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市長どっとコム(平成29年度)

更新日:2018年3月1日

「「蜜蜂と遠雷」、そして「狸(たぬき)とうどん」」(3月1日号掲載分)

 「世界に国際ピアノコンクールはあまたあるが、芳ヶ江は近年評価がめざましい。それというのも、ここで優勝したものはその後著名コンクールで優勝するというパターンが続いたからで、新しい才能が現れるコンクールとしてとみに注目を集めている。」(注釈)
 これは昨年、史上初めて直木賞と本屋大賞をダブル受賞し、大きな話題となった恩田 陸さんの小説「蜜蜂と遠雷」の一部です。浜松国際ピアノコンクールをモデルに長期間にわたる綿密な取材をもとに書かれた長編大作ですが、「芳ヶ江」という地名を「高松」に置き換え、3年毎の開催を4年毎にすると高松のコンクールを題材にした小説だと言っても違和感はありません。
 いよいよ、3月14日から第4回高松国際ピアノコンクールが開幕します。平成18年に第1回が開催され、回を重ねるごとに知名度も上がり、コンクールの内容も充実してきました。平成27年には国際音楽コンクール世界連盟に加盟し、名実ともに日本三大ピアノコンクールの一つに育ってきています。応募者数も過去最多となり、通しのパスポート券も1月中旬には早々と売り切れました。
 今回、特に私が注目したいのは、第3次審査で披露される本コンクールの委嘱曲です。その名も「un poco don poco」(うんぽこどんぽこ)。作曲者の小出 稚子(のりこ)さんによるとテーマは、「屋島の太三郎狸が店主のうどん屋さん」。“ポンポコポン”という狸の腹鼓の音色やリズム、讃岐うどんを打つ時の体のリズム、そして狸を題材にした童謡や伝説などから着想を得て作曲したとのことです。ホームページでは、演奏の参考にと、実際のうどんの作り方が動画で見られるようになっています。打楽器の特徴も併せ持ったピアノ演奏と狸の腹鼓やうどん打ちは相通じるものがあるはずです。讃岐うどんが大好きで屋島の太三郎狸を慕う高松の住民としては、なんとも嬉しいような、恥ずかしいような、そして誇らしいような気持ちです。この委嘱曲を第3次審査まで残った精鋭たるコンテスタントたちは、どんな風に料理して聞かせてくれるのでしょう。
 第4回高松国際ピアノコンクール。本当に楽しみです。
(注釈)「蜜蜂と遠雷」(恩田陸、幻冬舎、14ページ)

「藍よりも青く」(2月1日号掲載分)

 今年の成人式のテーマは、「『染(そめる)』わたしらしく、あなたらしく」というものでした。20歳を迎えた自分たちの人生を一枚の布に例え、布には何色にも染められていないところがあり、それをこれからどんな色に自分らしく染めていくのか、それが大切だ、という思いを込めているとのことでした。
 この『『染(そめる)』というテーマを聞いて、私は「藍染(あいぞめ)」を思い浮かべ、それにちなんだ中国の格言を引いて祝辞を述べさせていただきました。中国の戦国時代末期の儒学者であった荀子(じゅんし)の有名な言葉です。すなわち、「青は藍より出でて藍より青し」。意味するところは、染料に使う藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となるということ。それを弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えることを言うことわざとして使われています。荀子は人間の本性は欲望的存在にすぎないと性悪説を唱えたことで知られていますが、それだけに、学問を修め、礼を知ることが大切であると説いています。人間は学問や努力により持って生まれた資質を越えることができ、指導者や師匠をしのぐ存在となることができる、と言っています。新成人の皆さまには、さまざまな場面でより高みを目指して努力を怠らず、人生という布を素晴らしき「青」に染めあげていただきたいと願っています。
 『『染(そめる)』にちなんでもう一つ。高松にも200年以上の歴史を持つ染め物の伝統工芸が受け継がれています。「讃岐のり染」です。もち米からできたのりを使って染められることからこの名があり、鮮やかな色彩が特徴です。また、渋紙の筒袋に入れたのりを絞り出して描く筒描きは、手で引かれる自由で生き生きとした線が、布上に直接描かれることで温かみのある、味わい深い染め物が仕上がります。中でも讃岐の各地域の祭りに使われる獅子舞の胴体部分を構成する豪華絢爛(けんらん)な油単(ゆたん)の創作には、この「讃岐のり染」が欠かせないそうです。
 このような伝統工芸の技術は、獅子舞などの伝統芸能とともに、世代を超えてこれからも継承されていってほしいと願っています。併せて、「出藍(しゅつらん)の誉れ」(弟子がその師よりも優れていること)たる人や技術の出現を期待したいと思います。

