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市長どっとコム(平成27年度)

更新日:2018年3月1日

「「寛」という字あれこれ」(3月1日号掲載分)

 年頭の記者会見で、「新年の抱負を漢字一文字で表すと何ですか」という質問を受け、「寛」という文字を色紙に書いて提示させていただきました。地方創生や創造都市づくりを推進するに当たって、開放性や多様性を大切にしたまちづくりを行う必要があり、そのためには常に寛容の精神が求められるとの思いからです。
 私が、創造都市推進をまちづくりのテーマとして掲げるきっかけの一つとなった「クリエイティブ都市論」という本の中で、著者のリチャード・フロリダは、「寛容でない場所は決して発展しえない。加えて、寛容でない地域の住民は、寛容で開放的な地域の住民よりも幸福感や満足感が低いのである。」と述べています。都市や地域コミュニティにおいても、多様性(ダイバーシティ)を認める寛容性が確保されていることが発展のために必要な条件であると指摘しています。
 「寛」という字の成り立ちは、「祖先を祭る廟(みたまや)の中で、眉を太く大きく描いた巫女がお祈りしている形」から来ており、「ゆるやか」や「ゆたか、ひろい」の意味となるそうです(注釈)。名前に使われることも多く、すぐ思いつくところでは、菊池寛の「寛」であり、良寛さんの「寛」です。
 菊池寛は言うまでもなく、郷土高松が生んだ偉大な小説家であり、雑誌「文藝春秋」を創刊し、芥川賞、直木賞などを創設、「文壇の大御所」と呼ばれた実業家でもあります。名は体を表すで、その生涯を通じた様々なエピソードを見ても人間的におおらかで、広(寛)い心を持った人物であったことが伺えます。
 また、良寛は江戸時代後期の僧侶で、生涯無一物を貫き、子どもと無邪気に遊ぶ姿が象徴的に伝えられる清貧で無欲の人です。一方で優れた歌人、漢詩人であり、書家でもありました。様々な顔を持つ器の大きな人だったことが想像できます。特に独特の書文字は、「弱さに強さがある」と評される比類のない美しさがあり、その心の広(寛)さを感じます。
「この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし」
 この良寛の詩に象徴されるような寛大さと優しさを少しでも見習い、心がけてまいりたいと思います。

注釈:「常用字解」白川静 平凡社参照

「合併十周年を祝って」(2月1日号掲載分)

 高松市が平成17年9月に先行して塩江町と、そして平成18年1月に牟礼町、庵治町、香川町、香南町、国分寺町と合併をして、ちょうど10年が経過しました。約33万人だった人口が約42万人と1.3倍に増加し、面積が約195平方キロメートルから約375平方キロメートルと1.9倍に広がりました。結果、現在人口で全国790市中、上位38番目(注釈)に位置する中核都市として発展を続けてきています。高松市の合併は、「平成の大合併」という国策の流れの中で行われましたが、当然そうすんなりと成立した訳ではありません。合併前後には、それぞれの町で厳しい議論が展開され、住民投票を行ったところもありました。まさに難産の末の合併であったと言っても過言ではありません。
 合併により、旧町が有していた豊富な地域資源を新高松市が引き継ぐことになりました。塩江町には豊かな森林と香川県随一の塩江温泉郷があります。牟礼町には世界的彫刻家イサムノグチの庭園美術館があり、庵治町とともに石材業、石材加工業が盛んです。また、庵治町は県下有数の漁港を有し、大ヒット映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地としても有名です。香川町は都市近郊農業が盛んで、農村歌舞伎が残っています。香南町には高松空港があり、工場立地も盛んです。国分寺町には四国唯一の特別史跡「讃岐国分寺跡」があり、鬼無町と並ぶ盆栽の一大産地です。その他多くの合併町の地域資源が加わり、人口や面積が大きくなった比率以上に、新高松市はより魅力、輝きを増したと言って良いと思います。また、合併に相前後して、旧市内においてサンポート高松や丸亀町商店街の再開発事業、太田第二土地区画整理事業などが順次竣工をし、中心部の拠点性や新市中央部の都市基盤が強化されたことは全市域における一体感を醸成する上でも幸いでした。
 来る2月7日(日曜日)には、合併十周年の記念式典を開催します。まだまだ残された課題もあり、合併の功罪も議論の余地はあります。これからもしっかり対応して行く必要がありますが、まずは、合併十周年を無事に迎えられたことに感謝し、皆さんでお祝いしたいと思います。
(注釈)総務省発表資料による

