歴史よろず庵   〜 平成15年7月掲載分

   本ページは平成15年7月15日発行の『広報たかまつ』に掲載したものです。


 

    かいひんしゅうろず
    海瀕舟路図

 海瀕舟路図は、「乾、坤、全、呂、律」の五巻からなる瀬戸内海沿岸と九州一円の海岸を記載した絵図です。高松周辺は呂の巻に記載されています。「古高松、カタモト、香西」などの地名が読み取れます。
 おもしろのは男木島と女木島の地名が誤って反対に記載され、後日、女木島のところに付せんをはって「此嶋女木(この島女木)」と訂正されていることです。
 また、地名だけでなく、要所間の距離の記述や、屋島山上にある血ノ池の由来が書き込まれていたりするなど、様々な書き込みがこの絵図にはあります。
 本資料は、海上を巡検した幕府の役人が作成したものの写本(写し)ではないかと言われています。記録によると、寛文7年(1667)12月に、ときの将軍・徳川家綱が「西の各浦を巡視していた大坂船手頭の高林又兵衛政末と書院番頭の向井八郎兵衛興を召して話を聞いた」とあります。果たして本資料はそのおりに提出されたものの写しなのでしょうか。今後の研究に期待したいと思います。
 なお、本資料の高松付近の複製を高松市歴史資料館に展示していますので、ぜひご覧ください。

「海瀕舟路図」(部分)

平成15年7月15日掲載


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