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高松さんぽ(令和2年度)

更新日:2021年3月1日

高松でワーケーション(3月号掲載分)

 コロナ禍がおこり、テレワークなどが急速に進められることにより、会社のあり方、働き方が大きく変わろうとしています。農業や漁業などへの従事も含め、都会の若者の地方志向も本物のトレンドとなってきています。そんな時代の流れの中で注目を集めているのが、地方の観光地などで余暇を楽しみながら仕事をする「ワーケーション」という働き方です。
 「ワーケーション」とは、ワーク(仕事)とヴァケーション(休暇)を組み合わせた造語です。インターネットの整備により、パソコンやスマホなどの情報端末さえあれば、いつでも、どこでも、誰とでも繋がることができるようになった事で、本来なら相反する仕事と休暇を同時に満足いくレベルで実行できるようになったのです。
 本市では、このような「ワーケーション」の受け入れモデル地域として女木島・男木島と塩江地域を設定して、高松ならではの「島ワーケーション」、「山(温泉)ワーケーション」を推進しています。特に「島ワーケーション」では、この動きに合わせて、フェリー「めおん」もシマシマ模様の新造船が就航し、光ファイバーの海底ケーブルが男木島まで敷設されます。
 高松の地には、お遍路さんに対するおもてなしの文化があります。また、日本で最初に国立公園に指定された瀬戸内海国立公園の中心地で、穏やかで四季が感じられる豊かな気候風土があります。10年あまり前、瀬戸内国際芸術祭が始まった時にこのコラムで、これからはスローライフ的な「地域の自然・歴史・伝統・文化を大切にして暮らすこと」などに価値観を置く生き方を実践できるまちづくりが求められている、と書きました。今の地方移住や「ワーケーション」の受け皿の地として多くの人が求めるものも同様であると思います。その意味で高松は「ワーケーション」にはもってこいの都市であると自負しているところです。
 蛇足ですが小さい頃、「V(ヴイ)・A(エイ)・C(シー)・A(エイ)・T(ティ)・I(アイ)・O(オー)・N(エヌ) 楽しいな!」という歌が流行っていました。アフターコロナをにらみながら、「VAC」を「WORK」に変えて「楽しい高松ワーケーション」を発信してまいりたいと思います。

ゼロカーボンシティ宣言(2月号掲載分)

 高松市は、「ゼロカーボンシティ」を宣言しました。昨年12月3日の定例記者会見で表明し、全国で181番目の宣言都市となりました。
 横文字ばかりでよく分からない、という人も多いと思います。直訳すると「炭素(カーボン)を排出しない(ゼロ)都市(シティ)」。地球温暖化の主要な原因とされている温室効果ガス(ほぼ二酸化炭素)の実質的な排出を2050年頃までにゼロにすることを目指すことを宣言した自治体のことを言います。
 近年、台風や豪雨などの異常気象による災害が国内外で増加していることは、多くの国民が実感しているところだと思います。その大きな要因となっているのが、地球温暖化の問題だとされています。それは、「気候危機」と言われるまでの厳しい状況です。これを乗り越えて行くためには、温暖化を止める、あるいはその進行を遅らせることが必要です。
 そんな中、「気温上昇を2℃よりリスクの低い1.5℃に抑えるためには、2050年前後に二酸化炭素の排出を実質ゼロにする必要がある」とする国際機関(IPCC)の特別報告書が出されました。これを受け、国内外で脱炭素化への動きが加速しています。我が国においても昨年10月、菅総理が「2050年までに温室効果ガス実質排出ゼロの脱炭素社会を目指す」ことを宣言しました。
 そもそも都市の再生を図るためには、アメニティ(住み心地の良さ)を高める必要があり、そのためにエコロジー(自然との調和)を重視すべきことは、従前から指摘されてきたことです。中でも、地球温暖化の問題は、都市の持続可能性にも直結する問題で、思い切った政策転換が必要だと言われてきました。ごみ処理や交通、地域エネルギー、吸収源としての緑化や森林、農業政策など、脱炭素の取り組みはまちづくりと直結するのです。
 宣言では、「温暖な気候に恵まれ、災害が比較的少なく暮らしやすい高松を、未来を生きる次世代に引き継いでいくため」、「『ゼロカーボンシティ』の実現に向け、市民や事業者の皆様と共に、総力を挙げて取り組むこと」としています。皆さんと一緒にスタートラインに立って、知恵を出しながら進めていければと思います。

