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高松さんぽ(令和元年度)

更新日:2020年3月3日

「高松」が世界10選に(3月1日号掲載分)

昨年末に発表された世界最大手の旅行予約サイト「ブッキングドットコム」(オランダ)の2020年に訪れるべき目的地10選に、アルメニアの首都エレバンやポーランドの美しい港町シフィノウィシチェなどとともに日本で唯一「高松」が選ばれました。びっくりしましたが、素直にうれしく思っています。選出にあたっては、約2万2000人を対象に行なった過去一年間の旅行先や今後の予約動向調査に加え、1億8000万件を超える口コミ情報を分析したとされていますので、人気は本物でしょう。また、旅行トレンドとして「ゆったり過ごせる」、「多彩な魅力がそろう」、「穴場旅が楽しめる」といった要素を加味したそうで、評価軸が高松に合っていたのかも知れません。昨年、多くの外国人を含む過去最多の来場者で賑った瀬戸内国際芸術祭により、拠点都市としての高松の認知度が上がったことの効果も大きいものと思われます。これまで香川県や高松観光コンベンション・ビューローなど関係機関等と連携して行なってきたさまざまなプロモーション事業の成果であり、関係の皆さまに感謝申しあげます。
 新型肺炎の影響は心配ですが、7月末からは、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が開かれ、高松を訪れる外国人観光客が増えることが期待されます。しかし、受け入れ態勢はまだまだ十分とは言えません。街中での多言語対応や商店、飲食店などのキャッシュレス対応の充実、多様な夜型観光の展開などが望まれます。
 高松の穴場的なブランド力に磨きをかける絶好のチャンスでもあります。例えば、この地ならではの「うどん×サイクリング」や「ディープな盆栽体験」など。この機会に、おもてなし強化事業をいろいろ展開したいと思っています。名付けて「高松ドットコムコム大作戦」です。(「.COM」と「どっと混む」をかけています。)
 高松らしいおもてなしの心で、訪れた皆さんの滞在時の居心地をより良くして、世界中に高松ファンを増やしていきたいと思います。

如月(きさらぎ)(2月1日号掲載分)

「如月」とは、日本古来使われている旧暦2月の異名です。私にとっては同名の和菓子屋が実家の近くにあったため、小さい頃から馴染みのある名称です。
 旧暦の月の異名には、数字では表せない日本独特の季節感や生活観が宿っているように思います。いくつか見てみると、1月は正月に家族や親戚が睦み合う月だから睦月です。3月は、いよいよ草木が生い茂るという意味で弥生、旧暦8月は既に秋になり葉が落ちる月で葉月、9月は秋の夜長で長月となります。師走はもちろん、先生も忙しく走り回るからこの名があると言われています。
 しかし、「如月」の由来となぜこの漢字が使われるかは、すぐには見当が付きません。有力な説は、この時期はまだ寒さが残っていて、衣を更に重ね着することから「衣更着(きぬさらぎ)」から転じたとするものです。また、漢字については、古くから中国で2月を「如」と表していた事からきているようです。「如」は本来「従う・赴く」という意味があり、そこから、草花や木などの自然や動物が春に向かって動き出す月、という意味で「如」をあてたとされています。「きさらぎ」という呼び名は「日本書紀」にも表記があるようで、2月を表す中国の漢字「如(月曜日)」と日本の古来の呼び名が組み合わされて「如月(きさらぎ)」となったという事でしょうか。面白いですね。
 ところで、今年の2月は特別です。4年に一度の閏年で1日多く29日まであります。そして、今年から23日が天皇誕生日となりました。11日の建国記念の日と合わせて国民の祝日が2日存在するめでたい月となります。3日は節分、4日は立春です。コンパクトながら賑やかな春の始まりの月となりそうです。
 ただ、「春は名のみの風の寒さよ」で、如月の名の由来の如く重ね着が必要な日々が続くと思われます。お身体には十分お気をつけください。
《参考》日本文化研究ブログ(https://jpnculture.net/)、ギフトマナー辞典(https://gift-manners.shaddy.jp/)

盆栽 de ボンジュール(1月1日号掲載分)

