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高松藩士由緒録 ≪ま之巻≫

 

高松藩士氏名

高松藩士由緒録記載事項

692

米谷嘉左衛門

嘉左衛門,元大久保家家士,帯刀様御部屋に勤め後,表へ召され側小姓百俵四人扶持奥目附新組頭格となる。のちに中寄合。

その子茂次郎,百俵大番組となる。

693

蒔田与吉郎

蒔田十太夫・徒士岡田清兵衛(岡田姓は三軒あるも,該当者の記述はなし岡田へ)養子,徒士に召しだされのち姓蒔田と命により改め伯楽となる。

その子千蔵・養子岡田村牢人中條千次の子,徒士となるも江戸にて出奔家絶える。

与吉郎・十太夫後家養子,初め主計様御家頼,惣領組並となる。粂助と改める。


※ 養子縁組等先
  堀池弥惣左衛門家?

694

牧野孫七

元祖孫七,明暦元年(1655)百石書院番組のちに百五十石同与頭となる。

その子孫七,使番となる。

その子孫七,また同じ,代々与頭使番物頭となる。

その子孫七・養子青木八兵衛次男,馬廻番組のちに五十俵役料徒士頭となる。

その子平之丞,馬廻番組となる。

695

正木与一郎

与一郎,大蔵様御部屋小納戸留守居番組並

696

間嶋芳兵衛

元祖半右衛門,水戸より御附,下館において百石より五百石となり書院番頭,高松御入部千石年寄となる。

その子半右衛門,分知七百石となり年寄となる。

その子伴内,大番頭となる。

その子市之進,書院番頭となる。

その子芳兵衛,側小姓徒士頭となる。

間嶋藤次右衛門・元祖半右衛門次男分知,三百石馬廻頭となる。

その子六郎太夫,小姓頭となる。病気となり御役さし上げる。

その子勘太郎,百石下されるも早世にて家断絶する。

三男五太夫,元文元年(1736)惣領組に召しだされのちに若殿様附側小姓御守使番格となり五十俵四人扶持下されるがのちに出奔。居所知れ,御召捕となり,さし下し兄の西尾縫殿へお願い,宝暦元年(1751)手厳しき仕置をおおせ付けられ,家永く絶える。