「逆打ちと瀬戸芸とG7会合」(1月1日号掲載分)

 明けましておめでとうございます。今年は4年に一度の閏年です。閏年は夏季オリンピックの年。今回はブラジルのリオデジャネイロで開催されます。次が2020年の東京開催です。その成功への弾みを付けるためにも、今年のオリンピックにおいて、日本選手の大活躍が期待されるところです。
 閏年と言えば四国八十八ヶ所巡礼の逆打ちの年でもあります。逆打ちをすると弘法大師に出会えるとされ、また、お遍路道を逆に巡って結願する苦労があることから、さらに深い徳を授かれるとも言われています。逆打ちは、88番札所大窪寺からのさぬき市内の3か寺を経て高松市内の札所を回ります。春の行楽シーズンに、高松市内の札所を訪れるお遍路さんが多くなり、にぎわいが期待されます。
 そして今年は、3年に一度の瀬戸内国際芸術祭が開催されます。3月20日に開幕し、本市の女木島、男木島、大島を含め、備讃瀬戸の12の島々と高松港周辺を舞台として春、夏、秋の3会期で、延べ108日間開催されます。「海の復権」をテーマとして、過疎化や高齢化が著しい離島の活性化を図るというコンセプトは、初回から一貫しています。今回は、「アジア」、「食」、「地域文化(盆栽、獅子舞など)」といった新しい視点からのコンテンツも加わる予定です。
 さらに4月29日・30日の二日間、高松では過去最大規模の国際会議となるG7香川・高松情報通信大臣会合が、サンポート高松において開催されます。伊勢志摩サミットの一環として開催される関係閣僚会議の一つです。この開催に併せて、高松の街も中心市街地において、フリーWi―Fiの整備やデジタルサイネージの設置などを行うこととしており、「情報通信」大臣会合の開催都市としての受入体制を整えることとしています。
 オリンピック、瀬戸芸、G7会合が国際的であるのはもちろんのこと、四国遍路でさえも、世界遺産登録を目指した活動や外国人遍路の増加など、国際的な動きが見られます。一昨年の香川県の外国人延べ宿泊者数は、四年前との比較で全国一の伸び率だったそうです。この勢いをそのままに、国内外にこの地域の魅力を大いにアピール出来る、そんな年にしたいと願っています。

「石の銀行家や看護師達が出現」(12月1日号掲載分)

 11月3日文化の日。玉藻公園西側の緑地帯に先を急ぐ国籍、民族不明の4人の通行人が出現しました。イギリスの著名な現代アート作家ジュリアン・オピー氏の石彫作品です。4人の職業は銀行家、看護師、探偵、弁護士。作者の言葉を借りると「2、3秒後となれば、別の4人であったであろうランダムで偶然的なこれらのスナップショットは」、永遠のものとして刻まれてきた「石彫のもつ恒久的な本質と相対するもの」で、時間を超越したタイムトラベラーのようでもあります。
 この作品は「瀬戸の都・高松 石彫トリエンナーレ」が、前身のイベントから数えて10回目となることを記念して、オピー氏に招待作家として制作を依頼し、完成されたものです。オピー氏は実際に高松のまちを見て作品のイメージを練り、ロンドンの街を歩いていた人物の姿を基に、独特の簡略化した造形デザインを施し、さまざまな人が行き交う高松の街を表現しようとしたとのことです。石の通行人は等身大より一回り大きく、地元特産の庵治石のほか大理石や御影石などで作られています。そして、制作は、ほぼすべて地元業者が手掛けました。
 オピー氏は、「城と庵治石の山の裾野からほど近い街のダイナミックで歴史的な場所に新作を制作し、設置する機会をいただいたことに大変感謝しております」、そして、「高松市の招待と地域の職人の方々の技術がなければこの作品は到底出来なかったですし、この作品の着想さえ思いつくこともなかった」と振り返り、「根気強く努力してくれた石彫職人の皆様の技術に感謝申しあげます。」と言ってくれました。
 このように著名なアーティストが全面的に信頼して作品制作を任せられるだけの高い技術がこの地に受け継がれていることは、本当にありがたいことだと思います。それは、花崗岩のダイヤモンドと言われる庵治石が産出され、高い志を持った石匠、石工たちがいるからでしょう。後は、この作品が真のパブリックアートとして、市民の皆様に広く受け入れていただけるかどうかです。オピー氏のメッセージは、「何人かの人々がほとんど気にかけなかったとしても、少なくとも別の何人かの人々が作品を楽しんでくれることを願っております。」と結ばれていました。

