寺社の巻

吉国寺

 林村大字上林にある平等山吉国寺は讃岐における伽藍(がらん)の始めだといわれている。「寺記」によると,
挿絵
文武天皇の元年(697)行基(ぎょうき)大師当国に来て,始めて屋島に入り,その後木田郡西植田村の神内に行かれてこの堂宇(どうう)を建てられたといわれている。始め平等山蓮華三昧院(れんげさんまいいん)吉国寺といったが,岡と国と文字の相似ているのをもって,後,人あやまって吉岡寺ともいった。当国七談議所(だんぎしょ)の一つである。堂宇草創のとき,毒蟲(どくむし)がいて人を害することはなはだしいので,大師桑の白杖(はくじょう)を持ってこれを鞭(むち)うったところ,はたせるかな大鯰(なまず)が出て天をさして飛び去ったということである。今,神内鯰越(なまずこし)という所があって,その由緒の地といわれている。堂ができると寺を弁恵法師(べんけいほうし)にして行基は京に帰った。

参  考

林村大字上林・・・現在の上林町
吉国寺・・・旧高松空港が建設されるときに廃された寺。現在の県図書館の北西にあった。
文武天皇・・・第42代天皇。(生没年683〜707/在位697〜707)
行基・・・奈良時代の高僧。民間布教に従事。行基を開基伝説の寺は多い。(生没年668〜749)
鯰越・・・三谷町に鯰越池,西植田町に上鯰越池がある。

 

五香湯

 讃岐は高松の本典寺
 特效(とっこう)は大きい五香湯
挿絵
 と,昔から寺に秘められた良薬で有名な三番町の本典寺。
 元和3年(1617)の創製とあるから,その頃のことだったか,住職が薬方記を夢の中で授かったのであった。不思議にも夢が覚めて見ると,夢の中で渡された製法の秘伝書が机の上に乗っていたのでびっくりした。ともかくありがたい夢告げ,いや夢授けと,早速それによって薬を製法し,小児に呑ませると,ケロリと全治した。諸人を助けるために頒(わ)けていたが,諸国からこの薬を求めるようになり,本格的に製法して売りひろめることにした。寺はそのために繁昌して,財を作ったと伝えられている。

参  考

本典寺・・・現在,番町四丁目に所在する。

 

華下天満宮御神像

 高松市片原町華下天満宮(はなしたてんまんぐう)の御神像に関する伝説がある。
 松平ョ重公
挿絵
入府(にゅうふ)当時は,この像が一時紛失して社殿は空殿となっていた。それがもとへ戻ったのは次の如く伝えている。
 藩中に西川藤左衛門久邦という者がいた。菅神を信仰して,身の上の事を祈願していたが,ほどなく転役したのでいよいよ信仰を厚くしていた。延宝元年(1673)正月の事であったが,家内の者は他所に行き,藤左衛門は居眠りしていたが,烏帽子に白衣を着たる人が来て,「只今菅神御光臨あり。家内を浄め待つべし。」というので,「心得たり。」と答えた。また居眠りしたが,この事が再三に及んだ。ついに彼の人は大いに怒り,「菅神只今,御出なり。油断なり。」といい,門を叩く者がある。藤左衛門起き上り立出でたところ,菅神画像が置いてあった。久邦も不思議に思い門外に出でで見れば彼の人は見えなかった。その尊画を拝すれば尋常の像と思えぬので大切に所持していた。それより三年を経て怪事度々あり,ある夜夢に菅神出現して一句を詠じた。
    願はくば花の下なる名に住まん
 とあったので,久邦初めて心付き,延宝3年(1675)2月25日華下天満宮へ納めたのである。

参  考

華下天満宮・・・片原町に所在する。北を向いて鎮座する天満宮として知られる。
西川藤左衛門・・・藩主由緒録によれば,延宝2年作事奉行となっている。

 

峰穴神社

 峰穴神社は石清尾八幡神社の後方宮脇町赤塔山(あかとうやま)の麓にある。
挿絵
 同社の縁起によると細川右馬頭(うまのかみ)と細川左馬頭(さまのかみ)との合戦があった。第一戦で右馬頭の軍は散々に敗れ,このところへ逃げ落ちて来た。その時,小祠があるのを見て里人に神の名を聞き八幡宮である事を知り,右馬頭はすぐ馬から下りて武軍の祈願をしたのである。
 翌日,再び右馬頭と左馬頭の軍勢が対陣となり,敗軍の右馬頭軍は武士の最期を飾らんと,勇猛な突撃を敢行した。この時,不思議にも右馬頭が祈願した祠の穴より峰数万匹むらがり飛び来て,左馬頭軍の中に飛込み,軍兵をことごとくさしたので,兵は乱れ手の下しようもなく散々の有様となった。右馬頭軍はその機に乗じて突き進み,ついに勝利を得たのである。
 その後,右馬頭は八幡への祀りを厳重に行ったと伝えられる。今に至るまで,毎年四月三日に市が立ち行われる。これを右馬頭市という。

参  考

峰穴神社・・・石清尾神社の末社で,同社の西北西,赤塔山と呼ばれる山の北麓に鎮座する神社。
石清尾八幡神社・・・高松の産土神。生駒親正・松平ョ重によって現在のかたちとなった。
右馬頭・左馬頭・・・官位。右馬頭は室町幕府の名管領・細川ョ之がなのった官名。
右馬頭市・・・かつて石清尾八幡神社の春祭りを右馬頭市と呼んだ。現在,五月の二・三日に行われる。