協議会」なる組織を立ち上げ、まず防災と観光の分野において取り組みを進めることとしています。
この「スマートシティ」。何かぴったりとくる日本語(漢語)でわかりやすくできないでしょうか。最先端の科学技術の一つである情報関連の用語は英語をそのままカタカナ言葉で表すのは仕方ない面もあります。しかし、AI=人工知能のように翻訳された言葉も同時にあった方が一般に理解しやすいことは確かです。
今年は明治維新150周年に当たります。近代国家への道を歩み始めた明治初期には、西洋の学術思想を取り入れるにあたって、翻訳が重要な役割を果たしました。そのうち、特に際立った業績が、近代日本哲学の祖と言われる西周(にしあまね)が考案した近代漢語です。「philosophy」を「哲学」と訳したのも、「経済学」「文学」「心理」「藝術」「自由」などの言葉を創作して我が国に定着させたのも彼だそうです。その「半端ない」西洋啓蒙思想の理解力と漢語の知識の深淵さに圧倒される思いです。西周が今日のデジタル社会において飛び交う横文字の言葉を何と訳すのか。聞いてみたい気がします。私流ではスマートシティ=賢省都市。あるいは、健能都市。できるだけわかりやすい言葉でスマートシティの実現に向けた施策を進めてまいりたいと思います。
(注)
「Sustainable Japan」(https://sustainablejapan.jp/)から引用
高松に住むという選択(8月1日号掲載分)
著書「クリエイティブ都市論」(ダイヤモンド社)の中でリチャード・フロリダは人生における選択として、「何を行うか(職業)」、「誰と行うか(結婚)」と同等程度に「どこで行うか(居住地)」が最も重要である、と述べています。そして、美的感覚や基本的サービスに優れ、開放性や寛容性が高い都市が、特に彼がクリエイティブ・クラスと呼び重要視している創造性に富む人材の居住地として選択されやすく、発展する可能性が高いと説いています。これは、本市の目指している創造都市の姿にも重なります。
移住政策の展開が盛んになりました。地方創生の名の下に、首都圏などの大都会から地方への、これまでとは逆の人の移動の流れを作るべく、多くの自治体においてさまざまな努力がなされています。本格的な人口減少社会が到来し、このままのトレンドが続けば、地方はどんどん疲弊し、Uターンすべき故郷も失われかねません。「ふるさとは遠きにありて思うもの」、と室生犀星(むろうさいせい)がうたった叙情的な想いに浸る余裕もなくなりつつあります。大都市圏以外の多くの地方自治体には、強い危機感があるのです。
本市も、今年度から「移住・定住促進室」を政策課内に設置し、市の魅力をPRしながら、移住希望者の相談に乗り、その後押しを図ろうとしています。去る6月23日には「高松首都圏交流会」を東京駅近くの京橋にあるラウンジを借りて実施しました。当日の移住などを希望する参加者は、40名弱。地元出身者は故郷高松、香川に関する思いを、Iターン希望者は高松の可能性、魅力などを、それぞれが熱く語ってくれ、非常に盛り上がったイベントになりました。その交流会議の運営を手伝ってくれた四国若者会議の呼びかけ文には次のような言葉がありました。「若者が求めているのは『移住』や『就業』だけでない、その延長線上にある、ひとりひとりの価値観を尊重した、新しい働き方、豊かな生き方そのものです。」
人生の大きな選択である居住地。それを高松に求める人の人生を、より鮮やかに、そしてより豊かにできる他にはない魅力を持った都市でありたいと思います。「ふるさとはそこに住まひて楽しむもの」、と多くの人にうたっていただきたいものです。
梅雨の過ごし方(7月1日号掲載分)
「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめでおむかえうれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」
童謡「雨ふり」です。梅雨の時期になるとこの歌が思い出されます。小学校低学年のころまで、サビの部分のオノマトペ(擬音語など)に心を浮き立たせながら元気よく歌っていました。歌詞そのままに親が傘や長靴を持って迎えに来るのをみんなが楽しみに待っていた光景も記憶に残っています。無邪気そのものでした。今は天気予報が正確になったことで、予想もしない雨が急に降ることがほとんどなくなりましたし、親が来るとしても車の送迎がほとんどです。「あめあめ ふれふれ」と無邪気にはしゃぐ子どもの姿はほとんど見られないかもしれません。
