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高松さんぽ(令和元年度)

更新日:2019年8月28日

積(つみ)石塚(いしづか)、双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)の謎(9月1日号掲載分)

去る7月6日に大阪湾近郊の仁徳天皇陵古墳など数々の巨大な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を核として、さまざまな規模、形状の古墳を擁する百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群の世界文化遺産登録が決定しました。それとともに、3世紀中頃から7世紀代にかけて築かれた我が国の古墳の存在と歴史がにわかに脚光を浴びています。
 高松市の古墳もその文化財的価値の高さは負けていません。石(いわ)清(せ)尾山(おやま)古墳群です。石清尾山山塊には、古墳時代前期の積石塚(石を積み上げて墳丘を造った墓)と後期の盛土墳(もりつちふん)からなる200基以上の古墳が築かれています。そのうち、16基が国の史跡に指定されています。この古墳群は、全国でも唯一、積石塚を築き続けた稀有な古墳群だそうです。また、双方中円墳という形はこの古墳群に特有のもので、左右の方形部が対称なものは、ここにしかありません。中央(畿内(きない))の様式に染まり切らずに独自性を確保していた気概のようなものを感じ、高松市が古代の貴重な歴史遺産を持つことを誇りに思います。
 10年近く前になりますが、平成22年4月、峰山山上の公園に「はにわっ子広場」がオープンしました。周辺が石清尾山古墳群であることから、古墳や埴輪(はにわ)をモチーフとした大型遊具が設置され、愛称も公募でそれにちなんで名付けられました。特に全長58メートルのローラースライダーは、中心部の馬の埴輪のオブジェを経て、滑り降りる迫力満点の滑り台で人気のスポットになっています。
 古墳時代が始まる3世紀中頃は、邪馬台国で卑弥呼が政治を司っていたとされる時期です。しかし、邪馬台国の所在地さえ、畿内説と九州説が有力とされながらも確定できていないように、この時代の日本列島の様子はまだまだ謎に包まれています。子どもたちが、はにわっ子広場で無邪気に遊びながら、この地の歴史の深さと豊かさを肌で感じ、その中から将来、古代史の秘密のヴェールを剥がす研究者が誕生することを期待したいと勝手に思っています。

石(せき)匠(しょう)塾(じゅく)とナガレスタジオ(8月1日号掲載分)

昨年の七夕の日、彫刻家の流政之先生が亡くなられました。御年95歳でした。改めて哀悼の誠を捧げます。「自分はバレンタインデーに生まれたので女性にもてる」と公言してはばからなかった先生のことです。牽牛と織り姫が会合する日に亡くなられたのは、何かの導きがあったのかも知れません。それから1年。先生が制作スタジオ兼住居としていた志度湾に臨む庵治半島の丘の上にある城塞のごとき建造物は、新たに「ナガレスタジオ 流政之美術館」として生まれ変わろうとしています。
 流先生がこの地を最初に訪れたのは、1960年。ぶらりと立ち寄ったところが、理想的な石のふるさとだったとして、すぐさま活動を始めたとのことです。それと同時に、庵治石の産地の優れた加工技術を後世に伝承していかなければならないと、若い石工を集めて「石匠塾」なるものを作りました。昼間は彫刻技術を教えながら、若い女性が憧れる石工たちに育って欲しいと、スーツの着こなし方や、パーティーでの振る舞い方、洋式トイレの使い方まで伝授していたというから驚きです。
 そして流先生が「石匠塾」のメンバーを率いてニューヨークに渡り、世界博覧会の日本館にそびえ立つ巨大な石の壁画「ストーンクレージー」を築いたのが、アジア初の「東京オリンピック」が開催された前年(1963年)でした。巡り合わせか、東京2020オリンピックの開催を翌年に控えた今年、6月上旬に開催された「あじストーンフェア2019」では、「石匠塾」の当時の活動を伝える写真やアメリカでも大人気となった黒澤映画になぞらえて「7人の侍」とも呼ばれた渡米メンバーの貴重な遺品などが会場に展示され、来場者の注目を集めていました。
 流先生が石匠塾にかけた熱い「侍スピリット」は、二度の東京オリンピックの時をまたいで今日まで受け継がれています。その思いが詰まったナガレスタジオの城門がいよいよ開かれ、一般公開されることを、大変嬉しく思っています。

