堆朱篳篥筥
更新日:2019年1月18日
工芸品
指定区分 市指定有形文化財
指定年月日 平成27年3月31日
所在地 高松市美術館(高松市紺屋町10-4)
解説
玉楮象谷(西暦1806年-1869年)は江戸時代後期を代表する漆工で、中国や東南アジア伝来の彫漆(ちょうしつ)・存清(ぞんせい)・蒟醤(きんま)といった漆器の技法を研究し、独自の作風を確立し、讃岐漆芸の祖として知られる。
本作品は京都興正寺門跡の本寂(ほんじゃく)の用命で制作された篳篥(ひちりき)を収納するための箱である。朱を塗り重ねた堆朱で、卯の花と牡丹唐草を彫り表している。蓋が扇のようにスライドして開く。蓋裏には「大日本讃岐国玉楮為参謹製」と金名彫されている。箱書裏に「弘化丁未冬創嘉永辛亥夏六月なる成玉楮為参謹造」とあり、弘化4(西暦1847)年冬に作り始め、嘉永4(西暦1851)年6月に完成している。
高松市指定有形文化財「玉楮象谷関連資料」の『御用留』によると、嘉永4年(西暦1851年)7月27日指出し、9月2日門跡より、御達書の他に制作費、煙草入、扇子5本、直筆の書が届けられた。また次のような制作経緯の記述がある。弘化4(西暦1847)年京都興正寺からの使いの僧が別院(高松市御坊町)に下ってきた。諸門徒は種々の品を献上したが、象谷は適当なものがなく、出来合いの富士山の図の堆朱の香合を献上した。ほどなくして象谷は、門跡より篳篥を入れる箱の制作を依頼されたようである。ところが、どんな図柄にしたら良いか分かりかね、翌年11月、興正寺を訪ねて直接問い合わせた。事の次第を話すと、同寺の役人より門跡がお礼を述べたいと仰せだという。象谷は連れの二男とともに書院に出向いた。門跡がお出ましになり、ねぎらいの言葉とともに長い柄の銚子で酒を注いだ盃を三方に載せて下され、帰りにお菓子をいただき、宿に戻った。
本寂は、関白鷹司政通の息男で朝廷内への影響力も大きく、勤王護法で聞こえ、風雅の道にも通じていた。後に慶応4年(西暦1868年)鳥羽・伏見の戦いで高松藩が官軍に発砲したかどで朝敵と見なされるようになったとき、本寂はこれを憂慮し、朝廷中枢部の意向を打診し、高松側に伝える重要なパイプ役を果たした人物でもある。
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