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『2代目市長・小田知周死去』


大正8年(1919),2代目市長であった小田知周が死去した。
戦前の市長ではもっとも長く市長の座にあったほか,
香川県下の政界・財界においても重職につく等,
その事歴は大いに注目すべきである。

 ◆ 嘉永4年(1851)8月11日
宮脇村の十河憲武の子として生まれる
伯父・小田辰右衛門の嗣子となる

 ◆ 明治6年(1873)以降
香川県・山口県の役人
農商務省の官僚となる

 ◆ 明治14年12月
農商務省官僚を退官

 ◆ 明治17年
愛媛県県会議員に選出される

 ◆ 明治18年
独立置県主趣要領の檄文に氏名あり

 ◆ 明治21年
改進党名簿中に「当時専ラ予讃分県讃岐独立ノ事熱心奔走ス」

 ◆ 明治22年1月
第1回香川県会議員に当選

 ◆ 同年4月10日
香川新報(四国新聞の前身)の発行人となる

 ◆ 明治23年3月14日
第1回高松市会議員に当選(明治26年まで)

 ◆ 明治26年1月
阿讃新道の改修について 郡市交渉委員として香川郡等と交渉にあたる

 ◆ 明治29年5月13日
第2代市長に就任

 ◆ 明治41年5月12日
市長退任

 ◆ 明治41年9月29日
高松商業会議所初代会頭に選出される

 ◆ 明治42年3月
高松電気軌道株式会社創立 社長に就任

 ◆ 明治45年4月30日
高松電気軌道株式会社出晴・長尾間営業開始 現在の琴電長尾線の前身

 ◆ 同年5月15日
衆議院議員に当選 1期

 ◆ 同年7月
高松商業銀行頭取に就任

 ◆ 大正2年6月
高松商工会議所会頭退任

 ◆ 同年10月6日
百十四銀行監査役に就任

 ◆ 大正8年7月15日
死去 享年69歳

このように小田周知は政治家として,香川県独立運動の中心的存在であり,後に高松市長を長年勤めた。
高松築港の事業を起こすなど,高松市の基礎を築く一方,市会,県会,国会の各議員としての要職にもあった。
さらに,マスコミ,銀行家,交通機関の経営にかかわるなど実業家としても活躍した。
そして,市長を退任した後には,高松商業会議所の会頭として,地元経済界の指導にあたった。
いわば,高松市のドン的な存在であったのであろうか。

「高松市百年史上巻」より

  
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