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市長どっとコム(平成28年度)

更新日:2018年3月1日

「繋ぐ~ネットワーキング」(3月1日号掲載分)

 今年は「繋」という字を色紙に書いて掲げました。漢字一文字で表した私の新年の抱負です。人口減少、少子・超高齢社会の本格化の中、孤立しがちになる地域やヒトやモノをさまざまな手段で「繋ぐ」こと、これが強く求められていると感じています。特に、輪や網のように繋がること、「ネットワーク」というものが重要です。そして今、私が最も大切にしたいと思っているネットワークが次の三つです。
 一つ目は情報のネットワークです。世は高度情報化時代。インターネットの発達で世界中がフラットにリアルタイムで繋がっています。そんな中、昨年4月、G7香川・高松情報通信大臣会合が本市で開催され、成功裡(り)に終了しました。ICTが地域活性化に寄与することに共通理解が得られ、「デジタル連結世界憲章」が高松から世界に発信されました。今後、G7会合の開催都市の誇りを持って、IoTやAIと言った最先端技術の動向も見ながら、スマートシティ構想やデータの利活用などを進めてまいりたいと思います。
 二つ目が交通のネットワークです。利便性が高く快適に暮らし続けられるまちを作っていくため、コンパクト・プラス・ネットワークのまちづくりを進めています。中心市街地と地域の拠点に都市機能などを集約し、それを道路や電車・バスなどでつないでいくことが重要です。特に、広域的な利便性を高めていくために結節機能を強化しながら公共交通網をより充実させていく必要があります。そのため、ことでん琴平線の複線化や三条~太田駅間の新駅の設置などを具体的に事業化してまいります。
 三つ目が福祉のネットワークです。地域における人と人のつながりを強化してコミュニティを再生し、多様な主体が参画して、住まい、医療、介護、予防、生活支援が一体的に提供されるいわゆる地域包括ケアシステムを構築していくことが喫緊の課題です。高齢者が在宅を基本に、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最後まで続けることができるような助け合いのネットワークが求められているのです。
 「繋ぐ」こと、ネットワーキングと呼ばれる活動は、あらゆる分野における参画と協働のまちづくりに不可欠であり、地域の新しい創造や発展の原動力にもなるものだと思っています。

「人生という道」(2月1日号掲載分)

 人生は、よく道に例えられます。去る1月8日に行われた高松市成人式のテーマも「道~未来への歩み~」というものでした。二十歳になり人生の大きな節目を迎えられた成人一人一人にこれまでの歩んできた道があります。それを振り返りながら、親や友人や先生などお世話になった人たちに感謝をし、未来に向かって自分の道を切り開いていって欲しいと思います。
 人生の道といえば、徳川家康の遺訓が有名です。曰く、「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。・・・」これもまた真実でしょう。でも、人生の道は苦しいことばかりではありません。
 歌人の俵万智さんに「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」という短歌があります。どんな寒さでも恋人や親友など、本当に親しい人同士で分かち合えば心のあたたかさに変わるということです。人生の道を歩むのはそれぞれ孤である自分一人だけかもしれません。でも親や友人、恋人や伴侶、子どもなど言わば人生の先導者や伴走者の存在により、道は様々に彩られます。そして、他者の存在があってこそ人生の道は先に伸び、人は歩を進めることができるのではないでしょうか。
 「人生の道」は「命」という言葉に置き換えても良いかもしれません。松尾芭蕉に次のような句があります。
 命二つ 中に活きたる 桜かな
「(20年ぶりに)友人2人が命あって再会することができた。その喜びの2人の中に桜がいきいきと咲いている。」というものです。友人2人の人生の道が再び交わった喜びが表されています。同時に命は、自分一人だけのものではない。自分の命も他人の命によって支えられているのだということです。
 「道」というタイトルの宇多田ヒカルさんの歌が昨年ヒットしました。宇多田さんの人生の道においてその始まりから常に見守り、今も、そしてこれからも励ましてくれるであろう亡くなられたお母さんに捧げた歌だと言われています。そして、英語で繰り返し歌われるサビの部分は「(人生は)孤独な道だけれど、一人じゃない。」という意味です。
 新成人の皆さん、周りの人への感謝を忘れず、急がずしっかりと自らの道を歩んでいってください。

「未来を創ろう」(1月1日号掲載分)

