歴史よろず庵 〜 平成13年7月掲載分
★ 本ページは平成14年7月15日発行の『広報たかまつ』に掲載したものです。
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讃岐国白糖製造ノ図同三盆糖製造ノ図
讃岐三白といえば、塩、砂糖、綿をさすことはご存知だと思いますが、今回はこのうち砂糖に関する資料です。この絵の作者は東海道五十三次で有名な歌川広重の娘婿・三代目広重(1842〜94)です。讃岐での砂糖の製造は、寛政時代(1789〜1801)が創業期といわれ、向山周慶(さきやましゅうけい/1745〜1819)による讃岐独自の製糖技術の確立後、藩の保護策もあって、幕末のころには全盛期を迎えます。
明治4(1871)年から10年ごろまで、廃藩置県の影響で低迷が続きますが、その後再び幕末のときのように盛りかえします。しかし、10年代の半ばごろに始まった外国産の砂糖の輸入に押され、衰退の一途をたどるようになります。 資料は、讃岐で砂糖の生産が再び隆盛を迎えようとする明治10年に刊行されたもので、上段に「讃岐国白糖製造ノ図(さぬきのくにはくとうせいぞうのず)」、下段に「同三盆糖製造ノ図(どうさんぼんとうせいぞうのず)」がセットとなっています。上段ははサトウキビを搾る工程が、下段はその蜜を材料に三盆糖の製造の様子が描かれています。 この資料は、全国各地の物産を紹介した大日本物産図会(ずえ)シリーズの一つで、その当時、讃岐の精糖業が全国に知られた存在であったことを物語っています。
平成14年7月15日掲載 |
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