ところで、「梅雨」は「季節」なのでしょうか。あるアンケート調査(注)では、日本人の97%が梅雨を季節と実感しているという結果が出ています。梅雨は季節の一つだと「すごく思う」人が68%で「少し思う」人が29%、「全く思わない」人が3%となっています。ただし、香川県は「すごく思う」人は58%で、42位。雨の少ない気候のせいか梅雨の季節感は乏しいようです。面白いのは、「梅雨が過ごしやすいと感じる県民の割合」を見てみると、香川県は6%で最下位です。多くの県民は、うきうきとした子ども心を忘れ、梅雨を不快なものと感じているということでしょうか。
この季節の過ごし方として私が本来的で望ましいと思うのは、仏教の修行者が行う「雨安居(うあんご)」です。雨期の3か月間は外出せず、洞窟や寺院にこもって学習や修行に専心することを言います。雨期には草木が生い茂り、昆虫や蛇などの小動物が活動するため、外での修行をやめて無用な殺生を防ぐ意味もあったようです。修行まで行かなくても「晴耕雨読」という生活パターンも羨ましいものです。晴れの日は外で働き、雨の日は無理をせず、心静かに瞑想(めいそう)するか、読書をするか、詩を作るか。中国の陶淵明や白居易のような俗世間を離れた気ままな生活が徹底できれば、梅雨をもっと快適に、しかも楽しく過ごせるのかも知れません。現実逃避だと叱られそうですが。
(注)「梅雨の季節感調査」結果発表http://weathernews.com/ja/nc/press/2010/100621.html(外部サイト)
国際古楽祭とフランダースと菊池寛(6月1日号掲載分)
去る4月21日と22日、「第2回たかまつ国際古楽祭」がサンポートホール高松などで盛況裡に開催されました。「古楽」とは、いわゆるルネッサンスからバロック期、最近では19世紀半ばまでの古典派の作品を含む西洋音楽です。それを当時の楽譜をもとに、その時代の楽器を使って、時代考証演奏法により「不完全な美しさ」を持つ当時の独特の響きを再現することを総称して言うそうです。フルート奏者で、現在ベルギーを中心に活躍している柴田俊幸氏が、ヨーロッパで流行しているこの古楽を故郷高松で広く紹介したいと思い立ち、昨年から開催されているものです。その熱意に協力の輪が広がり、ベルギーのフランダース政府からも首相のヘールト・ブルジョワ氏が「我々フランダースの古楽の伝統が、高松のみなさまに佳き時間を提供できることを願っています。」などと記されたご挨拶を寄せていただくなど、全面的な支援を得ています。
さて、このフランダースという地名。懐かしさを感じませんか。そう、アニメにもなった有名な童話「フランダースの犬」の舞台です。そして、その童話を日本に紹介した作家の一人が、今年が生誕130周年、没後70周年にあたる本市出身の文壇の大御所、菊池寛です。彼が芥川龍之介と一緒に編集責任者となって「小学生全集」を出した時、翻訳をした童話の中に、貧しい生活の中でも、いつか芸術家として世にでることを夢見ていた少年「ネルロ」と愛犬「パトラッシュ」の悲しい物語があったのです。
今回の演奏会では、創立から30年以上の歴史を持つ檀紙小学校リコーダークラブの児童がベルギー古楽界の横綱的存在であるバロック・アンサンブル、「イル・ガルデリーノ」との共演を果たしました。練習の時から見せていた子どもたちの目の輝きと真剣さは、指導をした団員を嬉し泣きさせたほどだったそうです。「温故知新」という言葉があるように、特に子どもたちが古楽に触れることにより、新しい未来が見えてくる気がしました。
菊池寛が日本の子どもたちのために「フランダースの犬」を訳してから約90年。古楽という癒しの音楽に心地よく身を委ねながら、再び高松とフランダースが結びつき、意義ある文化交流が行われたことを大変喜んでいます。
気持ち高まる、高松。(5月1日号掲載分)
標題は、「感動」と「幸福」(合わせて「感幸(かんこう)」)をキーワードに全国に公募して決まった高松市の観光キャッチコピーです。通年で使用していますが、春爛漫(らんまん)のこの季節に最も似つかわしいように思います。高松のまちの明るさや楽しさ、人の温かさとともに、訪れる際のワクワクする感じが伝わってくる素敵なコピーだと思います。このコピーとそれに合わせて決定した下掲のロゴマークは、広く事業者や市民の方々にも活用していただき、官民が一体となった、より魅力的なまちづくりや観光振興につながればと期待しています。
