10 平   池

 讃岐の池は,二万とも三万とも言われる。池台帳に記載された池から,沼のような池まで入れると三万という数字になるのだろう。そして,これらの池には必ず伝説が語り残されている。なかで,哀れをさそうのが人柱伝説である。

 さて,話は遠くさかのぼる。高倉天皇の御代,平清盛が,阿波の民部成良に命じて池を築かせた。しかし,何度堤を築いても池は決潰してしまう。民部は,神仏に祈った。すると,「明日,ちきりを持った女が通りかかる。その女を人柱にたてよ。」と夢告げがあった。

 民部は悩んだ。だが,工事は成功させなければならない,池が築けないのでは住民の苦労にも報いられない。

 ちきりを持った少女を堤に埋めこんで,池は完成。

 ところが,池の東の隅,蛇渕といわれるあたりから水がしたたり落ちてとまらない。絶えまなくしたたり落ちる水音が「いわざらまし,こざらまし」とまるで乙女がむせび泣くように聞こえるのだ。

 来なかったらよかった,ちきりを持っているなんて言わなければよかったと,聞こえるというのだ。

 里人は,この乙女の霊を池の中洲に祀った。そして,さらに雄山の上に移してちきり大明神として祭祀するようになった。毎年祭礼の日にはちきりを持った子供たちが鈴を鳴らして練り歩く。

 なお,岩皿小皿と呼ばれるあたりに竹林があったが,これは,人柱になった乙女が持っていたちきりが芽吹いたものだという。

 池畔には,岩皿小皿像という乙女の像が建てられている。





11 底なしの渕

 「底なしの渕」は,田村神社の奥殿の下にある。渕は神そのものという信仰で崇められている。水の神さま,田の神さまの田村神社の奥殿は少々他の神社とはおもむきを異にしている。参詣人が手を合わせる拝殿,そして幣殿。そのもうひとつ奥の本殿とだんだん低くなっている。もっとも低いのが,神さまをお祀りしてある奥殿なのである。拝殿,幣殿は入母屋造り,本殿,奥殿は春日造りで由緒がふかい。常にへりくだるという一宮地区の人々の謙虚さはここからきているという。昔から,常にこう教えこまれてきたのであろう。

 もっとも棟の低い奥殿の下が,絶対に見ることができないという「底なしの渕」なのだ。盛夏といえども凄冷の気満つるところと伝えられているが,決してのぞいてはならない深渕なのだ。しかし,見てはいけない,絶対に見ることはかなわない,と言われると,見せろ見せろと駄々をこねる人が必ずいる。普通に,見せろ見せろというのなら,駄目だ駄目だと笑ってすませるが,権力を持って開いて見せろとなると少々困ってしまう。困るだけでなく腹も立つ。だが,いたのである。役目がら検問しておく必要があるのだと,神の渕をのぞいた人がいた。

 ええ,その人がどうなったか?まあ,順序をおって話してみよう。

 むかし,むかし,それでも松平頼重公の時代というから,明暦のはじめ。松平公の命により,田村神社の修理改築が行われた。

 「底なしの渕」の上に奥殿が建てられているので,台座はどうしてもいたみやすい。その取り替え作業の最中に,普請奉行の一人がどうしても「底なしの渕」を見ておきたいという。神官は,むかしから誰ものぞいたことのない渕,また,決して人が近づいてはならない渕だからやめるようにと再三止めたが,聞き入れない。

 奉行は,神の渕を覗きこんだ。誰も見たことのないという「底なしの潮」へ目をこらした。薄暗い渕の中を凝視していると,渕の水音が逆まき持ちあがるように迫ってくる。何だろうとなおも見据えていると,水の中から二間ばかり頭をもたげたものがある。ちらりと赤い舌を巻きらんらんとした目を光らせて,奉行を睨みつける。

 奉行は,血の気がさあっと引いていった。息ができなくなるというが,冷汗が出て喉がつまり息もできない。口の中はからからに乾きあがった。

 「閉帳,閉帳。」

 奉行は,夢中で叫んだ。だが,それから気分がわるくなり起きていることができない。駕籠を呼んで帰ってしまった。奉行は帰宅したまま寝こんでしまいそれからしばらくは半病人のありさま。

