歴史よろず庵   〜 平成13年4月掲載分

   本ページは平成13年4月1日・15日発行の『広報たかまつ』に掲載したものです。


 

       大阪商船ポスター〜大正浪漫ただよう美人画〜

 供用開始間近のサンポート高松にちなんで, 高松商運(株)より御寄贈いただいたポスターです。
 ポスターは数枚ありますが,いずれも大正時代から戦前に瀬戸内海航路を運行していた大阪商船のものです。
 当時,瀬戸内海を行く船は,大阪・神戸から別府へ,沿岸各地を経由していました。もちろん高松も寄港地の一つで,京阪神や,温泉地である別府などへ至る重要な交通機関でした。ちなみに,別のポスターに印刷された時刻表によれば,午後2時に大阪を出港した船は,午後3時40分に神戸を経由し,午後9時20分に高松に到着します。そして別府へは翌日の午前10時に到着していました。神戸〜高松間は5時間40分を要したことになります。  現在,ジャンボフェリーが同区間を3時間40分で航行していますが,2時間多くかかっているに過ぎません。高速を誇る当時の最新鋭船が,瀬戸内海を快走していたのでしょう。
 写真のポスターは,縦100.6,横67.2センチメートルの大きさで,裏面にある大正時代のものといえます。画面には停泊する汽船・蓬莱丸をバックに,清楚な日本美人が描かれています。会社名は右下に書き込まれているだけのシンプルなデザインです。大正浪漫を感じる資料ではないでしょうか。

大阪商運ポスター


 私達も仲間です

平成13年4月1日掲載



 

       讃窯道八がやってきた

 女性の掌にもしっくりと収まるような小振りで薄手,やや深い抹茶碗。青みがかった乳白色の表面には,富士と裾野の樹海,ぐるっと回せば満開の梅が描かれています。うららかな春の風情を感じさせてくれる「色絵富士梅文茶碗」は,江戸時代後期に,京焼の陶工として活躍した仁阿弥道八の作です。
 当時,京焼第一人者の名声を得ていた道八が,高松藩9代藩主松平ョ恕に招かれて三本松の地を踏んだのは,天保3年(1832)3月のことです。藩財政の建直しを図っていたョ恕が,新たな特産品として焼物に注目し,道八を招聘したといわれています。
 それから道八は,窯場となる土地を物色し陶土を探し,あるいは配合を工夫するなど,幾度もの失敗と試行錯誤の末,最初の作品をョ恕に献上したのは翌年の正月のことでした。同年8年,道八は大変喜んだョ恕から,「讃窯」の印銘を賜り,以後この窯の製品には「讃窯」の刻印が刻まれることとなります。讃窯道八の誕生です。本作も高台脇に亀甲囲みの「讃窯」の刻印が認められています。
 この成功を見届けた道八は,長男や弟子に後を託して帰京し,嘉永4年(1851)年に再度三本松を訪れています。しかし,すでに生産には陰りが見え始めており,明治18年(1885)には窯場が人手に渡って讃窯が人手に渡って讃窯は終焉を迎えるのです。

 同資料は,志度町在住の安達氏から寄贈を受けたもので,現在歴史資料館常設展示室で展示中です。

色絵富士梅文茶碗(梅文) 色絵富士梅文茶碗(富士文)

平成13年4月15日掲載


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