※ 養子縁組等先
  西尾登家   間嶋市之丞

※ 所属与力
  間嶋市之丞

697

間嶋市之丞

父間嶋彦右衛門は上月彦右衛門という。本家半右衛門と同族,間嶋伴内与力。

その子市之丞,初め上月彦右衛門という。徒士に召しだされのちに留守居番組路次預となる。

698

間嶋益齋

父玄俊,十人扶持奥医師となる。

その子益齋養子十人扶持奥医師となる。

699

間瀬甚十郎

先祖新右衛門,初め公子志摩殿家士,のちに五十俵四人扶持奥目附となる。

その子藤左衛門,初め大膳様御家頼,のちに留守居番組となる。

その子甚十郎・養子,惣領組となる。のちに家断絶する。


※ 養子縁組等先
  近藤小又家   古市直右衛門

700

増田小右衛門

先祖善久,慶安2年(1649)召しだされ徒士格のちに八十俵五人扶持医師格となる。

その子卯左衛門,家督百石若殿様側小姓のちに番組となる。

その子卯左衛門,奥目附となる。

その子義平太,書院番組。

その子小右衛門,書院番組となる。


※ 養子縁組等先
  
鈴木助之進家   関尾七蔵家   中村八太夫

701

増田徳右衛門

徳右衛門,徒士より徒士目附となる。

702

町川五左衛門

元祖五左衛門,延宝8年(1680)馬乗。

その子治五右衛門,馬乗。

その子五左衛門,馬乗。

その子五左衛門,徒士より馬乗となる。

703

松井長兵衛

元祖市左衛門,寛永14年(1637)より御奉公二百石下館において三百石高松御入部三百五十石先手頭となる。

その子,その子次郎左衛門,家督二百石となる。

その子次郎左衛門,町奉行のちに中寄合となる。

その子圓之丞,家督二百石番組より側小姓のちに出奔し断絶する。

その子長兵衛,初め公子大蔵様中小姓のちに表へ召しだされ(銀)二十枚四人扶持側小姓のちに五十俵四人扶持となる。


※ 養子縁組等先
  中條幸馬家   松井嘉右衛門

704

松井嘉右衛門

先祖加右衛門・本家次郎左衛門同族,鉄砲奉行となる。

父市左衛門・養子,初め徒士小頭のちに留守居番組となる。

その子加右衛門,初め徒士より徒士目附鉄砲奉行吟味人五十俵四人扶持五十俵役料代官となる。

705

松浦卯左衛門

先祖逸見善左衛門(逸見姓の記載なし),初め町奉行預り足軽のちに留守居寄合となる。

その子善左衛門,普請方手代よりのちに御金蔵元締役百俵四人扶持勘定奉行となる。

その子卯左衛門,家督七十俵四人扶持大番組より大納戸となる。


※ 養子縁組等先
  
石垣又三郎家?   小嶋七蔵家?
  真部権三郎

706

松浦又右衛門

先祖より代々,大久保家与力。

707

松岡紋次郎

父三右衛門,享保6年(1721)徒士に召しだされ寛延年中五十俵四人扶持作事元締役のちに留守居番組,

その子紋次郎,徒士,紋三郎と改める。

708

松尾孫六

先祖七郎左衛門,下館において徒士,のちに二百五十石公子松千代様守役となる。

その子,のちに牢人。

当七郎左衛門,明和元年(1764)徒士に召しだされのちに惣領組三十俵四人扶持庭預奥目附となる。

その子孫六・養子滝市太郎弟,惣領組となる。

709

松崎浅右衛門

先祖浅右衛門,徒士。

その子浅右衛門,徒士目附。

その子浅右衛門・養子三木勘太夫(三木姓は七軒あるも,該当者の記述はなし三木へ)の次男,徒士となる。

710

松崎七左衛門

七左衛門,徒士より徒士目附となる。

711

松崎渋右衛門

先祖甚右衛門,酒井家の臣,延宝元年(1673)本寿院様御供して御家に来る。百五十石後二百石使番格。

その子渋右衛門,のちに三百石寄合番頭となる。

その子長門,四百石年寄となる。後寄合番頭,不座,のちに隠居おおせつけらる。

その子渋右衛門,家督三百石側小姓より横目となる。

712

松崎万兵衛

父友七,徒士。

万兵衛・老女小野崎の子,初め寿齋という。小僧となる。のちに友右衛門と改める。又,新十郎と改める。のちに万兵衛と改める。徒士,徒士目附,惣領組三十俵四人扶持大番組となる。


※ 養子縁組等先
  
近藤喜三郎家   萩谷宗太夫
  松崎勘右衛門家?

713

松崎林左衛門

先祖より代々,鷹匠。

当林左衛門,手鷹匠。


※ 養子縁組等先
  
松崎安兵衛

714

松崎卯平

先祖より代々,鷹匠。

715

松崎勘右衛門

先祖勘右衛門・本家勘七友七か?/の次男,延宝4年(1676)鷹匠となる。

その子勘右衛門,鷹匠小頭。

その子勘右衛門,鷹匠。

その子才助,鷹匠。

716

松崎安兵衛

安兵衛・松崎林左衛門の姉老女花岡の養子丹羽弾右衛門の三男,惣領組に召しだされのちに側小姓より大番組となる。

717

松平甚五左衛門

元祖松平半左衛門可正,初め東照宮へ奉仕後威公御附,寛永19年(1642)高松御入部御供す。六百俵大番頭となる。

その子甚五左衛門,三百俵十人扶持鎗奉行となる。

その子甚五右衛門,三百石のちに三百五十石書院番頭となる。

その子甚五右衛門,自害し跡絶える。

その子甚五右衛門,享保5年(1720)十五人扶持下され召しだされ後,百俵四人扶持となる。

その子波門,側小姓。

その子齋宮・養子彦坂小四郎の次男,側小姓となる。

その子甚五左衛門側小姓となる。


※ 養子縁組等先
  松平五兵衛

718

松平五兵衛

先祖又兵衛・本家半左衛門可正の次男,正保元年(1644)五十俵五人扶持書院番組のちに二百俵。

その子七郎右衛門,百五十石五十俵役料横目となる。

その子七郎右衛門,書院番組。

その子七郎衛門,門番頭となる。

その子新助,書院番組,五兵衛と改める。


※ 養子縁組等先
  村上八郎左衛門

719

松田荻右衛門

父次郎左衛門,代々大久保家家頼,

その子荻右衛門,主計様附惣領組並より留守居番組並,のちに三人扶持下され御暇となる。

720

松田合左衛門

先祖合左衛門,水戸において肥田和泉与力高松御入部表に召しだされ二百石大番,のちに使番となる。

その子合左衛門・養子齋藤勘兵衛の末子。

その子合左衛門,旗奉行となる。

その子合左衛門,使番となる。

その子合左衛門,馬廻番組より横目町奉行百俵役料奉行,小姓頭となる。

721

松田庄左衛門

本家松田庄左衛門可次,嵯峨より下館御奉公,下館において二百五十石使番高松御入部三百五十石旗奉行となる。

その子,毘沙松分知二百五十石下されるも早世し断絶する。

曽祖父庄九郎,本家元祖庄左衛門可次の弟寛文4年(1664)分知百石下され候,已後代々番組となる。

当庄左衛門,書院番組門番頭となる。

722

松田義左衛門

父義左衛門,初め手代より札会所元締役となる。

その子義左衛門・養子,奉行手代よりのちに百俵四人扶持勘定奉行となる。

723

松野伊太夫

先祖伊兵衛,明暦3年(1657)召しだされ後二百五十石書院番頭となる。

その子伊兵衛。

その子伊兵衛,寄合番頭となる。

その子伊太夫・養子高畑要人の弟,書院番組よりのちに持筒頭となる。


※ 養子縁組等先
  池内彦兵衛家?