 この話は,まだ続く。「底なしの渕」を木枠で囲い蓋をする。その中央が二尺四方ぐらいあいたところへ,運わるく大工が鑿(のみ)を落しこんだ。さあ,大変なことになったと大工は顔の色をかえた。すると,そのなかのものが鑿を角にひっかけて差し出してくれたが,大工は恐ろしくて手で受け取ることができない。おそるおそる足で挟んで持ちあげた。ところがそれがわるかった。奉行も,大工もわずかばかりの患いであえない最期を遂げてしまった。

 普請の最中に,「底なしの渕」に不敬があったということで二人のものが命を落してしまった。まこと,生神のしるしであるとすべての人が恐れ慎んだという。

 「一宮大御普請の事」にはこうしたことが記録されてあるが,とにかく見てはいけないところは,やたら見せろ見せろと言うのはつつしんでもらいたいと伝えられている。

 「底なしの渕」にいたものは何かだって?そりゃ,わからない。でも,神竜がいたのだとも,竜が守護しているのだともいう。かつては,境内に黒い蛇がたくさんいた。それは,神さまのお使い姫だったというのだ。

 袂井(たもとい),花の井など,境内にはいくつかの湧井がある。この袂井は,姫神がごやを召し上りすぎて下痢をなさったとき,この井戸の水を着物のたもとですくってお飲ませした。すると,姫神の下痢はとまり元気になられたというのだ。霊泉なのだ。

 それからしばらくの後,姫神がおなくなりになったとき,花の井の水をくみ姫神の御前に花をさして供えた。

 田村神社のお田植祭のとき,ひき入れる水田の水も,同じ水系のものを使用する。

 正月には,田村神社から おみずはつほ(御神水)をいただいて帰り,歳神さまへお供えしていた。ものがたい人がいる家では,現在でも続いている風習なのである。

 たもとい,はなのい,底なしの渕,ともに神水であり名水,田をうるおすもとの水ということになる。





12 小  田  池

 小田池は,高松市川部町と香川郡香南町にまたがる。かつて,白鳥が飛来したというので,白鳥の来る池として有名。

 この小田池も,西嶋八兵衛が手がけた池で寛永4年に成ったというが,相当な難工事であった。平野に築かれる池は,容易に堤防が築けず普請奉行は頭をかかえこんでいた。梅雨までに堤を築きあげなければ田植ができなし,藩主からはまだかまだかと催促の早馬がくる。池普請の人夫たちは,

 「こりや人柱でも立てなければなるまい。」

 と,ささやきあっていた。奉行に進言しても,むごいことを聞き入れてはくれない。

 そうこうするうちに梅雨のはしりの雨が長引き,またまた堤防が決潰してしまった。下手をすると田も植えられなくなると農民たちはさわぎはじめる。水がはげしく流れ出る堤を見ていた人夫たちは,人柱をたてなければ堤は築けないものと思いこむようになってしまった。

 奉行も,こう長引いたのでは方々に障害が起きてくる。人柱をたててでも堤防を築きあげなければと決心。だが,人柱に立とうという者はいる筈がない。

 すると,工事中の池のほとりを通りがかった女性がいる。奉行は,意を決してこの女性二人を人柱にたてることにした。一人は奥方,もう一人はお供の女性だったのだ。まだ年若いお供の女は,

 「運わるく奥方さまのお供を言いつかり,ここへ来かかったばかりに死ぬことになってしまった……。」

 と,泣き崩れる。でも,覚悟を決めた奥方さまの顔を見ているうちに,お供の女性も少し落ちつきこんな願いを托して池に入った。「奥方さまのお供で死んでゆくのですから,私の墓は,奥方さまの墓より少し離れた高いところへ建ててくだされ。」

 この女性は,すわという名。奉行は,すわの最期のねがいのままに,高い山に「諏訪(すわみょうじん)明神」として女を祀った。奥方は「池明神」とし,池の守護神として祀られている。

 さしもの難工事もやっと完成。10月9日の祭りには,村中総出のにぎやかさ。

 池築造にあたっての人柱伝説が,ここにも哀しく語り残されている。


イラスト  ★ ☆ ★  長尾  ★ ☆ ★