 宇宙船のようなチタンの球体が近代的なビルから今にも浮かび上がりそうです。そんなユニークな外観を持った「たかまつミライエ」が昨年11月23日に待望のオープンをしました。プレイルームを持つ子育て支援ゾーンや自然科学展示、プラネタリウムも併設した「こども未来館」を中心に、児童書を充実させた「夢みらい図書館」、高松空襲などに関する資料展示で平和の尊さを伝える「平和記念館」、男女共同参画社会の実現を目指す各種活動の拠点となる「男女共同参画センター」などを擁する高松市の新しい複合施設です。「ミライエ」の愛称は、子どもたちの未来を育む家のように安心できる施設との趣旨でつけられています。
 入り口のドアを入ると愛らしくも奇妙な姿の昆虫のキャラクター、Pちゃんのレリーフが目に入ってきます。長らくニューヨークで活躍され、最近本市に里帰りをされた川島猛先生の作品『Angel P's Dream land』です。天使のPちゃんが見ている夢の世界。「P's」はピース(平和)にもつながります。ミライエにぴったりのわくわくするような明るく楽しい玄関となりました。
 こども未来館の名誉館長には、香川県出身の著名な宇宙物理学者である佐藤勝彦先生に就任いただきました。「ふるさとの子供達の未来のためになるのなら」と快くお引き受けをいただき、本当にありがたく思います。開館日には「宇宙に生命はあるのか」というテーマで記念講演も行っていただきました。
 その日、佐藤先生が求められて色紙に書かれた二つの言葉が強く印象に残っています。一つは『美は真、真は美』というものです。19世紀初頭に生き、25歳で夭折(ようせつ)したイギリスの詩人ジョン・キーツの「ギリシャの壺に寄す」という詩の中の言葉でした。宇宙の真理を追い求める科学者である佐藤先生もそこに美を見出し、それが真実の対象なのだという哲学的な思いを持たれているのかも知れません。もう一つが『未来を創ろう』という言葉です。宇宙と同様に子どもたちの未来も無限大です。まさに「ミライエから未来へ」向けて新しい時代を創っていこうという希望に胸が大きく膨らみます。
 新年が始まりました。その新鮮な日々の中で、改めてこの二つの言葉をじっくりと味わってみたいと思います。

「気がつけばもう師走」(12月1日号掲載分)

 歳のせいでしょうか。と言うと、まだ若いのに、と言い返されそうですが、1年が経つのがすごく早く感じるようになってきました。今年も気がつけば12月号のコラムを書いています。
 歳をとるにしたがって、人が感じる時間の経過が早くなる、とよく聞きます。その理由として挙げられるものに「ジャネーの法則」があります。「主観的に記憶される時間の長さは、年齢と反比例的な関係にある」という仮説です。同じ1年であっても、10歳の子供にとっては人生の10分の1ですが、60歳の大人にとっては60分の1です。年齢に対する比が小さいほど(過去の)時間が短く感じられるので、加齢によって時間が早く過ぎるように感じる、というわけです。もっともらしい説で一理あるのでしょうが、そんな単純なものではないような気がします。
 代謝によるものだという説もあります。心的時計は、身体的代謝が活性化しているときに速く進み、逆に代謝が落ちると、遅くなるというものです。加齢により代謝が低下することで物理的時計の方が心的時計よりも速く進み、時間の経過を速く感じることになるというものです。(注釈)
 いずれにしても今年も残すところあと1か月となりました。私の場合は、57分の1でかなり足早に過ぎ去ってしまった1年ですが、一つ一つ思い起こせば、公私共々いろいろな出来事がありました。
 公的には今年は大きな国際イベントがありました。4月末に開催されたG7香川・高松情報通信大臣会合と3回目の開催となった瀬戸内国際芸術祭2016です。G7会合では、主要7カ国とEUなどの代表団が高松に集まり、これからの情報通信技術の発展に関して貴重な合意がなされました。また、瀬戸内国際芸術祭では、多くの来場者で賑わい、外国人の割合が前回より10ポイント程度も増えました。高松の国際化が大きく進んだ印象を受ける1年だったと思います。
 年は唯 黙々として 行くのみぞ
 高浜 虚子
 行く年の物理的時計は、黙々と進んでも、心的時計は歳相応にゆっくりと進めて行きたいものです。でもそうすると、気がつけばもう新年でしょうね。
注釈:時間感覚に関する記述は、「柏崎総合医療センターホームページ『院長の部屋』(2015年7月9日)」を参考にしました。

「まされる宝 子にしかめやも」(11月1日号掲載分)

