高松の森  
もっと高松を知ろう

高松市地図高松市の位置(いち)面積(めんせき)・人口

    
          いち
高松市の位置

 高松市は、四国の北東部(ほくとうぶ)、香川県のほぼ中央に位置する
 県庁所在都市(けんちょうしょざいとし)です。
 北は国立公園(こくりつこうえん)の瀬戸内海(せとないかい)に面(めん)し、
 南はゆるやかな傾斜(けいしゃ)をたどりながら、讃岐山脈(さぬきさんみゃく)に
 つらなり徳島県境(とくしまけんきょう)までいたっています。

 豊かな自然(しぜん)に恵(めぐ)まれ、自然と町のたたずまいが
 ほどよく調和(ちょうわ)している全国でも有数(ゆうすう)の
 美観都市(びかんとし)です。
 また、年間を通して温度差(おんどさ)は小さく、
 雨が降る量の少ないのが特色(とくしょく)で住みやすい都市(とし)です。




          めんせき
高松市の面積


 平成17年9月26日に塩江町(しおのえちょう)と、
 また平成18年1月10日には牟礼町(むれちょう)・庵治町(あじちょう)・
 香川町(かがわちょう)・香南町(こうなんちょう)・国分寺町(こくぶんじちょう)の
 5町と合併(がっぺい)し、面積(めんせき)が375.20ku、人口は約42万人の
 新しい高松市が誕生(たんじょう)しました。





高松市の人口

 毎月1日現在の高松市の住民基本台帳(じゅうみんきほんだいちょう)および
 外国人登録(がいこくじんとうろく)に登録(とうろく)された人口を
 年齢別(ねんれいべつ)、町別(ちょうべつ)、小学校区別(しょうがっこうくべつ)
 に取りまとめたものです。

  
高松市の人口はこちら  

時計高松市の歴史(れきし)

                   
           れきし
高松市の歴史 

 旧高松城周辺は鎌倉時代(かまくらじだい)に開けはじめ、
 天正(てんしょう)16年(1588年)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家来(けらい)
 生駒親正(いこまちかまさ)がお城(しろ)をきずき、高松城と名付けたことに
 由来(ゆらい)し、生駒(いこま)4代54年、松平(まつだいら)11代220年を通じて
 城下町(じょうかまち)として栄(さか)えました。

 明治維新(めいじいしん)の後、香川県の県庁所在地(けんちょうしょざいち)となり、
 明治23年2月15日に、全国40番目の市としてスタートしました。
 くわしいことを知りたい方は歴史資料館のホームページへ
  ここをクリックしてね!
高松市歴史資料館のホームページへ

電球最近の高松市・これからの高松市




 
 恵(めぐ)まれた風土(ふうど)と地形(ちけい)をいかし、四国の中心的(ちゅうしんてき)な
 都市として、発展(はってん)してきましたが、特に昭和63年の瀬戸大橋(せとおおはし)
 開通(かいつう)や平成元年の新高松空港(しんたかまつくうこう)開港(かいこう)、
 平成4年の四国横断自動車道(しこくおうだんじどうしゃどう)が高松へ伸(の)びたことにより
 高松市を取り巻く(とりまく)環境(かんきょう)が大きく変化する中、
 平成11年4月、中核市(ちゅうかくし)に移行(いこう)しました。

 さらに、平成16年には瀬戸内海(せとないかい)にのぞむ高松の新しいシンボルゾーンとして
 「サンポート高松」がオープンしました。

 そして、平成17年9月26日に塩江町(しおのえちょう)と、また平成18年1月10日には
 牟礼町(むれちょう)・庵治町(あじちょう)・香川町(かがわちょう)・香南町(こうなんちょう)・
 国分寺町(こくぶんじちょう)の5町と合併(がっぺい)し、新しい高松市が誕生(たんじょう)しました。

 今後は、「21世紀の四国の州都(しゅうと)を展望(てんぼう)したふうかくある
 環瀬戸内海圏(かんせとないかいけん)の中枢(ちゅうすう)・中核拠点都市(ちゅうかくきょてんとし)
 〜グレーター高松の創造(そうぞう)〜 海・街・山と人がとけ合う元気なまち・高松」をめざし、
 各地域の特性(とくせい)をいかしたまちづくりに取り組み、地域の活性化(かっせいか)を
 図(はか)るとともに、魅力(みりょく)ある都市づくりを進めていきます。


ぼうし高松市に(かか)わる偉人(いじん)
(すぐれた人、えらい人)

平安時代(へいあんじだい)

なまえ したこと
観賢 かんげん
空海に弘法大師号(こうぼうだいしごう)をおくるよう運動し、
じつげんさせた高僧。

南北朝・室町時代(なんぼくちょう・むろまちじだい)

なまえ したこと
細川頼之 ほそかわ・よりゆき
香南町岡に館(やかた)をかまえたという
足利幕府(あしかがばくふ)の管領(かんれい)。

江戸時代(えどじだい)