「和魂(わこん)洋才(ようさい)」 ~香川漆芸のイノベーション(7月1日号掲載分)

「蒟醤」と書いて何と読むかご存知でしょうか。知らない人には全く見当もつかないと思います。答えは「きんま」。香川漆芸の代表的な技法の一つです。
 高松は昔から漆芸が盛んな土地柄です。その基礎は、江戸時代後期に高松藩主松平家のお抱え漆(しっ)工(こう)だった玉楮象谷(たまかじぞうこく)が中国やアジアの漆技法を深く研究し、独自の技法を作り上げたことにあります。そして、蒟醤(きんま)、存(ぞん)清(せい)、彫(ちょう)漆(しつ)などの伝統技法は、明治、大正、昭和、平成と幾多の名工によって受け継がれ、これまで五人の人間国宝を高松から生み出しています。
 「瀬戸内海を望むゆたかな風景の中で育まれてきた讃岐の漆は、他産地の漆芸に比べると、その明るく華やかな色彩に大きな特徴がある」(注)とされています。その独特の技法が生み出す美しさは、時代を経ても色あせることのないものです。しかし、一方で需要の低迷や後継者不足で、香川漆器も産業としての存続が大きな課題となっています。
 変革(イノベーション)が必要なのかもしれません。そのための試みの一つとして、香川県などと共同した大胆な魅力発信の取り組みが始められています。昨年は、人間国宝の山下義人氏をはじめ香川漆芸の作家たちがイタリアの有名デザイナーの靴のヒールに蒟醤などの技法で装飾を施しました。そして今年は、イタリアのブランドとコラボして漆で加飾を施した「レッドカーペットに似合うパーティーバッグ」を作成。いずれも相当高価な品にもかかわらず、完売したそうです。
 漆器は海外で「JAPAN」とも呼ばれる日本を代表する伝統工芸です。その意味で、これらの靴やバッグはまさに「和魂洋才」の新しい美の逸品とも言えるでしょう。オンリーワンの価値を持つ香川漆芸を次世代にしっかりと伝えていくためにも、関係者の果敢なチャレンジを応援していきたいと思います。

(注)「漆の家」ホームページ(http://urushinoie.jp)より引用

関係人口を活(い)かす地域の寛容性(6月1日号掲載分)

選挙のため、しばらくお休みをいただいていたコラムを再開します。題を「市長どっとコム」から「高松さんぽ」に変更させていただきました。引き続き、高松市政に関することや日々の生活の中で感じたことなどを気ままに綴ってまいります。
 今上天皇が即位され、新しい「令和」の時代が始まりました。そして、それをお祝いするかのように開幕したのが瀬戸内国際芸術祭2019です。この原稿が出る頃には、盛況のうちに春会期が終了しているものと思います。4回目の開催となった今回は、急増した前回にも増して外国人の参加、来場が多くなっているように感じます。高松空港の国際直行便が充実してきたことと、著名な欧米メディアで芸術祭が開催される瀬戸内の地域が高評価で取り上げられ、知名度が飛躍的に高まっているせいでしょう。また、前回も約4割にのぼったリピーターが今回も多いように思われます。3年に一度の開催に合わせて、全国各地域から、まるで故郷に帰省するように瀬戸内の島々に帰ってくる人たちが確実に多数存在するというのも、この芸術祭の大きな特長です。
 人口減少が本格化する中、定住人口や単なる観光に来た交流人口とは異なる、その地域と何らかの関わりを持つ関係人口を増やしていくことが必要かつ重要である、という議論が自治体関係者の間で盛んに行われています。芸術祭の運営を実質的に支えているボランティアサポーター「こえび隊」をはじめとして、アーティストを含め芸術祭に集う多くの人たちは、この地域の未来を共に創造していくべき関係人口そのものと言えるのではないでしょうか。
 その地域に興味を持ち、さまざまな関係性を有する人たちが増え、しかもそれが海外にも広がっていくことで、地域の未来が今よりも明るく具体的な姿を表してくるはずです。重要なのはストレンジャー(よそ者、異邦人)の多様性を受け入れ、活躍の場を作ることができる地域の寛容性であると確信しています。

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