 銀(しろかね)も 金(こがね)も玉も 何せむに
 まされる宝 子にしかめやも
 万葉集に収められている山上憶良(やまのうえのおくら)の有名な句です。子どもが何にも勝る宝だとするこの歌の思いを多くの市民と共有しながら、市政の最重要課題の一つである子ども子育て支援施策の推進に取り組んでいくことが大切です。そして、「子育てするなら高松市」と胸を張って言えるような良好な環境を整えていきたいと思います。
 そんな中、嬉しいニュースが入ってきました。「にっぽん子育て応援団」が全国の県庁所在都市など主要108自治体において、子育て分野におけるNPO、市民活動団体との連携状況などについて調査した結果、高松市が横浜市に次いで全国第2位の高い評価を受けたのです。6つの調査項目のうち、高松市は「施設型給付事業の実施状況」など4項目で満点の6点、「地方版子ども子育て会議」の項目が4点、「子どもの貧困対策」は残念ながら0点で合計28点でした。この結果を見ると、少なくとも「子どもの貧困対策」を除いた今回の調査項目においては、高松市の施策も十分胸を張れる水準にあると言っていいと思います。
 一方で、今年の4月時点での本市の保育所の待機児童数が全国ワースト9位であるという悪いニュースもありました。待機児童数については、カウントの仕方が自治体間で統一されていないなどの問題はありますが、ワーク・ライフ・バランスの推進度合いを測る中心的な指標であります。保育所や認定こども園の新増設による定数増をはじめ、さまざまな工夫を凝らして待機児童ゼロを目指していかなければなりません。そして、出産育児で仕事を離れることで生まれる女性就業率の低下、いわゆるM字カーブを解消すると同時に、男性の意識と働き方の改革を図っていくことが何としても必要です。
 山上憶良が、宴の席を退出するときに詠んだ次のような一首があります。
 憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ
 其も彼の母も 吾(あ)を待つらむそ
(憶良はもう帰るといたします。子供が泣いているでしょうし、その子の母も私を待っているでしょうから。)
妻や子が待っているので家に早く帰る。そんなことの実践がイクメンを増やし、社会全体のワーク・ライフ・バランスを図っていく第一歩かも知れません。

「リオの興奮から東京の熱い夏へ」(10月1日号掲載分)

 その瞬間、高橋礼華(たかはしあやか)選手は両手の拳を天に突き上げながらそのまま倒れるようにコートに寝転がり、全身で喜びを爆発させました。一方の松友美佐紀(まつともみさき)選手はパッと後ろを振り返り、その場でピョンピョン跳ねてガッツポーズをして屈み込むと、これ以上ないような人懐こい満面の笑みを浮かべていました。オリンピックバドミントン競技で日本初の金メダルを獲得した「高松ペア」の優勝決定の場面です。ペアの愛称が「タカマツ」である故をもって、2年ほど前から大きな大会で優勝したときに祝電を打つなどして勝手連的に応援をしてきました。金メダル獲得によって「高松が世界一」と、喜びも頂点に達した感があります。
 今年の夏は、本当に暑い熱い夏でした。猛暑日と熱帯夜が続いた連日の外気温の高さもさることながら、8月5日から21日まで、17日間にわたって地球の裏側で開催されたリオデジャネイロ五輪での日本選手の活躍に、寝不足気味になりながらも、日本全体が大いに湧き上がり、熱くなりました。金メダル12個を含む41個のメダル獲得は、前回のロンドン五輪の38個を上回り、過去最高ということで、4年後の東京五輪に向けて大きな弾みがつきました。ただし、今回の五輪でも残念ながら高松市出身の出場選手はおらず、香川県出身で見ても、陸上棒高跳びの荻田大樹選手一人でした。4年後の真夏に開催される東京五輪が今回以上に熱く盛り上がることは間違いないでしょう。その時には是非とも本市出身選手などの身近な選手の晴れ舞台での大活躍を期待したいと思います。

 ところで、このコラムの連載が今回で100回目を迎えました。市長に就任した年の8月に「文化の重視と人間性の回復」と題して一文を掲載してから、市長選挙期間中の2度の休載を挟んで9年と2ヶ月で100回に到達です。「市長どっとコム」の名称は、市民の皆さまとのコミュニケーションを大切にする通信文でありたいとの趣旨です。時にはご叱正をいただくこともありましたが、温かいご意見などは、本当に励みになりました。今後ともあまり肩苦しくなりすぎないように気をつけながら、時々の話題を記していきたいと思います。お付き合いのほど、宜しくお願いします。