「138億余年目のお正月」(1月1日号掲載分)

 新しい一年が始まりました。平成で言えば30年。西暦では2018年。少し視点を変えて見ると、地球が誕生して45億年余り。宇宙ができてからは138億年余りたったお正月です。気の遠くなるような時間の長さですが、当然地球や宇宙にも始まりがあり、経年が数えられるのです。
 こんなことを考えているのは、昨年11月に開館1周年を迎えたこども未来館の佐藤勝彦名誉館長による「ビッグバン宇宙創生のインフレーション理論」と題された記念講演を聞いていたからかも知れません。現代の科学的知見では、ビッグバンによる宇宙の開闢(かいびゃく)は138億年前とされています。少し前まで137億年前だとされていましたが実証研究が進み、1億年延びたのだそうです。久遠の時間を前に立ちすくむような気がするとともに、観測により、それが1億年単位で訂正されたことに驚きを禁じえません。
 また、昨年のノーベル物理学賞は、宇宙の始まりに関連する重力波の観測を世界で初めて行ったアメリカの3人の科学者が受賞しました。重力波は、100年前にアインシュタインがその存在を予言していたものです。同時に佐藤先生らが予測したビッグバン直後の宇宙の急激な膨張を仮定したインフレーション理論を裏付けるものでもあります。
 「宇宙では遠くを観測すれば過去が見える」そうです。なぜなら私たちが今見ている空(宇宙)は、何千年、何万年も、さらには何億年も前に放たれた光や電波で満たされているからです。我々人類がいる地球から、光の速さで138億年かかる距離にあるところを観測することができれば、それが宇宙の開闢の状態であるということです。ビッグバンによって誕生した直後の宇宙の痕跡が、138億光年というはるかかなたに存在しているはずなのです。
 宇宙の話を聞いて、私の好きな谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」という詩を思い出しました。その最後は次のように締めくくられています。
  宇宙はどんどん膨らんでゆく
  それ故みんなは不安である
  二十億光年の孤独に
  僕は思わずくしゃみをした
宇宙の何処かで誰かが何かを噂しているのかも知れません。宇宙はまだまだ神秘に満ちています。

「未来高松市2017」(12月1日号掲載分)

