更新日:2019年1月21日
市指定有形文化財
平成30年3月30日
高松市昭和町一丁目2番20号 高松市歴史資料館
鯱(しゃちほこ)の本躰(ほんたい)は、高さ192.7センチメートルを測る青銅製の鋳物で頭部の両側面には記銘があり、これに後補の胸鰭(むなびれ)が付属する。外観はシンプルなつくりで細身のフォルムを呈するもので、鰭部分を除いて中空になっている。
本躰の記銘については、頭部の左側面に「寶暦(ほうれき)八 戊 寅年 二月吉日」、右側面には「讃州高松住 鑄(ちゅう) 森田新八尉(じょう) 工 方壽 作」と刻書されている。
高松城天守の鯱について記載されている古文書として「盛衰記(せいすいき) 水」、「小神野茟帖(おがのひっちょう) 仁(に)」、「小神野夜話(おがのやわ) 壹(いち)」、「小神野夜話 巻一」、「消暑漫筆 (しょうしょまんぴつ) 壹」が知られている。これらの古文書から、鯱は元々焼き物であり、宝暦7年(1757)まで幾度かの洪水により破損し、同年8月に藩主が鋳物師の新八に修理を命じ、翌年2月に鯱の鋳物が完成したことが分かる。また、付属の胸鰭の裏面には「嘉永(かえい)二歳 酉五月改 鍛冶直造 忰(せがれ) 源兵衛」の記銘があり、古文書の記録にはないが、嘉永2年(1849)に修理されたことも分かる。
現在に至る経過についてみると、天守解体の直前になる明治15年(1882)12月30日に撮影されたケンブリッジ大学蔵「高松城天守閣の写真」の鯱は、細身の造りや胴部の反り、二股になる尾鰭の開き具合が酷似していることから、本鯱であると理解される。
明治17年(1884)の天守解体後は、高松藩家老の御子孫に伝わるところによると、解体を行った陸軍省が鯱2口を払い下げ、1口が神戸の骨董屋、他方の1口が兵庫町の住人により所有された。
そして後者のものが後に松平家に返却されたとの謂れが残り、昭和29年には、高松城跡とともに本市が所有することとなった。
以後、本鯱は平成4年に高松市立玉藻公園より高松市歴史資料館に移管され、展示及び保管されている。
以上より、本鯱は、古式の鋳造方法により製作された、天守に相応しい大形の青銅製品であり、高松城天守鯱として来歴の明白な歴史資料である。また、細身の形態でシンプルな意匠は類例に乏しく、記銘と古文書により年代が確定できる点において、学術的にも高い価値を有するものである。
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