歴史よろず庵   〜 平成15年8月掲載分

   本ページは平成15年8月15日発行の『広報たかまつ』に掲載したものです。


 

    げんぺいかっせんずびょうぶ
    源平合戦図屏風

 屋島という地名が、全国的によく知られるようになったのは、寿永4年/元暦2年(1185)2月、屋島の麓で戦われた源平合戦にあるといって間違いないでしょう。
 屋島檀の浦では佐藤継信が源義経に代って討たれたことや那須与一が小舟の舶先につけられた扇を射落としたことなど、源氏と平家の合戦のエピソードは、平家物語をもとに琵琶法師などによって語りつがれ、さらには屏風や錦絵といった絵画の題材にもとりあげられることになりました。そのようにして屋島の地名も全国各地に流布していったものと思われます。
 今回の屏風は江戸時代に描かれたもので、「一の谷合戦」と、「屋島合戦」と別々の屏風に描かれていますが、左右で一双になっています。このような構成の源平合戦図屏風は比較的多いようです。屋島合戦の屏風には、先に記した継信の討死や扇の的のほか様々なエピソードが、時系列で追えるよう、ひとつの画面の中に描かれています。
 このような屏風を持っていたのは、上級武士か豪商といった富裕層と推定されます。自身や子弟の教養を高めるため屏風の絵を見ながら屋島合戦の詳細について学んだのでしょうか。今後この屏風は、市民のみなさんが高松の歴史を知るために多いに役立てていただきたいものです。

「源平合戦図屏風」(右隻)
「源平合戦図屏風」(左隻)

平成15年8月15日掲載


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