「「居場所」の効能」(11月1日号掲載分)

 昨年度から高松市が設置を始めた「居場所」。高齢者の引きこもり防止、健康づくりや生き甲斐対策として、概ね徒歩圏内で1か所を目安として、市内に300か所程度、定期的に集える場所をつくっていこうとするものです。そこに通っている人は平均的な高齢者に比べて10倍健康です、というと語弊があるでしょうか。
 昨年度、この「居場所」に通った方約2700人のアンケート調査を行ってみた結果、通いだしてから新規に要支援・要介護認定を受けた方はたった10人だけでした。率にして、0・4パーセント。これは、本市の65歳以上の高齢者全体の新規認定率4・0パーセントの10分の1の低さです。また、自分の健康について、通う前に比べて維持または改善されたと答えた方が約95パーセントを占めました。単純には比較できませんが、「居場所」の存在と活動によって、我々の想定以上の健康に関する効果がもたらされている、という事は認めざるを得ません。
 日本は世界に冠たる長寿国です。平均寿命は男性が80・50歳で世界第3位、女性が86・83歳で第1位の長生きです。しかし、健康上の問題がない状態で日常生活を送れる、いわゆる健康寿命という事になると平均寿命よりも男性で約9年、女性で約12年の差があるとされています。これからはこの健康寿命をいかに延ばしていくかが肝心です。そのためにも「居場所」の成果の要因をより詳しく分析し、それを発展させていくことが必要だと考えています。
 その「居場所」のまちなか拠点ともいうべき施設が10月末にオープンしました。瓦町FLAG8階の行政サービスフロアの一角にできた「瓦町健康ステーション」です。高齢者を中心とした健康づくりなどに資するため、フィットネスルームの管理運営、生活や健康などに関する各種相談事業とともに健康体操、介護予防教室などの事業を実施しています。また、会議室も備え、高松いきいき大学など各種講座も定期的に開かれる予定です。立地は瓦町駅の真上。電車やバスの公共交通でより広域から気軽に集える場所にあります。この拠点施設が有効に活用され、ここに集う人たちが、「居場所」の効能により、これまでの10倍も20倍も元気になれば、と願っています。

「小さな親切というお土産」(10月1日号掲載分)

 先頃、大分県に住む男性からうれしいお便りをいただきました。手紙の内容は、次のようなものです。男性がご夫婦で高松を訪れた時、商店街で夕食をとった後別行動をして帰る折に、ホテルまでの道が分らなくなり困ったそうです。コンビニで聞いても店員が要領を得なかったところへ、たまたま近くにいた中年の女性が親切に声をかけてくれて道を教えてくれた上に、心配だからと後から車で追いかけて、ホテルまで送り届けてくれたそうです。それをホテルに帰ってから奥様に話をすると、奥様も同様に道に迷ってしまい困っていたら、中学生数人が一緒にホテルまで歩いて行きましょうと言って送ってもらったとのこと。ご夫婦そろって同時に高松市民から親切を受けたことに大いに感激をされたようです。手紙には、「この名もなき市民の行為が他に勝るものがないくらい貴重な土産となりました」とも書いてありました。
 このような行為を本当の意味での「小さな親切」と言うのでしょう。親切行為は、誰かの喜びや快適さにつながり、行うべきだと分かっていても、実際その場面に遭遇するとなかなか実行に移せないものです。
 旅先での親切という意味では四国には、八十八ヶ所巡礼のお遍路さんに無料で食物、衣料、宿泊などをサービスする「お接待」の風習があります。ただ、最近では、都市化や地域社会の絆の希薄化などの影響か、「お接待」そのものを見かけることも減っています。そして、そのような独特のおもてなしの心も希薄になっている気がしていました。でも、この女性や中学生の親切は、市民の間にまだまだ「お接待」の心が息づいている、という事を再認識させてくれました。手紙を読み、私の心まですっきりと洗われたような気持ちになりました。
 「情けは人のためならず」ということわざも有ります。人に情けをかける(親切にする)ことは、回り回って自分に良い報いが来る、という意味です。「お接待」もそれが弘法大師の間接的な供養になり、自身の功徳善根を積むことにつながることが意識されて盛んに行われるようになった、とも言われています。
 多くの市民が自分のためにもなる小さな親切を自然に行っている。そんな、人に優しい人がたくさんいるまちこそが良いまちなのだ、と確信しています。

「思えば即ち備え有り」(9月1日号掲載分)