 この度、政策コンテスト「未来高松市2017」を催しました。次代を担う若者が、本市の未来を思い描き、理想の高松を実現するための政策を企画立案し、プレゼンテーション形式で発表し、競うものです。テーマは、「10年後20年後の高松が若者から選ばれるまちであるために」です。中学生から39歳までの参加者を募集し、中学生5チームと、大学生1チーム、社会人4チームの計10チームから申し込みをいただきました。8月から約3か月間、参加者には高松市長になったつもりで、フィールドワークによる現状確認なども行いながら、自分たちが思い描く未来の高松のまちづくりに関する政策を練り上げ、予算まで含めた形で提言にまとめてもらいました。
 大賞は、20年後の理想像を「こどものEGAO(えがお)が溢れる街、高松」として政策を提案した香川大学附属高松中学校の「笑(Smile)カンパニー」チームに決定。内容は、市民に家族の時間を取ってもらうための「笑(Smile)Weekの制定」や中・高生も含めた「起業支援制度の制定」、中学生主催の「笑(Smile)イベントの開催」というものです。他にも、路面電車やサッカースタジアム、市立大学、出産ツーリズムなど、夢や魅力がある政策が多くあり、今後、内容によって実現可能性などの検討を行うこととしています。
 それにしても全体の半分を占めた中学生チームの発想の豊かさと課題検討の的確さ、プレゼンテーションの元気の良さと説得力には正直恐れ入りました。中学生がこんなに真剣に高松市の未来を考えてくれていることに感動を覚えました。
 20世紀初頭に活躍したドイツの著名な社会学者であるマックス・ヴェーバーは講演録「職業としての政治」の中で「政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、硬い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」と言っています。人口減少、少子超高齢社会という困難な環境の中であるからこそ、未来高松市に向けて、しっかりとした政治の営みが求められていると思います。このコンテストは政治や政策がこの国や地域をより良くして、次の若い世代に確実に引き継いでいくものでなければならない、という当たり前のことを再確認する良い機会ともなりました。

「「田井の子供神相撲」とオペラ「扇の的」」(11月1日号掲載分)

 去る9月23日秋分の日、牟礼町六萬寺の境内で催された1000年以上の歴史を持つとされる「田井の子供神相撲」を見学してきました。奈良時代に聖武天皇が名僧行基に命じて建立させたとされる六萬寺に奉納される神事として子供神相撲が生まれ、平家がこの地に行在所(あんざいしょ)を構えていた1183年には、5歳ごろの安徳天皇をお慰めしようと、この神相撲をお見せしたと伝えられています。そうであれば、平家滅亡直前の時期に屋島近辺で過ごされていた安徳天皇が、ほんのひと時でも確実に心安らいだ時間を持てたであろうことが想像でき、安堵を覚えます。
 当日は穏やかな曇り空。神事が行われた後、子どもたち10人が小結、関脇、大関の順で相撲の型を行い、最後に全員で土俵入りをしました。昔からの伝統と格式にのっとり、「やー」という型の決めの部分で発せられる子どもたちの威勢のいい掛け声が田野に響き、厳かに神相撲は進められていきました。歴史の深さが格調になって表れているような、後世までずっと残していきたい伝統行事だと感じました。
 翌24日午後。今度はサンポートホール高松大ホールにおいて、四国二期会のオペラ公演「扇の的」を鑑賞しました。3年前のサンポートホール高松の開館10周年を記念して創作、初演されたこのオペラは、源平屋島合戦の中で最も有名な、那須与一が扇の的を射る場面を題材にして、どんな苦難、逆境にあっても「生きる」ことが大切だということをテーマとしたものです。台本や作曲・演出などをオール香川でそろえた本格オペラとして発表当時から注目されたものを今回、今後の海外公演も目指し、グレードアップしたということです。関係者の意気込みもあってか、初演以上の素晴らしい出来栄えで、思わずブラボーと叫び、久しぶりにカタルシスを感じた公演でした。
 1000年以上も続く伝統行事が保存、実施されていることも、由縁の題材で魅力ある個性的な音楽作品が創作、上演されることも、屋島を中心とした地域の歴史が持つ資源としての力が作用しているのではないかと思います。この地の歴史と文化資源の豊かさを改めて思い知らされ、この地で生活し、創造することの有難さを感じた秋の二日間でした。

「ちいさい秋はどこいった」(10月1日号掲載分)