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。令和2年最初の「高松さんぽ」は、正月に相応しく盆栽の話です。
 見終わった後もしばらく「ボンボン、ボボボボボン」というダンスの音楽が頭の中で鳴り響いていました。高松市が特産の松盆栽のPRのために作成したミュージック・ビデオ「盆栽 de ボンジュール」です。ふるさと納税を活用したクラウドファンディングにより制作され、フランスやベルギーでもロケが行われました。たか松BONSAI大使を務める大里菜桜さんが主演で、従来の盆栽のイメージの型を突き破る高松発の画期的な映像作品です。
 現代は、19世紀後半に続く第二の「ジャポニスム(日本趣味)」の時代とも言われます。ヨーロッパを中心に日本のマンガやアニメをはじめとした文化や芸術、工芸品などが「クールジャパン」と言われてもてはやされています。盆栽もその要素の一つであることは間違いないでしょう。
 一方で、国内での需要は伸び悩み、本市の盆栽産地もその基盤の脆弱化が急速に進んでおり、担い手、後継者不足などが懸念される状況です。
 そこで本市では、2017年7月に「高松盆栽の郷」基本構想を策定しました。盆栽文化の普及や観光振興など、盆栽産地の持続可能な発展に向けて各種施策を展開し、松盆栽では8割の生産シェアを誇るといわれる「高松盆栽」のブランドイメージを確立、向上させていこうというものです。3月には、盆栽の展示、販売、研修などのための拠点施設も国分寺町内に完成します。
 海外で盆栽が普及する大きなきっかけとなったのは、1970年の大阪万博での盆栽展だと言われています。いよいよ今年は東京2020オリンピック・パラリンピックが開催される年。そして、5年後には再び大阪で万博が開催されます。香川県のインバウンド需要も引き続き好調であり、絶好のこの機会を逃さず、「高松盆栽」を世界に強力に発信していきたいと思っています。
 挨拶の言葉はもちろん、「盆栽 de ボンジュール」。

助け合いの精神で「ほっとかんまち高松」を(12月1日号掲載分)

今年も早十二月。「歳末」です。「歳末」と聞くと「大売り出し」とともに「助け合い」という言葉が思い浮かびます。1年を無事に締めくくり、多くの人が少しでも楽しい正月を迎えられるように、さまざまな活動が行われています。よく知られているところでは、共同募金の一環として行われる「地域(NHK)歳末たすけあい運動」でしょうか。
 今年は新天皇が即位され、新しい「令和」の御代が始まりました。4度目となる瀬戸内国際芸術祭が、瀬戸内の島々と高松港などを舞台に開催され、多くの来場者で賑わい、成功裡に幕を閉じました。そして、ラグビーのワールドカップでの日本代表の活躍に日本中が沸き返りました。私個人としては、4月の高松市長選挙において4選を果たし、8月には還暦を迎えました。その意味では、公私ともに時代や人生の画期となる年であったと思います。
 一方で、8月から10月にかけて、相次ぐ台風の襲来などにより、風水害や土砂災害などが、全国広域にわたって発生し、多くの人命が失われるなど、甚大な被害をもたらしました。10月末には首里城が焼失するというショッキングな出来事もありました。華やかさと賑やかさや嬉しさの反面で、過酷な苦しみや悲しみが同居した年となりました。
 そんな中、多方面で取り上げられたのが貧困や飢餓、働き方改革、環境問題などに関して世界を良くするための17の目標を掲げ、2030年までに達成することを目指して国連で採択されたSDGs(エス・ディー・ジーズ:持続可能な開発目標)です。その基本理念は「leave no one behind(地球上の誰一人取り残さない)」。これは、今、高松市が進めようとしている「高松型地域共生社会」の理念にも重なります。合言葉は「ほっとけん 市民みんなでつくる ほっとかんまち高松」です。
 SDGsと地域共生社会。何れも「助け合い」の精神がその基盤となります。令和最初の歳末を「助け合い」の精神があふれる温かい月で終わり、輝かしい新年へと繋いでいきたいものです。

散歩道いろいろ(11月1日号掲載分)