「士魂商才(しこんしょうさい)」の中野武営(なかのたけなか)(1月号掲載分)

 明けましておめでとうございます。
 今年のNHK大河ドラマの主人公は、日本実業界の父と言われる渋沢栄一(しぶさわ えいいち)です。そして彼の盟友であり、同時代に活躍したのが本市出身で香川県独立の父とも言われる中野武営(通称ぶえい)です。
 昨年は、高松市の市制施行130周年でした。明治23年2月15日に全国で40番目の都市として市制施行されていますが、明治22年4月1日に最初に市制を敷いた31都市に高松市は含まれていません。要件は十分に満たしていたものの、ちょうど全国で最後となった香川県の成立直後の混乱期で、関係者の調整・協議が整わなかったのが原因とされています。
 香川県は、明治4年廃藩置県により一旦成立しましたが、2年後の明治6年2月には名東県(現在の徳島県)に吸収合併され、明治21年12月に愛媛県から独立するまでの17年間に4度も合併と分離を繰り返しています。その香川県独立のために奔走したのが中野武営です。
 中野武営は、幕末に高松藩勘定奉行の家に生まれ、維新後は官吏を振り出しに、香川県の独立や近代化を進め、政治家・実業家として活躍しながら、本市の上下水道や港湾整備のために力添えを行うなど、高松市の発展にも尽力されています。この他、銀行や鉄道、電力会社、新聞社の設立など地元の経済基盤の礎を築いています。また中央では渋沢栄一の後任として現在の東京商工会議所の会頭を13年も務めた他、東京市の議長や衆議院議員としても活躍しています。しかし、この中野武営の名前は、2年前に没後100年の記念シンポジウムが開かれるまで、多くの県民、市民は、ほとんど聞いたことがなかったようです。様々な立場で大きな仕事をしたため、一言では言い表せない、多彩さ、複雑さが知名度の壁になっているのかもしれません。
 渋沢栄一は「論語と算盤(そろばん)」、倫理と利益の両立を説いた人。そして、中野武営は「士魂商才」、武士の気骨と商才を併せ持っていると言われた人です。並び称されても良いと思いますが、「ぶえいさん」、大河ドラマに出てこないかなあ。

祝!「伏石駅」開業(12月号掲載分)

 ことでん琴平線の三条駅と太田駅の間に整備していた新駅「伏石駅」が11月28日(土曜日)に開業します。平成18年に「空港通り駅」が開業して以来の高松市内における鉄道新駅の誕生です。併せて三条~太田駅間の複線化もなされ、来春には、バスターミナルとなる駅前広場を整備し、グランドオープンを予定しています。
 高松市内には、JRが2線、ことでんが3線と、鉄道路線が5本も走っています。それが本市の強みです。それを活かして、コンパクト・プラス・ネットワークのまちづくりの考えの下、鉄道路線を基軸として、バス路線をフィーダー(支線)とする持続可能な公共交通ネットワークの構築に向けて取り組んでいます。公共交通が衰退すると交通弱者の急増をはじめ、環境問題の悪化、中心市街地の空洞化など、地域社会そのものが大きく衰退しかねません。そのため、平成25年には「高松市公共交通利用促進条例」を制定し、電車とバスの乗継割引制度を拡充するとともに、70歳以上の市民は運賃が半額となるICカード「ゴールドIruCa」の発行を支援して、より公共交通を利用しやすいように努めてまいりました。お陰様で近年、本市においては、鉄道、バスともに利用者は増加し、公共交通利用率も2ポイントほど上昇しています。
 そこに新型コロナウイルス感染症の拡大という思いもよらない事態が発生しました。外出の自粛や学校の臨時休業、事業所の営業休止等により、公共交通の利用は大幅に落ち込み、その影響は極めて深刻なものとなりました。公共交通機関は感染リスクの高い空間と認識されたことも影響したようです。その後、安全に関する科学的な知見が示され、事業者の感染拡大防止対策が講じられたこともあり、相当程度回復傾向は見られますが、以前の状態に戻るかどうかは不明です。
 都市の健康にとって公共交通の充実は必要不可欠であると思っています。国道11号との結節点で、高松自動車道の中央インターからも近い「伏石駅」の開業が地域にもたらす影響は大きく、これを機に、ウイズコロナの時代における本市の交通のあり方について、再度検証して参りたいと存じます。