 その昔ダークダックスなどが歌った「ちいさい秋みつけた」(サトーハチロー作詞、中田喜直作曲)という童謡が好きでした。夏の終わりに誰かさんが見つけた秋の息吹が独特な表現で詞にされ、叙情あふれるメロディーがつけられています。月遅れのお盆の前後、暑い夏が続いていても、空気感とともに、ちょっとした出来事で秋の気配を感じ、気持ちがスッと落着き軽くなる、といった体験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
 同じ趣旨で立秋の日に詠んだとされる平安時代の有名な歌があります。
秋来ぬと 目には彩かに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる(藤原敏行)
まさに風の音に小さい秋を見つけた、という歌です。しかし今年の立秋の8月7日を振り返ってみると、とても秋を感じる風情はありませんでした。35度以上の猛暑日が本格化しだしたころで、台風5号が直撃をして大雨洪水警報が出て対応に追われた日でした。
 日本は全体的に温暖な気候で、春、夏、秋、冬の四季がはっきりとしていると言われます。そのため、自然と融合した文化も独特で奥深く多様なものが形成されてきました。その日本の四季の区分が崩れてきているように感じます。特に、私が最も日本らしい季節だと思う秋を感じる時期、機会が極端に少なくなっているような気がします。日本の気候が熱帯化しているのかもしれません。連日の猛暑が当たり前となり、長く残暑が続いた後、間もなく冬が来るようで、日本の四季が三季になりつつあるという人もいます。
 都市化とも相まって、「ちいさい秋みつけた」に歌われたような「もずの声」や「秋の風」、「はぜの葉」の自然の情緒もだんだん感じられなくなっています。「心づくしの秋」(物思いに耽(ふけ)る、気を揉ませる秋の意)にじっくりと浸っている余裕もありません。
 秋の夕暮れを詠んだ三夕の歌の一つで私の好きな歌があります。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ(藤原定家)
粗末な小屋と夕暮れ以外何もない荒涼とした海辺の秋の情景が見事に表されています。侘(わ)び、寂(さ)びの世界に通じる、派手なものは何もないことをいとおしく思うような日本独特の秋の味わい方です。こんな秋の本格的な復活を望むのは無い物ねだりになるのでしょうか。

「四国はフロリダになりうるか」(9月1日号掲載分)

 1年余り前になりますが、「ローマ人の物語」などの著者として有名な塩野七生さんが雑誌のエッセーに「四国を日本のフロリダに」という一文を寄せています(注釈)。その論旨を私なりに解釈すると、「すべての道はローマに通じる」と言われた古代ローマは、街道のネットワークによりあらゆる面で活性化が図られており、これからの日本も列島のネットワーク化が必要。そしてその拠点となり得るのが四国で、それが「四国をフロリダにする」、ということのようです。
 ご承知の通り、フロリダ州はアメリカ東南部のフロリダ半島全域を占める州であり、巨大なディズニーワールドリゾートがあるなど、アメリカ有数の観光地であり、保養地です。多くのアメリカ人が引退後に余生をフロリダで過ごすことに憧れ、それがアメリカン・ドリームとされていた時代もありました。そのフロリダの役割を日本の中で四国が果たすべきというのです。
 塩野さん曰く。四国は「気候の良さは抜群。食べ物と酒のうまさも抜群。値段も安い。医療施設や文化施設も意外に整っている。温泉もあるし歌舞伎場もある。おおらかな人が多い。」と。嬉しくなるくらいに四国の優位性が説かれています。もちろん、課題も指摘されています。道路網の不備です。そのため、南北の交通軸を確立して、四国の西端と九州の東端および四国の東端と紀伊半島の西端を結んでネットワーク化すべきと主張されています。まさに四国の新幹線の議論にもつながる四国と本州と九州を結ぶ広域高速交通網の整備が必要との認識です。
 高松市と姉妹都市であるセント・ピーターズバーグ市もフロリダ州にあります。サンシャインシティと呼ばれ、海に開かれた都市であり、気候風土が似ているところから昭和36年以来提携を結んでいます。とすれば、四国の代表として高松がフロリダ化に名乗り出てもおかしくはないでしょう。
 フロリダがアメリカの高齢者の憧れの土地であるように、日本では四国、そして高松が保養地や終の住処として人気となるためには何が必要か。塩野さんの話も参考にしながら、いろいろ考えてみたいと思います。
注釈:「四国を日本のフロリダに 日本人へ157(塩野七生)」(文藝春秋2016年6月号)