 「備えあれば憂いなし」。よく知られたことわざです。中国の「書経」の中の言葉で「安きに居りて危うきを思う、思えば則ち備え有り、備え有れば患い無し」と記されています。また、ボーイスカウトのモットーは「備えよ、常に(Be Prepared)」であります。
 9月1日は防災の日です。1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災に因んで制定されたものですが、台風の襲来が多いとされる雑節の一つ「二百十日(立春から数えて二百十日目)」がこの時期に当たることも根拠になったようです。何れにしても「災害への備えや対策を怠らないように」との戒めを重々確認すべき日であります。
 高松市でも南海トラフに起因する地震等の大規模災害に備えて、ハード、ソフト両面にわたる各種施策を積極的に展開しています。ハード面では、国や県と連携して防潮堤や河川堤防のかさ上げ強化、公共施設、住宅の耐震化の推進等を行っています。併せて、市民の安全・安心を守る拠点施設として、本庁舎西側に、常設の災害対策本部室を持ち、消防局本部と上下水道局の機能を集約した「危機管理センター(仮称)」を整備しています。
 ソフト面での対策はより重要です。特に各地域において必要な初動体制が迅速にとられ、情報伝達や避難の方法、要配慮者の支援のあり方などがあらかじめ関係者に共通認識されていることは極めて大切です。その基本の組織となるのが各地域の自主防災組織です。おかげさまで、本市においては、昨年度末に、すべての地域に包括的な自主防災組織が結成されたことにより、活動カバー率が100パーセントを達成しました。これからは、有事の際に組織が十分に機能するように実戦的訓練を重ねるなど、組織の更なる育成強化が課題です。その他、消防団員の確保や機能別分団(香川大学防災サポートチーム)の結成、津波避難ビルの指定や防災ラジオの販売、防災マップの各世帯への配布、各地域コミュニティ継続計画の策定支援等各種ソフト対策に力を注いでいるところです。
 「天災は忘れた頃にやって来る」(寺田寅彦)という教えもあります。いざという時に自分がどう行動すべきかを平時に考えておくこと、それだけでも随分違ってくるはずです。「思えば即ち備え有り」なのですから。

「日本一のトライアスロン大会へ」(8月1日号掲載分)

 父の日でもあった6月21日、6回目となるサンポート高松トライアスロン2015~瀬戸内国際体育祭~(以下、「高トラ」と言います。)が盛大に開催されました。
 このトライアスロンというスポーツは、かつては過酷で、特別に訓練された人だけの競技と思われていました。しかし、短距離型が主流となり、オリンピックの正式種目となったことで、人気も急上昇。国内の愛好者も今では37万人を超えるまでになっているそうです。毎年全国各地で約290ものトライアスロン関連の大会が開催され、多くの人に親しまれるスポーツになりつつあります。
 高トラは2010年に始まりました。きっかけは「高松で本格的なトライアスロン大会を開催したい。」という一人の女性の熱烈な思いと各方面への強力な働きかけでした。すぐに賛同の輪が広がり、警察の交通規制の許可も得て、短期間で開催にこぎつけることが出来ました。そして、4回目(2013年)からは、念願のバイクの中央通りの走行が可能となり、オリンピック・ディスタンス(総計51.5キロメートル)での開催となっています。
 そのコース。スイムは観客が見下ろすすぐ下を瀬戸の多島美を背景に遊泳し、バイクは高松の中枢部、都心幹線道路を疾走し、ランは港の防波堤の上、赤灯台(せとしるべ)を折り返して走り抜けます。高トラの魅力と売りは、何と言っても瀬戸の都・高松の都心部をメイン会場とするこのコースの立地と、ボランティアの充実した民間主体の円滑な運営です。これだけは、既に「日本一」であると、日本トライアスロン連合の関係者からもお墨付きをいただいています。
 今年のレース本番でもフィニッシュ・エリアでは、選手の家族、友人、知人が一緒になって走り出し、ゴールするような微笑ましいシーンが数多く見られました。さらにリレー種目に出場した企業チームも、応援合戦等で大いに盛り上がっていました。このような手作り感があり、アットホームな大会の雰囲気は、これからも大切にしたいと思います。その上で、よりレベルの高いレースを組み込み、総合評価として、「日本一のトライアスロン大会」であると言われるようにしたい、と関係者と話し、夢見ているところです。

「ジャパンエキスポに出展します」(7月1日号掲載分)