山側の交流拠点・塩江(11月号掲載分)

 讃岐(香川県)と阿波(徳島県)は、東西に横たわる讃岐山脈で分断されていますが、これを越えて、古くから交流が盛んでした。「讃岐男に阿波女」という言い方もそんな中から生まれたものでしょうし、江戸時代後期から戦前にかけて「借耕牛(かりこうし)」という、農繁期の間、阿波から讃岐に牛を借り入れる独特の風習が盛んに行われていました。その主要ルートだったのが、上西(かみにし)の相栗峠(あいぐりとうげ)や現在の国道193号であり、塩江町内の岩部橋付近は多くの牛で賑わい、飲食店や宿屋が繁盛したそうです。
 そして現代の交流拠点「道の駅」。鉄路に駅があるのだから、道路に駅があってもおかしくないだろう。そんな発想で始まったのでしょう。その数、今や全国で1180箇所。香川県内に18箇所、高松市内には3箇所あります。そのうちの一つが道の駅「しおのえ」です。この道の駅「しおのえ」を中心としたエリアにおいて、この度、各種施設を再編集約化して新たに整備を行うことといたしました。物販や飲食、温浴、観光情報発信等の複合的な機能をもつ観光関連施設と新しい医療施設の一体的な整備を行うために、「高松市塩江道の駅エリア整備基本計画(案)」を作成したところです。
 塩江町においては、県下最大規模となる椛川(かばがわ)ダムが来年夏に完成します。観光面では、昨年2月、隣の徳島県美馬市長とトップ会談を行い、塩江を拠点にして周遊できる観光ルートをつくり、連携して山側に観光客を誘導しようと申し合わせを行いました。全国的にもユニークな現代サーカスの集団「瀬戸内サーカスファクトリー」の拠点も形を見せつつあります。また、地域おこし協力隊のOBが「トピカ」という団体を作り、まちおこし活動を始めています。旧塩江小学校跡では、日本の職人文化やものづくり文化を担う職人技能者を育成する「職人育成塾」が既に4年の実績を積んで成果を挙げています。
 過疎化など厳しい環境下の塩江町ですが、約1300年の歴史を持つ温泉郷は、四国で二つしかない国民保養温泉地でもあり、高松の山側の交流拠点として、その未来は明るいものと確信しています。

高松産ごじまん品(10月号掲載分)

 本市の就業構造をみると、農業は全体の2.4%(漁業は0.2%)で、第2次産業19.6%や圧倒的多数を占める第3次産業74.0%と比べるとごく小さな規模にしか過ぎません(平成27年国勢調査)。しかしながら、瀬戸内式の温暖な気候を利用して稲作を中心に、麦、野菜、果樹、畜産などを組み合わせた都市近郊型の複合経営や施設園芸等の集約型農業も展開されており、経営規模の零細性を補う生産性の高い農業が行われています。
 その生産性の高さと品質の良さを持つ高松の農業と特産農産物を対外的にアピールすべく取り組んでいるのが「高松産ごじまん品」の推進運動です。高松市内で生産される代表的な野菜や果物、特産品を「ごじまん品」に登録して宣伝するとともに、安全性と安心感を確保するため、農薬の適正使用を行うことなどの条件を付けて生産指導が行われています。具体的な品目は、野菜がブロッコリーやナバナ、ミニトマトなど15品目、果物がミカン、イチゴ、ブドウなど9品目。穀物が黒大豆と米の2品目、特産品が盆栽、牛肉など4品目で計30品目が選定されています。
 「高松産ごじまん品」は、ふるさと納税の返礼品においても活躍しています。特に直近の令和元年度には、「高松産ごじまん品」の果物や野菜の返礼品の種類を充実させたこともあり、結果、寄附金額は前年度比で約1・8倍となりました。ちなみに、令和元年度の寄附件数の上位三品は、シャインマスカット(ブドウ)、せとか(中晩柑)、さぬきのめざめ(アスパラガス)となっています。
 このように近年、全国的な売れっ子スターも出てきている「高松産ごじまん品」ですが、肝心の地元の人がよく知らない、という悩みも抱えています。また、人気品種は値段も高くて地元にあまり出回っていない、という声も聞こえてきます。我々の宣伝もまだまだ足りていないところもあるでしょう。
 市民の皆様、ぜひこの機会に、「高松産ごじまん品」をご認識いただき、ご愛顧いただきますようお願い申しあげます。