「夏の星空の物語」(8月1日号掲載分)

 小学4年生の時、夏休みの読書感想文コンクールで学校代表に選ばれたことがありました。名前は忘れましたが、対象とした本は星の図鑑でした。星や星座の図や解説は興味深く、ワクワクした気持ちになり、実際に確かめたくて、戸外に出て夜空を眺めました。その体験をそのまま文章にしたのです。果たしてそれが読書感想文と言えるのかどうか、若干不安でしたが、先生が県のコンクールに応募してくれました。その図鑑の星の話の中で最も印象深く覚えているのが、こと座のベガという星のことです。「ベガは夏の夜空で天頂付近に輝く最も明るい星で青白い色をしている」ということでした。図鑑でそのことを知り、天空に青白く眩しく輝くベガを見つけた時は、それだけで大きな感動を覚えました。
 夏の夜空の有名な物語といえば、何と言っても七夕伝説に基づく牽牛星(けんぎゅうせい・ひこ星)と織女星(しょくじょせい・織り姫)の一年に一度の逢瀬でしょう。この織女星とされるのがベガです。そして、牽牛星がわし座のアルタイル。これに、はくちょう座のデネブを加えた夏の夜空で一段と明るい星3つが「夏の大三角形」を形作ります。旧暦の7月7日(今年は8月28日)ごろの夜中には、この大三角形が天高く輝き、ベガとアルタイルが天の川を挟んで相対し、デネブの属する白鳥が仲を取り持ち川の上を飛んでいるように見えるのです。天体一面に無数の輝く星たちは古くから人々の想像力を駆り立て、七夕の伝説をはじめ、世の東西にさまざまな言い伝えや物語を生んできました。満天の星空を見上げると、光が全身に降り注いでくるように感じ、宇宙が自分の命につながっているような気持ちになれます。星に願いをかけながら幸せな気分になれるのです。
 そんな星空(や青空)を大切にしたまちづくりをしようという自治体が集まる第30回「星空の街・あおぞらの街」全国大会が来年10月に本市において開催されることが内定しました。本市ではこども未来館に新しいプラネタリウムができましたし、お隣のさぬき市には昨年3月、全国初の天体望遠鏡博物館もオープンしています。これら関連施設も巻き込んで高松の星空をどうアピールしていくのか。久しぶりに夏の夜空を眺めながら考えを巡らせてみたいと思います。

「タスキをつないで、みんなでゴール」(7月1日号掲載分)

 去る5月14日日曜日。快晴の空のもと、瀬戸内海をイメージさせる真新しい青色のトラックが万緑の屋島に見事に映えた屋島レクザムフィールドで「屋島GENPEIリレーマラソン」が行われました。3人から10人まででチームを組み、22キロメートルと42.195キロメートルの部に分かれて場内のトラックと施設の通路、場外の園路を結んだ1周2.2キロメートルのコースをタスキをつなぐ駅伝方式のリレーで走るイベントです。一人が何周回走るかは任意。また、同じ人が何回走っても良いというかなり自由なルールです。市内外から276チーム、下は7歳から上は79歳までの合計1920人のランナーが集結しました。特別ゲストとして、弘山晴美さん、鈴木博美さん、土佐礼子さんの3人のオリンピアンをお迎えし、私と地元屋島の小・中学生5人を混じえた9人でオリンピアンドリームチームを結成して、フルマラソンの距離を走りました。私が走ったのは1周回だけですが、日頃の運動不足がたたり、最後はへとへとになりながらも、どうにかタスキを次の小学生ランナーにつなぐことができました。でも、走り終わった後の爽快感は格別のものがありました。すべてのチームが完走できたそうで、走った人だけでなく、応援に来ていた家族や同僚の人たちも含め、満足感の高い思い出に残るイベントになったのではないかと思います。
 感心したのは、各チームがゴールするや否や合計タイムはもちろんのこと、周回ごとのラップタイムがすぐに記録、印字され、完走証として手渡されたことです。その秘密はタスキにありました。タスキにICチップが組み込まれていて、その受け渡し場所に設置しているマットアンテナから出力される電波をICチップが反射することで計測。情報はホストパソコンからサーバーへ送られ、ランナーや関係者はアプリを使ってレース途中もスマートフォンなどでそのデータを閲覧できるようになっていたとのことでした。
 駅伝競走になくてはならない、日本伝統のタスキもIT化されていることに新鮮な驚きを覚えました。まさに今はやりのIoT(インターネット・オブ・シングス)の活用事例です。ただし、この場合「タスキのインターネット」と訳すべきかもしれませんね。