これからの人口減少社会において、地域の持続可能な発展を図っていくためには、交流人口の拡充の中心的役割を果たす観光振興は非常に重要です。「観光」の語源は、中国の「易経(えききょう)」の中に出てくる「観国之光 利用賓于王」(国の光を観るは、もって王のたるによろし)というもの。含意は少し異なるものの、それが英語の「ツーリズム」の訳として当てられるようになり、今の意味で一般に使われだしたということです。
ところで、現代の「観光」に通じる旅のルーツは古く、古代ギリシャにおいて既に見られたそうです。紀元前776年から開かれたオリンピアの競技大会へ古代ギリシャ人は見物に出かけています。今のスポーツ観光の原点というべきものです。また、エーゲ海の島々に転地保養に行ったと伝えられています。これは瀬戸内国際芸術祭の開催される島々を巡る旅に相通じるものがあります。さらにはギリシャ各地に神殿が数多く建設され、参詣者が多数集まり、彼らは沿道の民家でもてなしを受ける習慣があったそうです。その歓待の精神は「ホスピタリタス」と言われて最高の美徳とされたということです。まさに四国遍路のお接待、おもてなしの心につながります。
高松においてもインバウンド(外国人観光客)が急速に増えています。また、来年は瀬戸内国際芸術祭、2020年は東京オリンピック、パラリンピックが開催されます。古代ギリシャから続く人の旅の歴史に学び、ホスピタリティの精神を大切にしながら、真の「気持ち高まる、高松。」を実現していきたい、と思います。
※
日本大百科全書(小学館)の「観光」の項目解説から一部を引用しています。
「共生社会ホストタウン~一言かけるおもてなし~」(4月1日号掲載分)
平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック・パラリンピックが盛況裡に閉幕しました。次はいよいよ、2020年夏の東京です。
その東京オリ・パラに関連して、国は新たに「共生社会ホストタウン」という制度を設け、昨年12月に初めて登録された6つの都市の一つに本市が選ばれました。主にパラリンピアン(パラリンピック出場選手)との交流をきっかけにして、障がい者などが積極的に参加できる共生社会の実現を目指したユニバーサルデザインのまちづくりや心のバリアフリーに関する取り組みの実施を促進しようというものです。本市では、今年9月に屋島レクザムフィールドにおいて、日本パラ陸上競技選手権大会が開催されることも決定しています。それも見据えて、「共生社会ホストタウン」を推進するための取り組みが始まっています。
2月下旬には、台湾からパラリンピアンなどを招へいし、小学生との交流や文化体験等の事業を実施しました。交流を終えて、子どもたちからは「障がい者の気持ちがわかった」、「パラリンピックを見て応援したい」などの感想があり、障がい者やパラリンピックに関心を持ってもらう大きなきっかけになったと感じています。
また、「あすチャレ!アカデミー」という研修も実施しました。市職員を始め、市議会議員、観光等関連事業者、市民ボランティアなどの有志が参加し、自ら障がいがある講師から直々に障がい者とのコミュニケーションの方法などを学べた楽しくためになる研修でした。大切なのは、まず「お手伝いできることはありますか」と一声かけること。その講師が所属する会社の社長で日本ユニバーサルマナー協会代表理事の垣内俊哉氏は、著書の中で、「日本では設備のバリアフリーはどの国よりも進んでいるのに、高齢者や障害者への適切な向き合い方がわからない人が多い」、そして「無関心でも過剰でもなく、一声かけるといったさり気ない配慮が、文化として定着すればよい」と述べられています(注)。
意識におけるバリア(障壁)を取り払った誰もが暮らしやすい真の共生社会の実現を目指して、種々の取り組みを推進してまいりたいと思います。
(注)
「バリアバリュー 障害を価値に変える」(垣内俊哉 新潮社)
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