夏マスク(9月号掲載分)

 今年の夏は、日常生活でマスクの着用が基本となりました。新型コロナウイルスの感染防止対策の一環です。しかし、暑い夏場の時期のマスクの着用には抵抗がある人もいましたし、熱中症予防にも注意が必要でした。
 高松出身の文壇の大御所菊池寛に「マスク」という題の短篇小説があります。よく引き合いに出される、約百年前に世界的に大流行して日本でも約39万人が亡くなったスペイン風邪の時の話です。心臓が悪いために流行の感染症に伝染しないよう、家族も含めて極力外出を控え、うがいをし、やむを得ない場合は、常にマスクを着けていた菊池寛が、5月半ばになり、気恥しくなってマスクを外していると、堂々とマスクをしている青年と出会い、その男の勇気に圧迫された心持ちになったという話です。正に今回、夏場のマスクに思い悩んだ我々にとって、マスクを堂々と着けた青年に「かなり徹底した強者の態度」を認める菊池寛の心持ちは、共感できるところがあります。
 夏のマスクへの抵抗は百年前も今も変わらないのだなあ、と感慨を抱きます。因みに感染予防の基本が人との間に距離をとること、というのも百年前から変わらないとのことです。この点、科学技術の発達とは無縁の世界ですね。
 感染予防のため、ほとんどの人が常に着用し始めたこともあり、マスクはひとつのファッションになっています。いろいろな素材のものが登場し、形や色、模様、図柄等も様々です。需要の増大に応じてマスクづくりには異業種からの参入もあるようで、一種のブームともいえる状況です。そんな中、夏用マスクとして保多織(ぼたおり)の手づくりマスクも登場しました。丈夫で長持ち、「多年を保つ」という意味で命名された保多織は松平頼重公が産業開発と幕府への貢献のため、創らせたという歴史があります。その独特の肌触りで、暑い讃岐の夏を涼しく過ごせそうなマスクです。
 このコロナ禍では、夏マスクも生活の必需品です。故郷高松をこよなく愛していた菊池寛が生きていれば、今年の夏は正々堂々と保多織のマスクをして街を闊歩していたかも知れません。

「適疎」で「利他」の心をもつ地域(8月号掲載分)

 全世界に甚大な影響を及ぼしている新型コロナウイルス感染症ですが、同時にそれぞれの国や地域における社会経済の課題も浮き彫りにしています。我が国でも、コロナ禍により「過度なグローバリズムの進行」や「一向に是正されない東京一極集中」の問題などが浮かび上がっています。
 そんな中、「適疎」という言葉を久しぶりに聞きました。コロナ禍終息後の社会の在り方を象徴するキーワードとして、コミュニティ・デザイナーの山崎亮氏が掲げていました。「適疎」という言葉を私が初めて聞いたのは、二十数年前、北海道で地域振興室長を務めていた時です。道議会ではしばしば過疎対策が取り上げられ、その中で、「「過疎」と言うからマイナスイメージがあるのであって、「快適な疎」、つまり「適疎」な空間として地方都市をとらえ直すべきだ」と言う議論があり、「なるほど」と合点したことを覚えています。
 アフターコロナの社会におけるもう一つのキーワードとして、気になっているのは、「利他」という考え方です。3年前に感染症の大流行を予測していたジャック・アタリ氏というフランスの哲学者が「『利他主義』の理想への転換こそが人類のサバイバル(生き残り)の鍵である」と発言しています。「利他」といえば、私はアンパンマンを思い出します。原作者で高知出身の故やなせたかしさんは、「人生の楽しみの中で最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。」と言っています。アンパンマンはお腹が減って泣いている子を見つけると顔の一部を与えます。自らが傷ついても目の前の人を見捨てることはしません。四国遍路のお接待の心にも通じる、そんな「利他」の心がアフターコロナの社会の維持の鍵になるというのです。
 今年は、アンパンマン列車の運行20周年。赤色と黄色の真新しい車輌がお目見えし、7月から四国内を元気に走っています。この地、四国の地方都市はまさに「適疎」で「利他」の心をもつ地域。これからが出番であると期待したいと思います。

