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高松歴史こぼれ話 第1頁
第1回から第10回まで(番外も含む)
番 外
読売新聞の4コママンガの主人公は“コボちゃん”である。
ところで,この“コボ”ちゃんという名前は,高松の殿様の略称であることはご存知であろうか?
生駒家四代の高俊の幼名は,小法師といって,その父・正俊は書状のなかで,「こぼ」とか「おこぼ」と呼んでいるのである。
平成15年2月7日掲載
第1話
高松市歴史資料館のあるサンクリスタル高松は,明治時代の駅前であった。
というのは,高松に最初に鉄道がついたのは,明治30年(1897)のことで, その時の駅は,西浜ステーションといって,当時の宮脇村に造られ,その場所が現在の香川県立盲学校である。
従って盲学校と道を隔てた反対側のサンクリスタル高松が建っている場所は,明治時代には駅前の土地であったことになる。
現在の付近へ高松駅が移るのは明治43年(1910)のことである。
平成15年3月7日掲載
第2話
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| 小田池の堤 |
平成15年3月21日掲載
第3話
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| 野原濱村の文字 |
平成15年4月4日掲載
第4話
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| 女木島・男木島・直島 |
平成15年4月18日掲載
第5話
大隈重信(1838〜1922)といえば,政治家として,また早稲田大学の創立者として有名である。
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| 桃太郎伝説の舞台女木島 |
平成15年5月2日掲載
第6話
江戸時代,武士の子は武士,町人の子は町人というように,生まれでその将来はほぼ決まっていた。武士も多くの層に分かれていて,普通,下級武士の家に生まれた者は,上級武士になることができない。が,なかには異例の出世を遂げる人がいた。柳沢吉保(1658〜1714)や,田沼意次(1719〜88)がその代表であろう。
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| 松平ョ豊墓所 |
平成15年5月16日掲載
第7話
讃岐では,縄文土器の出土は珍しい。しかも完全に近い形となると稀である。
その理由は,縄文時代の遺跡が少ないからなのだが,その少ない理由はわかっていない。
近年道路建設に伴う発掘調査が多くなり,あわせて縄文時代の遺跡が発見されることも多くなったが,少ない傾向は変わらないようである。
そのような中で,前田東・中村遺跡の注口土器は貴重な例である。土瓶のような形の土器で,今から約3,500年前・縄文時代後期のもので,現在の高松東インターチェンジの敷地から発掘された。現在,車が頻繁に行き交う所は,数千年前から人々の生活の舞台であったことがわかる。
平成15年6月6日掲載
第8話
延喜21年(921)10月27日,空海に弘法大師の号が朝廷から下賜される。
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| 観賢ゆかりの剃刀塚 |
平成15年6月20日掲載
第9話
狂歌の創始者・太田南畝(1749〜1823)の句に,「詩は五山,画は文晁に,書は三亥,芸者お勝に,料理八百善」とある。この五山とは,高松出身の菊池五山(1769〜1853)のことである。
その五山が知られるようになったのは,五山堂詩話を刊行したことに始まる。五山堂詩話は15巻を数え,著名な詩人から,全く無名な詩人のものまで2千首以上の漢詩を紹介・批評した。また,自らも多くの詩を作っている。
批評家として,また編集者として,そして作者として活躍する姿は,一族の後裔(義兄の子孫)・菊池寛(1888〜1948)の事蹟と,重なるものがあるようにも思える。
平成15年7月4日掲載
第10話
讃岐は石の国である。まず,旧石器時代から弥生時代にかけて,石器の材料としてサヌカイトが利用された。
古墳時代になると石清尾山周辺では,安山岩の人頭大の石を積み上げて古墳を造った。有名な積石塚古墳である。また,国分寺町と坂出市の境にある鷲の山から切り出した石で石棺を造った。石清尾山の石船塚古墳や,三谷町の石船古墳に見られる。
時代が下がると,豊島石に代表される柔らかい凝灰岩系の石が利用される。屋島の洞窟等はこの石を切り出した跡といわれる。
さらには花崗岩が,讃岐の島々から大坂城の築城用石材として大量に運ばれた。花崗岩は,現在に至るまで,様々な石造物に利用されている。
また,高松では由良石の存在も忘れてはならない。
このように讃岐では古来より様々な形で,石が利用されてきた。
平成15年7月18日掲載
平成16年2月6日新規