「絵本とイクメン」(6月1日号掲載分)

 高松市美術館で4月15日から5月28日まで、「絵本のひきだし 林明子原画展」が開催されていました。札幌に赴任していたころ、子どもたちが寝る前に時間があると絵本の読み聞かせをしていました。そして、林明子さんの多くの絵本を子どもたちからのリクエストにより、何回も繰り返し読んだ記憶があります。その意味では、私の子育て時代に大変お世話になった絵本作家のひとりであり、今回の原画展は本当に懐かしく、若いころの情熱がよみがえってくるような気分で楽しく鑑賞させていただきました。
 絵本作家林明子さんは、40年前に初めて手がけた物語絵本「はじめてのおつかい」をきっかけに、「はじめてのキャンプ」、「ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ」、「おつきさまこんばんは」、「こんとあき」など数々の名作を次々と生み出されています。林さんの絵は、人や動物では心のちょっとした揺らぎまで伝わってくるような、また、草花や木などの植物では葉っぱの硬さやみずみずしさまでわかるような、繊細でありながら生々しいタッチで描かれています。本を開き絵をパッと見ただけで、子どももすぐに感情移入ができる優しく温かい絵です。同時に私の頭の中でも想像が膨らんで、ページをめくる時のワクワク感は格別のものがありました。一冊の絵本を媒介に子どもたちと共通体験を持てたことは貴重でありがたいものでした。
 ところで、読み聞かせをしていた、と言うと「イクメンですね」と褒められます。ただ私の場合は、転勤族で知り合いもあまりおらず、育児の分担も必要に迫られてという面が強かったように思います。それでも、子どもたちをお風呂に入れたり、読み聞かせをすることによって、子育ての喜びと父親が子育てに参加することの重要性といったものは感じることができました。
 高松市ではこのほど、6年前に作成した四国で初めての父親手帳「ようこそイクメン道場へ」に続く「夫の出番 パパの出番」という冊子を作りました。新たに男性の育休取得を応援するイクボス情報を紹介するなど、社会全体で父親の「ワーク・ライフ・バランス」を後押しするといった趣旨を盛り込んでいます。ホームページからもダウンロードできますので、多くのお父さんに参考にしていただけたら幸いです。

「日本一の桃太郎と松盆栽」(5月1日号掲載分)