「清潔で美しいまちづくり」(9月1日号掲載分)

 最近、高松を訪れる外国人が急速に増加しています。そして、来訪された多くの方から、「あなた方の都市は本当に美しい」というお褒めの言葉をいただきます。4月末に開催されたG7香川・高松情報通信大臣会合の各国代表団の方々も一様にそのような感想を漏らしていました。
 日本で最初に国立公園に指定された瀬戸内海の穏やかな多島美や屋島が自然景観として美しいということもあるでしょう。また、国の特別名勝にも指定されている栗林公園の一歩一景と言われる庭園美は、世界に自慢できるものだと思います。ただ、それだけではありません。景観美に加えて、特に外国の方が感心されるのが、よく手入れされて美化されている街の環境です。
 このような環境は一朝一夕に生まれたものではありません。高松市は、昭和54年に「環境美化都市宣言」を行い、翌年の昭和55年に策定された「高松市民のねがい」の最初の項目には、「自然を愛し 清潔で美しいまちづくり」が掲げられています。共通の目標を掲げながら、長年にわたり積み重ねられてきた市民と行政と企業、団体などとの共同作業が、今日の評価につながっているのです。
 高松市では、毎月第1木曜日をサンポート高松・中央通り等一斉清掃日として、沿線にオフィスを構える企業などの協力も得て清掃活動が行われています。さらに、行政と地域住民が一体となって不法投棄ごみの一斉清掃活動を行う屋島クリーン大作戦や高松エアポートクリーン作戦などのイベント仕立ての取り組みも全国に先駆けて行われてきました。加えて、平成20年から毎年10月の第4日曜日に行われている「高松クリーンデー“たかまつきれいでー”」では、衛生組合などが中心となり、言わば市内丸ごとクリーン大作戦が行われます。これに参加する市民の数は、約4万人から、多い年で約5万人に上るということです。また最近では、G7情報通信大臣会合や瀬戸内国際芸術祭などの大きなイベントの開催に合わせて、「おもてなしクリーン作戦」というものも随時行われています。
 一方で、まだまだたばこのポイ捨てや不法投棄などは後を絶たず、課題は残されています。活動を継続しながら「清潔で美しいまちづくり」を次の世代につなげていくことが大切です。

「初めての「山の日」を迎えて」(8月1日号掲載分)

 8月11日は「山の日」。今年から始まる国民の祝日です。その趣旨は、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことであるとされています。
 その「山の日」の制定に大いに関係する高松出身の先人がいます。小島烏水(こじまうすい)という人です。1873年(明治6年)に高松藩の家老格の家柄である小島家に生まれ、明治8年に一家で上京。横浜商業学校卒業後、横浜正金銀行に入行し、シアトル支店長などを歴任。「日本アルプス」などを著し、文筆家であると同時に登山家としても知られ、明治38年、日本山岳会初代会長となっています。日本山岳会は「山の日」制定運動の中心的存在でした。
 平成25年には、日本の山岳登山の父とも言えるこの小島烏水をたたえようと、峰山公園に顕彰碑が建立されました。その後、毎年4月に日本山岳会の主催で、「小島烏水祭」が高松で開催され、当日は全国から多くの山の愛好家が集まります。烏水の子孫の方々や、日本を代表する著名な登山家も来られ、烏水の業績をしのびながら、山にまつわる様々なお話が聞ける楽しい会合となります。
 一方で、高松市内で山といえば、いわゆる里山の存在が身近です。居住地近くに存在する里山は、生活の一部としてさまざまな形で利用されています。高松市では、平成21年度から、「いざ里山市民活動支援事業」を実施し、日山、堂山、勝賀山など、市内16か所の里山でおこなわれているさまざまな市民活動に対して支援をおこなってきました。今では多くの市民が近くの里山を、登山や休養、自然学習などで楽しみ、より親しみを増しています。
 小島烏水が愛した日本アルプスの山々も、市民が親しむ里山も、姿、形など山容は全く違えども山は山。初めての「山の日」を迎えるにあたり、小島烏水の著した一文を記し、山の有り難さに敬意を表しておきたいと思います。
 山を讃する文(抄)
 昨日の我は今日の我にあらず、今日の我はおそらく明日の我にあらざらむ、而してこれ向上の我なり、いよいよ向上して我を忘れ、程を逐ひて自然に帰る
 山は、向上心の象徴であり、最後は自然と一体化できることがその魅力である、ということでしょうか。

