歴史よろず庵   〜 平成13年11月掲載分

   本ページは平成13年11月1日・15日発行の『広報たかまつ』に掲載したものです。


 

       平線儀 〜二人の天才が引き継いだ測量器具〜

 今回紹介するのは「平線儀(へいせんぎ)」です。細長い台座の中ほどに柱を垂直に立てた作りで、幅8.7、長さ52.5、高さ35.5センチのものです。
 一見、何の道具か用途がわかりませんが、詳しく観察すると台座は木製の望遠鏡、垂直の角柱も上端の覆い金具を外せば片側の側板が外れ、内部の真鍮製(しんちゅうせい)の錘(おもり/下げ振り)が確認できます。今日、私たちが水平測量に用いる「レベル」と呼ばれる器具と同じ構造なのです。
 下げ振りを内蔵した角柱の覆い金具には「平線儀/天保11年(1840)/子□製之」、「kumeluu 」の銘が認められます。前者は道具の名称と製作時期の表示。後者は、オランダ語でクメリュー(久米流)と読めます。高松藩に仕えた天才的技術者・久米栄左衛門(えいざえもん/通賢・つうけん)がこの平線儀を製作したようです。
 ところで、戦前に刊行された「平賀源内全集」なる書物にも源内の発明品として同形の平線儀が紹介されています。両者の平線儀がどういうつながりをもつものであるかは分かりません。源内の平線儀を通賢が後世有用の器具と認めて忠実に模作したものでしょうか。讃岐が生んだマルチ天才二人の息遣いを現代に伝える資料です。
 ※この資料は、平成4年に、三谷町通谷の漆原家から寄贈していただいたものです。

平  線  儀

平成13年11月1日掲載



 

       菊池五山「九行書」  〜頭五山に・・・〜

 この作品は、高松出身の儒学者・菊池五山(1769〜1849)の書です。彼は寛政9年(1797)に高松を出奔(しゅっぽん)し、文化9年(1812)に許され、文政8年(1825)高松藩に仕えますが、故郷に帰ることなく江戸で生涯を終えています。五山は兄弟の子孫・菊池寛(1888〜1948)と比べ、現在でこそ知られていませんが、かっては、江戸の街で知られた文化人でした。漢詩集『五山堂詩話(ござんどうしわ)』の編集者として、また作者として、そして批評家として活躍する姿は、菊池寛の事蹟(じせき)と重なるものがあるようにも思えます。
 狂歌の創始者・太田南畝(おおたなんぽ/1749〜1823)が江戸のはやりを述べた句に、「詩は五山、画は文晁(ぶんちょう)に、書は三亥(みつい)、芸者お勝に、料理八百善(やおぜん)」とあります。ここでいう文晁とは、谷文晁(1763〜1840)のことで、当時の流行画家です。また、五山の書きだしの力強さと文晁の終わりが力強いという対照的な書跡の特徴を表現した「頭・五山に、尻・文晁」のことばは有名です。
 資料作品は、数多い五山の書跡のなかでも大作で、天保15年(1844)、76才のときのものです。
 最初の一画を力強く書き出す「頭・五山」の特徴を鑑賞していただきたいと思います。

書出
年号
自書
落款
菊池五山九行書  

平成13年11月15日掲載


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