ベートーベンはウォーキングの熱烈な信者であり、日課としてウィーン周辺を散策しながら歩き回っていたそうです。曲想の多くもその時に得ていたようで、「田園交響曲」などは、散歩時の雰囲気がそのまま音楽となったようにも聞こえます。アップル社の創業者スティーブ・ジョブズさんも長時間の散歩をすることで有名でした。彼は歩きながら、熟考をし、問題解決のヒントを思いつき、誰かと会議までしていたそうです。日本でも脳科学者の茂木健一郎さんは大震災時に公共交通機関の途絶えた東京の街を歩いて以来、「歩くことが生きることの根本であるという思いが消えない」と「我歩く、故に我あり」というタイトルでブログを書いています。
 このように古今東西で数多くの著名人が歩くことを愛好してきました。歩くことは創造的思考を促します。そして、気分転換にもってこいです。また、少し早足で歩くことで有酸素運動として健康保持にも役に立ちます。
 本市でも、健康づくりの基本を「歩くこと」において、毎日プラス1,000歩を目標に啓発を行っています。そして、市内44のコミュニティ協議会のエリアごとに「健康づくりウォーキングマップ」を作成し、地域の特徴を組み込んだ101の面白く飽きないコースが設定されています。皆さんも地元の散歩道を歩いてみてはいかがでしょう。
 意味合いは全く異なりますが、今年、大島で昭和8年に青松園青年団により開設されながら、長い間閉ざされていた散歩道が瀬戸内国際芸術祭を機に復活しました。「リングワンデルング」(道に迷い、同じところを大きな円を描くようにぐるぐる歩き回ること)と名付けられたその作品(道)は、ハンセン病療養所の入所者の方々が時に早足で、時に立ち止まりながら様々な思いを持ちつつ歩いていた散策路だそうです。「ここでデートもしよったで」との入所者の元気な声も聞きました。この道が見てきた歴史を振り返りながら、新たな創造、交流が生まれる場となることを期待しています。

耳順(じじゅん)にはほど遠き還暦(かんれき)を迎えて(10月1日号掲載分)

私事で恐縮ですが、去る8月23日に還暦を迎えました。満60歳です。
 「還暦」とは、干支が一巡し誕生年の干支(えと)に還ることからその名があるもので、最初の長寿のお祝いとされています。しかし、世は超高齢社会。60歳は多くの会社などで定年退職の年齢ではあるものの、まだまだ働き盛り。長寿のお祝いをと言われても、ピンとこないのが正直なところです。
 ところで、干支が60年で一回りするのは、干支を構成する十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせが10と12の最小公倍数である60通りあるからです。今年の干支は「己亥(つちのとい)」。当然、私が生まれた昭和34年も「己亥」です。これらの数字の組み合わせは年月や時間の単位とも重なります。太陽の運行を基礎にして定まる一年が、月の運行で決まる一か月のほぼ12倍であることから十二進法が考えられ、それと十進法の組み合わせで時間の六十進法が使われるようになったのであろう、と言われています。そう考えると60歳は太陽や月の運行に関連し、人生においても大きな節目になるべき年なのかも知れません。
 60歳は「耳順」とも言われます。孔子が自分の人生を振り返り、「六十にして耳順(みみしたが)う」と言ったところから取られています。60歳になると「修養を積んで他人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになる」という意味です。孔子の人生と比べても仕方ありませんが、なかなかその境地に達しうるのは困難なように思います。せめて孔子の20年遅れとして、四十ならぬ「六十にして惑わず(不惑(ふわく))」くらいはしっかりと心がけてまいりたいところです。
 「還暦」には、一種の生まれ直しの意味もあります。そのため、「赤ちゃんに戻る」ことから「赤いちゃんちゃんこ(袖なし羽織)」を贈ってお祝いする慣習が生まれたようです。
 元号も改まり、新しい令和の時代が始まりました。第二の人生のスタートとして、原点に返った新鮮な気持ちで、前を向いて力強く歩んでいきたいと思います。

積(つみ)石塚(いしづか)、双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)の謎(9月1日号掲載分)