「ICTの発達と人間性」(7月1日号掲載分)

 4月29日と30日に開催されたG7香川・高松情報通信大臣会合が、成功裡に終了しました。本会合では、新たなICT(情報通信技術)の普及する社会における経済成長の推進やセキュリティの確保等につき活発な議論が行われ、成果として、「デジタル連結世界憲章」などが採択され、G7(主要7か国)としての力強いメッセージが高松から発出されました。
 高度に発達したICTは、現代社会においてなくてはならない最重要技術の一つです。しかし、それはあくまでも人間の生活を豊かにするための手段にすぎないことを忘れてはなりません。昨年の12月に行われたG7学生ICTサミットin高松でも、各国の若者からスマホへの依存や中毒といった弊害が指摘され、「最も大切なのは、ICTの無限の可能性を理解したうえで、テクノロジーを扱う術を教え、リスクを理解させて、将来のICTと人類の共存を実り多いものとすることだ。」という意見が出されました。
 高松出身の文壇の大御所、菊池寛が勝負事に関して次のような名言を残しています。「最善の技術には、努力次第で誰でも達し得る。それ以上の勝敗は、その人の性格、心術、覚悟、度胸によることが多いであろう」。技術を高めていくことは、重要なことであり、その努力を惜しむべきではないが、最後のところでものをいうのは、その人の人間性である、ということでしょう。
 一方、ICTの進化のスピードは凄まじいものがあります。VR(仮想現実)技術はさまざまな分野で高度に応用されています。AI(人工知能)では、難しいとされていた囲碁でもプロ棋士を打ち負かすものが開発されました。また、IoT(もののインターネット)というものが登場し、センサーがデータを入力し、人為なくしてインターネット経由でモノとモノがコミュニケーションをするといったことが可能になっています。手段として用いる技術の領域を超えたところにまでICTが進んできたのかもしれません。
 しかし、技術をコントロールする手を離してしまってはいけません。むしろ、どうすればICTの発達を人間性の回復に役立てることができるかといった視点が重要です。いみじくも学生ICTサミットの提言は、「The Future in Your Hands」と題されています。

「空き家とまちづくり」(6月1日号掲載分)

 近年にわかにクローズアップされ、大きな社会問題になってきているのが急増する空き家の問題です。高松市においても平成26年に全市域を対象に空き家の実態調査を行った結果、一戸建てだけで約5900戸の空き家が存在し、このうち935戸が老朽化による倒壊の恐れがあるなどの危険な空き家になっています。住む人がいなくなり適切な管理が行われていない空き家は、防災、防犯、衛生など様々な面において、生活環境に悪影響を生じさせます。特に地方都市においては、少子・高齢化と若者の大都市への流出、人口減少により、空き家の増加が顕著であり、その対策が急務となっています。
 このような事態に対処するため、国においては「空家等対策の推進に関する特別措置法」が作られ、昨年5月から全面施行されています。本市においても、昨年10月には「空家等の適切な管理及び活用の促進に関する条例」を施行し、空き家対策に鋭意取り組んでいるところです。また、香川ビルメンテナンス協会との間で全国初めてという「空き家等の適正な管理の推進に関する協定書」を締結したところです。
 老朽化などにより倒壊する恐れがある危険な空き家の除却等について、法令等に基づき、早急に対策を講じていく必要があることは言うまでもありません。同時に、空き家の適正管理を促進するとともに、居住可能な空き家については、その利活用を積極的に図っていくべきだと思います。つまり、コンパクトなまちづくりや移住交流の促進、子育て支援や創造都市づくりといった本市のまちづくりの方向性と調和させながら、各種施策と連携した空き家等の利活用方策を検討していくことが重要です。実際、男木島や仏生山町などにおいて、移住者の住まいや新店舗として空き家を有効に活用した事例が話題になるなどの動きも出始めています。さらに、空き家バンクの活用を図りながら、地域コミュニティ協議会等が防災物品の備蓄や高齢者の居場所づくりの場等として公共的な利活用を行う場合のマッチングを、これまで以上に積極的に行っていく必要があります。
 空き家対策は、待ったなしの深刻な課題です。一方で、その有効な利活用により、良好なまちづくりの一助とするチャンスでもあると考えています。

「姉妹城都市50周年」(5月1日号掲載分)

