歴史よろず庵   〜 平成13年12月掲載分

   本ページは平成13年12月1日・15日発行の『広報たかまつ』に掲載したものです。


 

       大空遺跡出土弥生土器 〜小学生が発見した土器〜

 昭和29年7月、地元の小学生が偶然、高松町大空のスベリ山と呼ばれる小さな丘陵の中腹から土器らしきものを発見しました。
 その後、本格的に調査を行った際、広さ1メートル×80センチメートル、深さ80センチメートルの範囲から、大量の貝殻や石のやじりとともに、多くの弥生土器が出土しています。
 現在、壷11個、高杯(たかつき)4個、鉢3個、器台(きだい)8個、製塩土器11個の計53個が歴史資料館に保存され、そのなかには、コーヒーカップのような土器や、算盤玉(そろばんだま)のような胴体部分に長い首をつけた壷など、面白い形をしたものも含まれています。
 この弥生土器は多くの研究者によって詳しい調査が行われ、瀬戸内海沿岸の標準的な弥生土器群として広く考古学会に認知されることとなりました。そのため、平成10年6月1日、香川県における弥生時代研究の原点ともいえる重要な遺物であるとの理由で、市の有形文化財に指定されています。
 この偶然がなければ、高松市を含む瀬戸内海沿岸の原始古代の研究は違った形になっていたはずです。小さな子どもたちの発見が歴史を知る上で大きな役割を果たした好例といえます。

大空遺跡出土土器

平成13年12月1日掲載



 

       愛媛県管内地図〜香川県が愛媛県だったころ〜

 「名東(夫婦)別れて愛媛に身売り香川は再び里帰り」これは香川県の変遷をあらわした俗語です。というのも、明治4年(1871)11月15日、香川県が成立しますが、明治6年2月20日には名東県(今の徳島県にあたる)と合併され、香川県は一旦姿を消します。その後、明治8年9月5日には、独立してふたたび香川県となるものの、一年後の明治9年8月21日には愛媛県と合併したという経緯から言われたものです。合併とはいっても、名前も県庁所在地も相手方の県のものになっているので、吸収合併といってかまわないでしょう。
 資料は明治17年3月に愛媛県によって発行された管内の地図で、東は讃岐の大内郡から、西は伊予の南宇和郡までがおさめられています。県庁所在地は松山市で、もちろん香川県の表記はありません。
 しかし、風土も違う讃岐と伊予が、同じ県として長く続くわけもなく、分離独立運動が激しく行われて、明治21年12月3日に現在の香川県が誕生しました。
 この地図は、現在の香川県へ至る経緯を物語っている貴重な資料だといえます。

愛媛県管内地図
同拡大図

平成13年12月15日掲載


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