去る7月6日に大阪湾近郊の仁徳天皇陵古墳など数々の巨大な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を核として、さまざまな規模、形状の古墳を擁する百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群の世界文化遺産登録が決定しました。それとともに、3世紀中頃から7世紀代にかけて築かれた我が国の古墳の存在と歴史がにわかに脚光を浴びています。
 高松市の古墳もその文化財的価値の高さは負けていません。石(いわ)清(せ)尾山(おやま)古墳群です。石清尾山山塊には、古墳時代前期の積石塚(石を積み上げて墳丘を造った墓)と後期の盛土墳(もりつちふん)からなる200基以上の古墳が築かれています。そのうち、16基が国の史跡に指定されています。この古墳群は、全国でも唯一、積石塚を築き続けた稀有な古墳群だそうです。また、双方中円墳という形はこの古墳群に特有のもので、左右の方形部が対称なものは、ここにしかありません。中央(畿内(きない))の様式に染まり切らずに独自性を確保していた気概のようなものを感じ、高松市が古代の貴重な歴史遺産を持つことを誇りに思います。
 10年近く前になりますが、平成22年4月、峰山山上の公園に「はにわっ子広場」がオープンしました。周辺が石清尾山古墳群であることから、古墳や埴輪(はにわ)をモチーフとした大型遊具が設置され、愛称も公募でそれにちなんで名付けられました。特に全長58メートルのローラースライダーは、中心部の馬の埴輪のオブジェを経て、滑り降りる迫力満点の滑り台で人気のスポットになっています。
 古墳時代が始まる3世紀中頃は、邪馬台国で卑弥呼が政治を司っていたとされる時期です。しかし、邪馬台国の所在地さえ、畿内説と九州説が有力とされながらも確定できていないように、この時代の日本列島の様子はまだまだ謎に包まれています。子どもたちが、はにわっ子広場で無邪気に遊びながら、この地の歴史の深さと豊かさを肌で感じ、その中から将来、古代史の秘密のヴェールを剥がす研究者が誕生することを期待したいと勝手に思っています。

石(せき)匠(しょう)塾(じゅく)とナガレスタジオ(8月1日号掲載分)

昨年の七夕の日、彫刻家の流政之先生が亡くなられました。御年95歳でした。改めて哀悼の誠を捧げます。「自分はバレンタインデーに生まれたので女性にもてる」と公言してはばからなかった先生のことです。牽牛と織り姫が会合する日に亡くなられたのは、何かの導きがあったのかも知れません。それから1年。先生が制作スタジオ兼住居としていた志度湾に臨む庵治半島の丘の上にある城塞のごとき建造物は、新たに「ナガレスタジオ 流政之美術館」として生まれ変わろうとしています。
 流先生がこの地を最初に訪れたのは、1960年。ぶらりと立ち寄ったところが、理想的な石のふるさとだったとして、すぐさま活動を始めたとのことです。それと同時に、庵治石の産地の優れた加工技術を後世に伝承していかなければならないと、若い石工を集めて「石匠塾」なるものを作りました。昼間は彫刻技術を教えながら、若い女性が憧れる石工たちに育って欲しいと、スーツの着こなし方や、パーティーでの振る舞い方、洋式トイレの使い方まで伝授していたというから驚きです。
 そして流先生が「石匠塾」のメンバーを率いてニューヨークに渡り、世界博覧会の日本館にそびえ立つ巨大な石の壁画「ストーンクレージー」を築いたのが、アジア初の「東京オリンピック」が開催された前年(1963年)でした。巡り合わせか、東京2020オリンピックの開催を翌年に控えた今年、6月上旬に開催された「あじストーンフェア2019」では、「石匠塾」の当時の活動を伝える写真やアメリカでも大人気となった黒澤映画になぞらえて「7人の侍」とも呼ばれた渡米メンバーの貴重な遺品などが会場に展示され、来場者の注目を集めていました。
 流先生が石匠塾にかけた熱い「侍スピリット」は、二度の東京オリンピックの時をまたいで今日まで受け継がれています。その思いが詰まったナガレスタジオの城門がいよいよ開かれ、一般公開されることを、大変嬉しく思っています。