 今年は、昭和41年に高松市と彦根市が「姉妹城都市」の協定を締結して50周年の節目の年に当たります。この縁組は、幕末の彦根城主井伊直弼(いいなおすけ)の息女千代姫(ちよひめ)が第11代高松城主松平頼聰(まつだいらよりとし)公の奥方として輿入れした史実を背景に、全国初の城と城との提携をして観光振興に役立てようと結ばれたものです。そして、彦根市が仲立ちをして高松市と水戸市が昭和49年に「親善都市」の提携を行いました。高松松平藩の初代藩主松平頼重(よりしげ)公が水戸徳川家から来られた歴史的なつながりを背景としたものです。水戸市と彦根市も、安政の大獄や桜田門外の変以来の敵対した関係にあったわだかまりを超え、明治100年に当たる昭和43年を機に「親善都市」の盟約を結んでいます。このように高松市と彦根市が「姉妹城都市」、彦根市と水戸市、水戸市と高松市が「親善都市」の関係にあり、歴史上様々な絡みを持ったこの三市で毎年持ち回りの「観光と物産展」を開催するなど、活発な交流を行ってきています。
 ところで、姉妹城都市協定締結の元となった松平頼聰公と千代姫のご結婚の歴史を紐解いてみると、激動の時代に翻弄された史実が伺えます。千代姫が頼聰公に嫁いだのが安政5年(1858年)4月。その2年後の万延元年(1860年)3月に大老井伊直弼が桜田門外の変で水戸藩士に暗殺されます。この事件が元で、井伊家とともに松平家にも謹慎などの処分が下り、文久3年(1863年)わずか5年の結婚生活で千代姫は松平家を去り、彦根に戻されました。しかし、明治維新を経て、明治5年(1872年)二人は復縁します。その9年の間、お互いに独り身を通されたお二人。深い愛と強い絆に結ばれていたに相違ありません。再婚された後は、三十余年を仲睦まじく、穏やかに暮らされたということです。
 本市では、姉妹城都市提携50周年を記念して、記念式典などの開催を予定しております。また、民間においても、頼聰公と千代姫の物語が短編オペラとして上演されるとともに、7月上旬には、彦根市と高松市の間で特別列車を走らせて婚活イベントを行おうという話も実現しそうです。
 まさに「都市に歴史あり」です。それを大切にしながら、交流を充実していきたいと思います。

「明日頑張ろう」(4月1日号掲載分)

 毎朝聞いて、何度も口ずさんだ方も多いのではないでしょうか。NHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」の主題歌「365日の紙飛行機」です。聞きやすく、頭に残るメロディーと歌詞で、私も、サビの部分が何度も頭の中で響いていた時期がありました。作詞をした秋元康さんによると、屈託なく人生の空を飛んで行ったヒロインの生き方を、上手に飛んだ時には風と友達になるかのような紙飛行機になぞらえた、ということです。一年365日、一日一日、気負わずに生きていけば良いのだと、慰め励ましてくれる人生の応援歌だと思います。
 四月は新しい年度が始まる月です。進入学や就職、転勤などにより、引っ越して新しい土地で生活を始められる方も多いことでしょう。人生の節目となる旅立ちには、夢や希望があると同時に、不安や戸惑いもついて回ります。そんな時に、こんな人生の応援歌が気持ちを和らげ、背中を押してくれるのではないでしょうか。
 この歌の中で、私が特に気に入っているのは、今日がつらくてもなんとかやり過ごして、明日頑張ろう、というところです。過去のことにくよくよせず、前を向いて進むしかない、未来はこれからだという、ヒロインの明るい楽観主義的な性格が現れています。
 この歌詞を聞いて、かつて坂本九さんが歌った「明日があるさ」という歌を思い出しました。毎日すれ違う片思いの彼女に想いを告白しようとしながら果たせず、明日があるさ、と励ます歌です。それと映画「風と共に去りぬ」のラストシーンも脳裏に浮かびました。夫のレット・バトラーに愛想を尽かされ見放された主人公のスカーレット・オハラが、涙を拭いながら次のように言います。「Tomorrow is another day.」
映画の題の「風」に掛けて「明日は明日の風が吹く」と訳されることが多い有名な台詞です。「あさが来た」の主人公のモデルとなった広岡浅子さんも、感情がとても豊かで型破りな女性です。何事にも決して諦めない人で、座右の銘は「九転十起」。実業家としても成功し、スカーレット・オハラと似ていると言えなくはありません。新年度の始まりに当たって、この二人の女性の明るさと強さに学びたいと思います。
 今日はダメでも、「明日頑張ろう」。

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