ミニ年表 ★012

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『山陽鉄道の考え』


讃岐鉄道と合併した山陽鉄道は,岡山・高松間の連絡輸送を考えていた。
その実現には,岡山側の宇野線と宇野港の建設と,
高松側の駅を現在地に移転する必要があった。
結局・高松駅移転は山陽鉄道の手によっては実現しないが,
宇高連絡船の前史として興味深いので調べてみよう。

 ◆ 明治36年(1903)3月18日
讃岐鉄道と山陽鉄道 連絡輸送をはじめる。1日2往復

 ◆ 明治36年暮頃
宇野線仮免許を得る

 ◆ 明治37年6月
山陽鉄道より鉄道延長のため,市有地買受,海面埋立等の件で高松市に照会

 ◆ 6月14日
高松市側 助役・喜田多七郎等が交渉にあたった。交渉回数・数十回
問題点 路線が西浜港を横断するため

 ◆ 9月頃
讃岐鉄道に吸収合併のうわさ

 ◆ 10月中
山陽鉄道・讃岐鉄道の合併契約成立

 ◆ 10月21日
交渉委員会 紛糾。知事仲裁

 ◆ 11月
市議会の決議
西浜港を埋立て,そこに線路を敷設することで決着
関連して,築港建設第三次工事が起こる

 ◆ 12月1日
山陽鉄道として営業開始

 ◆ 明治39年12月1日
鉄道の国有化 山陽鉄道から国鉄に

山陽鉄道は本四連絡事業を着々と実施してきたが,2年後の国有化に伴い,事業そのものは国が引き継ぐことになった。
山陽鉄道が高松に関係した期間は3年余りと短いが,果たした役割は大きい。

「高松百年史」&「高松市史年表」より

  
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