ふりがな

やしまじ 四国霊場八十八ヵ所の発掘調査

遺跡名

屋島寺

所在地

高松市屋島東町

時 代

 江戸時代前期

 説 明

 瀬戸内海に突き出た屋島は,テーブル状の溶岩台地としてひときわ目を引くが,『日本書紀』に西暦667年に屋島城が築かれたと記され,また西暦1185年に源平合戦が東麓で繰り広げられた地として有名である。その南嶺に所在する屋島寺は,四国霊場八十四番札所として名高く,平安時代製作の重要文化財千手観音坐像や鎌倉時代末期建築の本堂など貴重な文化財を今に伝えている。この屋島寺本堂脇にある宝物館建て替えに伴う発掘調査が行われた。
 もっとも注目される遺構は,江戸時代前期と推定される大規模造成の痕跡(集石遺構)である。これは,斜面一面に大量の人頭大の石を積み,この上に盛土をして造成しているものである。現在本堂前面は,水平な土地が広がっているが,これは江戸時代に造成されたものであり,当初は斜面に本堂が建っていたことが明らかになった。江戸時代においては,室町時代に衰退した屋島寺が,生駒家・松平家といった歴代藩主の庇護を受け復興していくことが文献から伺え,この大規模造成の痕跡も一連のものと考えられる。
  一方,出土遺物を見ると,平安時代の蓮華文軒丸瓦と唐草文軒平瓦がある。この時期に属する遺構は検出できなかったが,考古学的に屋島寺の創建が平安時代にまでさかのぼる可能性が明らかになってきたといえよう。

写真

図面

 

        集石遺構(江戸時代前期)             軒瓦(平安時代)