歴史よろず庵   〜 平成13年5月掲載分

   本ページは平成14年5月15日発行の『広報たかまつ』に掲載したものです。


 

       生駒家時代讃岐高松城屋敷割図 〜高松の最も古い絵地図〜

 高松は戦国大名の生駒家が造った街です。天正16年(1588)、生駒親正(いこまちかまさ)が野原郷(のはらのごう)に城下町を築き、高松と名づけたことに歴史がはじまります。その当時の町並について知り得る最も古い資料のひとつが、今回紹介する「生駒家時代讃岐高松城屋敷割図」です。
 本絵地図は、生駒家が御家騒動により、出羽国(でわのくに)矢島(秋田県由利郡矢島町)に移されたころ(寛永17年)のものです。生駒騒動と呼ばれた御家騒動の主役であった生駒帯刀(たてわき)、三野四郎左衛門(しろうざえもん)、前野次太夫、上坂勘解由(かげゆ)などの名前が見えます。彼らは城の内部に屋敷を構える重臣たちで、隣近所の彼らの争いが生駒家の没落を招き、松平家の城下町となったように、私たちの街・高松の歴史を大きく変えることになりました。
 この絵地図には、本丸を中心とする城構えと、城下町が記載されています。その町並みは松平家時代と比べて狭く、町の広がりは、例えば南側においては紺屋町までです。
 また、現在の古新町あたりに新町の記載がみられます。今新町、南新町、中新町とその後の町の拡大によって出現した新たな新町に対する呼び方である古新町が、まだ新町と呼ばれていたころの絵図ということになります。この一点をとっても、高松という街の草創期を伝える貴重な資料といえます。

生駒家時代讃岐高松城屋敷割図

平成14年5月15日掲載


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