724

松延権之丞

元祖勘之丞,承応3年(1654)手代格となる。

その子権之助,新組のちに塩硝蔵預り惣領組代々,また同じ,

その子勘之丞。

その子権之丞,初め庵(廣)蔵という。

その子権之丞,初め広蔵という。

725

松原仁左衛門

先祖五兵衛,貞享(1684〜88)の頃,英公御山荘の御庭奉行となる。

その子英伝,表坊主より茶道頭・享保15年(1730)百五十石物頭格,元文元年(1736)還俗おおせつけられ仁左衛門と改める。のちに御林御姫様の御傳となる。

その子仁左衛門,嫡孫承祖家督百五十石馬廻番組となる。

その子小財次馬廻番組となる。


※ 養子縁組等先
  中條幸馬家   津田松兵衛家   松原茂助

726

松原茂助

父五兵衛・本家英伝の甥,徒士に召しだされる。

その子茂助・養子上ノ村牢人太田三平の子,徒士となる。

727

松原新象

父新平,先祖より代々徒士後留守居寄合となる。

その子新象・養子,徒士となる。

728

松原八十郎

父惣左衛門,初め常久院様御内證手代より郷普請奉行となる。

その子八十郎,蔵手代となる。

729

松原彦十郎

先祖三太夫,手代よりのちに蔵奉行となる。

その子彦十郎。

その子彦十郎。

730

松村四郎右衛門

四郎右衛門,初め代官手代より吟味人五十俵四人扶持五十俵役料代官,後百俵役料となる。

731

松本吉左衛門

父平三郎,手代より後作事奉行となる。

その子吉左衛門,初め小僧より徒士留守居寄合となる。

732

松本久兵衛

先祖より代々,百石船与力。

父九兵衛・養子三守儀右衛門次男。

その子久兵衛・養子吉川柳庵三男。

733

松本小兵衛

元祖三右衛門,貞享3年(1686)賄人。

その子兵十郎,賄人のちに百俵四人扶持勘定奉行となる。

その子左内,家督五十俵四人扶持大番組となる。

その子小次郎・養子西川伊兵衛次男,(銀)五百目四人扶持留守居番組となる。小兵衛と改める。三十俵五人扶持十俵役料与頭となる。

734

松本孫次

先祖孫八,徒士より惣領組。

その子孫八,また同じ。

その子孫次・養子小松文太夫次男,徒士となる。

735

真鍋亀次郎

先祖藤八,生駒出人,寛文9年(1669)(銀)十枚四人扶持新組のちに大番組となる。

その子宇治右衛門のちに弥助と改める。正徳5年(1715)二十人扶持大番組,のちに三十人扶持使番格となる。

その子宇治右衛門,家督百石のちに物頭格となる。

その子亀次郎,大番組,弥五郎と改める。


※ 養子縁組等先
  
真鍋熊之助

736

真鍋熊之助

先祖治三郎・本家宇治右衛門同族,初め徒士より道具奉行となる。

その子治三郎,徒士小頭となる。

その子斗八郎,徒士となる。

その子忠左衛門・養子古高松牢人片岡加門の子,徒士となる。

その子熊之助・養子笹嶋喜兵衛喜右衛門か/の子,徒士となる。織右衛門と改める。

737

真鍋安右衛門

先祖(真部)十兵衛,初め蔵手代追放おおせつけられる。

その子安右衛門,元禄15年(1702)作事手代のちに百俵四人扶持勘定奉行百俵役料郡奉行となる。

その子安右衛門,家督百俵馬廻番組のちに代官となる。ゆえあって永の御暇となる。追って召しだされ十石三人扶持賄頭となる。

その子安右衛門,初め公子大蔵様中小姓のちに表に召され惣領組,のちに真鍋と改める。


※ 養子縁組等先
  真部矢六

738

真部矢六

弥次郎・真部安右衛門真鍋か/同族真部藤十郎の娘主計様小姓美代・養子,主計様側小姓惣領組並に召しだされ矢六と改める。のちに御暇となる。

739

真部権三郎

先祖より代々,船与力。

当権三郎・養子松浦卯左衛門の弟,船与力となる。

740

真部嘉兵衛

先祖加兵衛,公子図書様家臣,元禄16年(1703)表に召しだされ御台所横目のちに留守居となる。

その子彦右衛門,惣領組となる。

その子嘉兵衛,享保11年(1726)徒士よりのちに百俵四人扶持百俵役料郡奉行となる。ゆえあって五十俵四人扶持大番組,のちに切支丹奉行となる。

その子嘉兵衛・養子井上郡助の弟,大番組となる。


※ 養子縁組等先
  真部茂左衛門

741

真部茂左衛門

父茂左衛門・真部嘉兵衛の弟,徒士より後徒士目附。

その子茂左衛門,徒士目附となる。

742

間宮武右衛門

元祖九郎右衛門,水戸より御附,下館において百五十石高松御入部百石加増のちに三百石寺社奉行となる。初め半右衛門という。

その子,その子武右衛門,三百五十石奉行馬廻番頭格となる。

その子,旗奉行となる。

その子武右衛門,側小姓のちに五十石加増都合四百石,定府年寄となる。のちに御国勝手となる。


※ 養子縁組等先
  
入谷政八郎家   筧助右衛門



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