散歩と薔薇(7月号掲載分)

 5月末から6月にかけて市内あちこちで丹精込めて育てられた薔薇が美しい花を咲かせ、芳醇な香りを放っています。そんな薔薇を戦国最強の騎馬軍団を率いて勇名を轟かせた武田信玄が愛でていた、と言うと意外だと思われるかも知れません。でも実際、信玄は、「座敷の庭にいっぱい薔薇を植えて、その香りと色を楽しんだ風流人」だったそうで、「薔薇」と題した漢詩も残しています(注)。そして最近、そんな美しい薔薇の花々に囲われた瀟洒(しょうしゃ)な佇まいの家のわき道が、私の散歩のコースに定着しつつあります。
 5月末で新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言は全面解除されましたが、それまでは、外出は極力控え、人と会うことも自粛する毎日。部屋の中で過ごす事が多くなり、運動不足になりました。このままでは悪循環に陥りかねないと、生活習慣を見直して始めたのが、早朝散歩の復活です。朝の散歩は、市長に就任した年の秋、先輩市長から健康法としてその効用を教えてもらったことがきっかけで始めました。その後、6、7年はほぼ毎朝歩いて体調管理をしていたのですが、だんだんと朝起きられず、散歩に出る日も少なくなりました。それを復活して新型コロナウイルス感染防止に対応した私の「新たな日常」とすべく、習慣づけようと頑張っています。
 特に晴れた日には、朝起きて窓を開け、新鮮な空気を部屋に入れて感じるだけで、細胞の何分の一かが新しく生まれ変わる気がします。そして着替えて外に出て、薔薇の家があるお気に入りのコースを通り、折り返し点で少し運動をして身体をほぐして、近くの地蔵に願いごとをして戻って来ます。その往き帰りに薔薇の花に少しだけ近づき、芳香を感じてコロナの憂いを払い、健康を確認するのです。時に、文武両道に秀でた戦国武将が愛でた薔薇はどんな色や香りだったのか、と想像しながら朝の散歩道を楽しんでいます。

(注)「漢詩のこころ 日本名作選」(林田慎之助 講談社現代新書)から引用。

目に見えない大切なもの(6月号掲載分)

 新型コロナウイルス感染症の蔓延は、このコラムを書いている4月末時点では、いまだに終息に向かう気配は明確になっておりません。そんな中、ふと外を見ると、季節は進み、自然はいつもと同じ歩みを続けています。屋島は新緑で山笑い、ハナミズキやツツジが薄紅色や赤や白の可憐な花をつけています。正に「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」です。
 人類の歴史は、感染症との戦いの歴史でもあります。古くは天然痘やペスト、20世紀初頭のスペイン風邪の大流行、最近でもSARSなど新しい感染症が流行して、結核も再興しています。そして今、新型コロナウイルスという目に見えない強敵と戦っています。特に、医療現場で懸命に奮闘されている関係者の皆様に心から敬意と感謝を申し上げます。
 目に見えないものと言えば、サン=テグジュペリの「星の王子さま」の有名な一節を思い出します。「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」というキツネが王子さまにいった言葉です。ウイルスという見えない敵は克服していかなければなりませんが、その後には、みんなで協力して乗り越えたと振り返られるように、「絆」や「愛情」、また、親子や家族で過ごした貴重な「時間」など、目には見えない大切なものがあったことを今から意識しておきたいものです。
 感染拡大を防ぐために意図的に人と人との距離を保つ「社会的距離戦略」を取ることも勧められています。本来、人間は気の合う仲間と集まり、スキンシップも交えながら社会を作って来ました。そのため、社会的距離を常に保つことは、ストレスともなり得るものですが、感染症予防にとってはとても重要なことですのでご協力をお願いします。
 一日も早くこの非常事態が収束して、人間本来の心の通った社会が取り戻せることを祈ってやみません。