 5月5日はこどもの日。古くから端午の節句として、鯉のぼりや五月人形を飾り、男の子の成長を願い、祝う日として知られています。その五月人形の中でも人気があるのが桃太郎です。
 桃太郎は日本の代表的なおとぎ話で昔も今も男の子の理想のヒーローです。その舞台はといえば、きび(吉備)団子になぞらえて岡山県説が有名です。しかし、それに勝るとも劣らない有力な桃太郎伝説がここ高松にもあります。中心は鬼無町と女木島です。高松の桃太郎伝説が知られるようになったのは、昭和5年に当時上笠居小学校の先生だった橋本仙太郎という人が書いた『童話「桃太郎」の発祥地は讃岐の鬼無』という論文が発端だそうです。おじいさんが芝刈りに行ったのは桃太郎神社の東南の柴山、おばあさんが洗濯していたのは本津川(ほんづがわ)。犬や猿や雉も実在した有志たちで、それぞれ岡山県犬島(いぬじま)、綾川町陶の猿王(さるお)、鬼無町雉ヶ谷(かしがたに)の住人とのこと。鬼ヶ島はもちろん女木島です。つけ加わるのは鬼(海賊)を退治した後、鬼が逆襲してきたのを返り討ちにして全滅させ、鬼がいなくなったということでこの土地一帯を鬼無(きなし)と言うようになったという落ちの部分です。さらにこの話を讃岐国守であった菅原道真が漁師から聞き、おとぎ話としてまとめたのが「桃太郎伝説」の始まりとされています。地名の由来となった実話がおとぎ話化された経緯も含め、非常に説得力のある有力な説だと思いませんか。
 ところで、桃太郎人形といえば、「日本一」ののぼり旗がつきものです。そして高松(鬼無)の日本一といえば、松盆栽。高松市の鬼無町と国分寺町で生産される松の盆栽は全国の約8割のシェアを誇ります。ここは日本一の桃太郎と松盆栽の郷(さと)なのです。
 盆栽の世界ではちょうど今(4月末)「第8回世界盆栽大会 in さいたま」という大きなイベントが開催されています。高松からも関係者が参加し、ブースを設けて歴史や文化、名産を大いにアピールすることとしています。この際、高松の桃太郎伝説も世界に向けて発信すべく、一緒に売り込んでみてはどうかと思っています。
 桃太郎伝説と松盆栽。どちらももっと自慢していい高松のお宝です。みんなで応援していきたいと思います。

「春の訪れ(梅の花と桜の花)」(4月1日号掲載分)

 「1月は住(い)ぬる、2月は逃(に)げる、3月は去(さ)る」と言われます。年が明けてから年度替わりまで、正月や進入学、就職などに関連するイベントなどが多く行われるためか、この3か月はあっという間に過ぎ去るさまを言葉遊び的に言い表したものです。寒冷な冬の静的で色の無い世界から、温暖な春の動的で色鮮やかな世界へと一気に移行する時期でもあります。そして季節を彩り春の到来を告げるのが梅の花であり桜の花です。
 2月。立春が過ぎ、まだまだ寒い日が続いていても、梅の花がほころび始めると、もう春だな、と気持ちが高ぶってきます。江戸端唄に言う「梅は咲いたか、桜はまだかいな」の心境でしょうか。この時期飯田龍太の有名な句(注釈)にあるような白梅や紅梅が青空の下に鮮やかに咲いている情景は、早春の清々しい美しさを感じさせます。
 そして讃岐路に本格的な春が到来する3月末から4月上旬。いよいよ真打ち、桜(ソメイヨシノ)の登場です。「春の訪れを感じる瞬間」はどんな時か、という類のアンケート調査では、必ず「桜の開花」が1位か2位の最上位に位置しています。それだけ春といえば桜という意識が定着しているのでしょう。
 ところで、梅にまつわる話では、讃岐の国司もした菅原道真が大宰府に左遷された時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という歌と、その梅が京から一晩にして道真の住む屋敷の庭に飛んできたという「飛梅」の故事が有名です。梅の花言葉は高潔、忠実、忍耐ですが、ぴったりと当てはまる話だと思います。面白いのは、道真は同時に桜に対しても歌を詠んでいるということです。でもこちらはあまり一般には知られていません。また、梅と違って桜の方は、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという言い伝えになっています。勇ましい「飛梅」と真逆ですが、散って行く儚(はかな)さや潔さが日本人に好まれる桜の特長が現れている故事だと言えなくもありません。
 4月になり、今度は年度始めの行事が多く、またまた慌しい日々が続きます。それでもせっかくの春爛漫(らんまん)の候。少しでも、花(桜)を愛でる余裕を持ち過ごしたいものです。
注釈:「白梅のあと紅梅の深空あり」飯田 龍太

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