 「Tatamisé(タタミゼ)」というフランス語があるそうです。畳の上で生活するなど、日本風の室内装飾や様式を取り入れることを表し、転じて「日本通」や「日本かぶれ」のことを指すそうです。「Manga(マンガ)」や「Bonsai(ボンザイ)」、「Futon(フトン)」、「Otaku(オタク)」などがフランス語としてそのまま通用していることは知っていましたが、フランスにおける日本文化の浸透ぶりは、想像を超えるものがあるようです。
 そのフランスのパリ市で7月2日から5日までの間、開催される「第16回ジャパンエキスポ」に高松市が展示宣伝ブースを出展することとなりました。主催者が日本の一都市を選んで紹介するツーリズム展示の枠に本市が選ばれたためで、この展示は京都市、福岡市、札幌市に次いで4番目です。これは、昨年10月に本市で開催した「第4回日仏自治体交流会議」がフランス人に好評を博した成果の一つであり、真に光栄なことであると思います。
 このジャパンエキスポという催し。日本文化の情熱的なファンであったフランス人の若者数人が2000年に始めたイベントで、日本のマンガ、アニメ、ビデオゲーム、モード、音楽、武道、ハイテク、伝統などを網羅した日本カルチャーの見本市です。昨年は24万人を超える来場者を集めたとのことで、海外で開催される日本文化を紹介するものとしては今や世界最大級のイベントと言われるまでになっています。
 高松市ブースのコンセプトは、「高松の「Kawaii!」を世界へ発信」です。日本発のポップカルチャーに高い関心を持つ若者を中心とした来場者に対し、これもフランス語化している「Kawaii(カワイイ)」をテーマに高松ならではの魅力を発信したいと考えています。栗林公園、瀬戸内海、現代アート、お遍路などの観光資源について、写真を用いて紹介するとともに、讃岐かがり手まりや盆栽、鉄製ロボットの展示、和三盆糖菓子の製作実演・試食などを行います。そして現地では職員が白衣のお遍路姿でお接待をする予定です。
 この出展を機会に「Takamatsu(タカマツ)」という都市を多くのフランス人に知ってもらうとともに、「Bonsai(ボンザイ)」に続き、「Wasanbon(ワサンボン)」や「Henro(エンホ)」、などがフランスで人口にすることを期待したいと思います。

「人口減少と地方創生」(6月1日号掲載分)

 選挙のためしばらくお休みしていた「市長どっとコム」を再開します。
 「地方創生」が叫ばれています。人口急減、少子超高齢社会の本格的な到来という我が国が直面する大きな課題に対して、各地域が自律的で持続的な社会を形成できるよう、具体的な施策を展開していこうというものです。それぞれの市町村が自らの現実を見つめ直し、将来を的確に予測しながら、まちづくりに関して戦略的運営を行っていく必要があります。
 もちろん高松市も例外ではありません。ただし、本市はいち早く人口減少、少子高齢社会の到来を予測し、その進むべき方向性を明確にしています。少子化対策としての子ども子育て支援施策の充実を図りながら、私が「持続可能性の先に灯す希望」と位置づける(1)多核連携型コンパクト・エコシティの実現、(2)コミュニティの再生、(3)創造都市の推進、(4)地域包括ケアシステムの構築というビジョンを目指してまちづくりを進めることにより、活力を失わず、市民が幸せや豊かさを感じ得るような元気な高松の創生を図ってまいりたいと考えています。
 「人口減少にいたずらに脅える必要はない。人間が安心して生まれ、育ち、老いていける社会を築けば、自然との環境容量の関係で適切に調整されるはずである」(注釈1)という指摘もあります。また、「今という時代は、…いわば“生みの苦しみ”の時代でもあり、かつ「経済成長への強迫観念」から解放されていく…新たな出発そして一人ひとりの創造の時代とも言える。」(注釈2)という識者もいます。さらに、若者の間で「地元志向」や「田園回帰」と言える現象も増えてきているとも聞きます。悲観的になる必要はありません。
 私がマニフェストのテーマとした「創造性豊かな海園・田園・人間都市」へ向かって、中心市街地の活性化、公共交通の充実、コミュニティの活動支援、魅力ある創造都市づくりなど、これまで取り組んできた施策を更に効果的に展開して、地方回帰の流れをつくる一つのモデルとなるような地方創生を果たしてまいりたいと思います。
注釈1:「人口減少に脅えるな ルールは変わった」(神野直彦 「全論点 人口急減と自治体消滅」時事通信社編)
注釈2:「人口減少社会という希望」(広井良典 朝日新聞出版)

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