「和魂(わこん)洋才(ようさい)」 ~香川漆芸のイノベーション(7月1日号掲載分)

「蒟醤」と書いて何と読むかご存知でしょうか。知らない人には全く見当もつかないと思います。答えは「きんま」。香川漆芸の代表的な技法の一つです。
 高松は昔から漆芸が盛んな土地柄です。その基礎は、江戸時代後期に高松藩主松平家のお抱え漆(しっ)工(こう)だった玉楮象谷(たまかじぞうこく)が中国やアジアの漆技法を深く研究し、独自の技法を作り上げたことにあります。そして、蒟醤(きんま)、存(ぞん)清(せい)、彫(ちょう)漆(しつ)などの伝統技法は、明治、大正、昭和、平成と幾多の名工によって受け継がれ、これまで五人の人間国宝を高松から生み出しています。
 「瀬戸内海を望むゆたかな風景の中で育まれてきた讃岐の漆は、他産地の漆芸に比べると、その明るく華やかな色彩に大きな特徴がある」(注)とされています。その独特の技法が生み出す美しさは、時代を経ても色あせることのないものです。しかし、一方で需要の低迷や後継者不足で、香川漆器も産業としての存続が大きな課題となっています。
 変革(イノベーション)が必要なのかもしれません。そのための試みの一つとして、香川県などと共同した大胆な魅力発信の取り組みが始められています。昨年は、人間国宝の山下義人氏をはじめ香川漆芸の作家たちがイタリアの有名デザイナーの靴のヒールに蒟醤などの技法で装飾を施しました。そして今年は、イタリアのブランドとコラボして漆で加飾を施した「レッドカーペットに似合うパーティーバッグ」を作成。いずれも相当高価な品にもかかわらず、完売したそうです。
 漆器は海外で「JAPAN」とも呼ばれる日本を代表する伝統工芸です。その意味で、これらの靴やバッグはまさに「和魂洋才」の新しい美の逸品とも言えるでしょう。オンリーワンの価値を持つ香川漆芸を次世代にしっかりと伝えていくためにも、関係者の果敢なチャレンジを応援していきたいと思います。

(注)「漆の家」ホームページ(http://urushinoie.jp)より引用

関係人口を活(い)かす地域の寛容性(6月1日号掲載分)

選挙のため、しばらくお休みをいただいていたコラムを再開します。題を「市長どっとコム」から「高松さんぽ」に変更させていただきました。引き続き、高松市政に関することや日々の生活の中で感じたことなどを気ままに綴ってまいります。
 今上天皇が即位され、新しい「令和」の時代が始まりました。そして、それをお祝いするかのように開幕したのが瀬戸内国際芸術祭2019です。この原稿が出る頃には、盛況のうちに春会期が終了しているものと思います。4回目の開催となった今回は、急増した前回にも増して外国人の参加、来場が多くなっているように感じます。高松空港の国際直行便が充実してきたことと、著名な欧米メディアで芸術祭が開催される瀬戸内の地域が高評価で取り上げられ、知名度が飛躍的に高まっているせいでしょう。また、前回も約4割にのぼったリピーターが今回も多いように思われます。3年に一度の開催に合わせて、全国各地域から、まるで故郷に帰省するように瀬戸内の島々に帰ってくる人たちが確実に多数存在するというのも、この芸術祭の大きな特長です。
 人口減少が本格化する中、定住人口や単なる観光に来た交流人口とは異なる、その地域と何らかの関わりを持つ関係人口を増やしていくことが必要かつ重要である、という議論が自治体関係者の間で盛んに行われています。芸術祭の運営を実質的に支えているボランティアサポーター「こえび隊」をはじめとして、アーティストを含め芸術祭に集う多くの人たちは、この地域の未来を共に創造していくべき関係人口そのものと言えるのではないでしょうか。
 その地域に興味を持ち、さまざまな関係性を有する人たちが増え、しかもそれが海外にも広がっていくことで、地域の未来が今よりも明るく具体的な姿を表してくるはずです。重要なのはストレンジャー(よそ者、異邦人)の多様性を受け入れ、活躍の場を作ることができる地域の寛容性であると確信しています。

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