新しい結(ゆい)を求めて~広報紙と自治会(5月号掲載分)

 今月号から「広報 高松」は、紙面のリニューアルを行いました。「みんなに伝わるやさしい広報紙」と「まちをもっと好きになる広報紙」という2つのコンセプトを掲げて、これまで以上に読みやすく分かりやすい紙面づくりを目指してまいります。また事業者や地域コミュニティ協議会を通じて、全世帯にお届けできるよう配布方法を見直し、発行回数は月2回から月1回に変更します。見直しに伴い減少する情報量を補い、情報の鮮度を確保するため、QRコードにより本市ホームページなどと連携して詳細情報を得ることができるようにするなど、さまざまな工夫もしてまいります。
 「広報 高松」は、これまで自治会の皆さまの手で配布していただいていました。補完措置としてコミュニティセンターなどに配置するとともに、グループによる受け取りやホームページ上での閲覧も可能でしたが、自治会加入率が60%を下回る現状では、必要な情報が広く市民に行き渡らず、広報紙本来の機能と役割を果たし得ない恐れがあると判断して、今回の見直しに至ったものです。
 ところで、私は、今年の年頭に当たっての抱負を表す漢字として「結(むすぶ)」を掲げました。物をつなぎ合わせる、集まる、そして、約束するという意味を持ちます。また、住民が助け合って農作業や手間替えなどを行う「結(ゆい)」と呼ばれる組織のことを表します。
 広報紙は、文字や図画、写真を中心とした情報で市民と行政を結ぶもの。そして、自治会は人と人、人と地域を結ぶ住民自治の基礎となるべき組織です。「広報 高松」の配布方法も含めた全面リニューアルを機に、自治会の在り方を見直し、再生を図っていくことが必要だと考えています。言わば地域に合った「新しい結(ゆい)」を構築するための取り組みが求められるのです。

合言葉は「きょうなにするん」(4月1日号掲載分)

 「きょうなにするん」が合言葉となった高松市のユニークな独自事業である「芸術士派遣事業」が始まって10年が経過しました。優れた幼児教育として世界的に知られるイタリアのレッジョ・エミリア市のアトリエリスタという職業による芸術教育を摸した取り組みを行いたいと、「NPO法人アーキペラゴ」(三井文博代表)から提案があったものを全国で初めての試みとして取り入れたものです。始まったのは、第1回の瀬戸内国際芸術祭が開かれる前の年の秋。さまざまな芸術分野に高い知識を有する「芸術士®」(注)が市内各所の保育園などで子どもたちと行動を共にしながら、その興味や芸術表現をサポートするアートな保育が10年間、続けられてきました。「きょうなにするん」展のパネルや報告冊子の写真に見られる、一寸の邪気も無い子どもたちの笑顔と、好奇心や歓喜に満ちあふれて光輝く瞳を見るだけで、この事業が大きな成果を残し得ることを確信できます。
 芸術士と子どもたちの共同作業による創造の現場の様子を聞いていると、「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅語が思い出されます。鶏のひなが卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてる「啐(そつ)」と、そのときすかさず親鳥が外から殻をついばんで破る「啄(たく)」が同時であってはじめて、卵からひなが産まれます。殻を破ろうとする者と、それを導く者。そんな両者の「啐」と「啄」がピタリと同時に行われるというのが師弟の理想であるとされているのです。親鳥が芸術士、卵の中のひなが子どもたち、と考えると、保育園などで行われる芸術活動を通して「啐啄同時」が何度も実践され、元気の良いひなが生まれ、大きく育ってきたことが窺(うかが)えます。
 「きょうなにするん」と、いつも待ち切れない子どもたちの意欲と創造力を引き出しながら続いて来た「芸術士派遣事業」。次の10年の展開とその成果が楽しみです。
(注)「芸術士®」は平成26年にNPO法人アーキペラゴにより商標登録されました。

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