なまえ したこと
生駒親正 いこま・ちかまさ
江戸時代讃岐の国主(こくしゅ)。玉藻城(たまもじょう)を築城(ちくじょう)した。

柏原謙好 かしはら・かねよし
医者(いしゃ)。シーボルトの教えをうけ、
讃岐で初めて種痘(しゅとう)をおこなった。

梶原藍水 かじわら・らんすい
父、藍渠(らんきょ)のはじめた讃岐名勝図会(さぬきめいしょうずえ)を
発刊(はっかん)した。

菊池五山 きくち・ござん
五山堂詩話(ござんどうしわ)を発行し、
身分に関係なく漢詩(かんし)を紹介した。菊池寛(きくち・かん)の祖先。

紀太理兵衛 きた・りへえ
理兵衛焼(りへえやき)をはじめた人。
松平頼重(まつだいらよりしげ)に、まねかれる。

後藤芝山 ごとう・しざん
儒学者(じゅがくしゃ)。漢文(かんぶん)の返り点、
送りがなの後藤点(ごとうてん)で有名。

後藤太平 ごとう・たへい
漆芸家(しつげいか)。
高松漆器(たかまつしっき)の後藤塗(ごとうぬり)をはじめた。

向山周慶 さきやま・しゅうけい
砂糖(さとう)の作り方を研究(けんきゅう)し、
讃岐の砂糖生産の基礎(きそ)をつくった。

柴野栗山 しばの・りつざん
儒学者(じゅがくしゃ)。
寛政(かんせい)の三博士(さんはくし)のひとり。

玉楮象谷 たまかじ・ぞうこく
高松漆器(たかまつしっき)をはじめた人。

長町竹石 ながまち・ちくせき
山水画(さんすいが)を得意(とくい)とした絵師(えし)。
江戸に出て有名になった。

西嶋八兵衛 にしじま・はちべえ
ため池の築造(ちくぞう)、新田開発(しんでんかいはつ)、
川のつけかえをおこなう。

彦四郎 ひこしろう
御厩焼(みまややき)をはじめた人。

藤川三渓 ふじかわ・さんけい
勤皇家(きんのうか)。
長崎の鼻(ながさきのはな)に砲台(ほうだい)をつくった。

別所九兵衛 べっしょ・きゅうべい
大庄屋(だいしょうや)。
大かんばつのときに多くの人を救(すく)った。

松平頼重 まつだいら・よりしげ
高松松平藩(たかまつまつだいらはん)の初代藩主(しょだいはんしゅ)。

矢延平六 やのべ・へいろく
ため池の築造(ちくぞう)に関(かか)わる。
平六の徳(とく)をしのぶ、ひょうげ祭りは有名。

明治時代〜現代(めいじじだい〜げんだい)

なまえ したこと
明石朴景 あかし・ぼっけい
漆芸家(しつげいか)。
高松市美術館の学芸員(がくげいいん)をつとめた。

植田平太郎 うえた・へいたろう
剣道最高の九段範士(きゅうだんはんし)となった
昭和初期の剣豪(けんごう)。

牛窪求馬 うしくぼ・もとめ
明治28年、高松に四国ではじめて、
電灯(でんとう)をつけた会社の社長(しゃちょう)。

イサム・ノグチ いさむ・のぐち
世界的な彫刻家(ちょうこくか)。
牟礼町(むれちょう)にアトリエをかまえる。

磯井如真 いそい・じょしん
漆芸家(しつげいか)。
昭和31年に人間国宝(にんげんこくほう)にえらばれた。

今雪真一 いまゆき・しんいち
生涯(しょうがい)を移民援助(いみんえんじょ)の仕事にささげた。

音丸耕堂 おとまる・こうどう
漆芸家(しつげいか)。人間国宝(にんげんこくほう)にえらばれた。

菊池寛 きくち・かん
作家(さっか)。
芥川賞(あくたがわしょう)・直木賞(なおきしょう)を設立(せつりつ)した。

国東照太 くにとう・てるた
高松市長(しちょう)。
公選市長(こうせんしちょう)のはじまり。名誉市民(めいよしみん)。

野生司香雪 のうす・こうせつ
日本画のなかで仏画(ぶつが)を得意(とくい)とした。
インドでも壁画(へきが)をつくった。

藤川勇造 ふじかわ・ゆうぞう
彫刻家(ちょうこくか)。
フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの助手(じょしゅ)となる。

三木武吉 みき・ぶきち
政治家(せいじか)。
自由民主党(じゆうみんしゅとう)の生みの親。

水原茂 みずはら・しげる
高松商業高校時代に野球選手(やきゅうせんしゅ)として活躍(かつやく)。
のちに大学、プロ野球の監督(かんとく)としても活躍(かつやく)。

三原脩 みはら・おさむ
プロ野球の選手・監督。
水原茂の宿命(しゅくめい)のライバル。

宮内フサ みやうち・ふさ
郷土玩具(きょうどがんぐ)奉公(ほうこう)さんや
鯛(たい)持ちえびすなどの作品で有名。

脇信男 わき・のぶお
長く高松市長(しちょう)をつとめた。
名誉市民(めいよしみん)。

トップ