菊池五山(きくちござん)の経歴(けいれき)

菊池五山の年譜(ねんぷ)
1769
 明和/めいわ/6年
 菊池室山(しつざん)の子として生まれる。
 左太夫(さだゆう)という。
1787
 天明/てんめい/7年
 天明(てんめい)年間の後半,京都(きょうと)に遊学(ゆうがく)し柴野栗山(しばのりつざん)の塾(じゅく)に入門(にゅうもん)する。
 この年,柴野栗山にしたがって江戸(えど)にでる。/異説(いせつ)もあり。
1797
 寛政/かんせい/9年
 高松藩の職(しょく)を辞(じ)する。
 高松を出奔(しゅっぽん),諸国(しょこく)をめぐる。
1798
 寛政/かんせい/10年
 自造(じぞう)の罪(つみ)により江戸(えど)を去(さ)る。
 京都(きょうと)・大坂(おおさか)に流寓(りゅうぐう)。伊勢(いせ)四日市(よっかいち)に逼塞(ひっそく)。
1806
 文化/ぶんか/3年
 江戸(えど)に戻(もど)る。
1807
 文化/ぶんか/4年
 五山堂詩話(ござんどうしわ)の刊行(かんこう)がはじまる。
1812
 文化/ぶんか/9年
 赦免(しゃめん)されて高松藩に帰(かえ)る。
1816
 文化/ぶんか/13年
 江戸(えど)で発行(はっこう)された文人(ぶんじん)番付(ばんづけ)に、西(にし)関脇(せきわけ)として菊池五山の名が掲載(けいさい)される。
  注 当時の番付には横綱(よこづな)はなかった。
1825
 文政/ぶんせい/8年
 一族(いちぞく)の菊池武雅(たけまさ)(半隠(はんいん))の家を継(つ)ぐ。
 菊池本家(ほんけ)を継承(けいしょう)、高松藩(はん)に出仕(しゅっし)する。
 江戸藩邸(はんてい)(つと)め。
1829
 文政/ぶんせい/12年
 江戸の大火(たいか)により、五山の詩(し)の多くが焼失(しょうしつ)
1832
 天保/てんぽう/3年
 五山堂詩話の刊行が終(おわ)る。
1849
 嘉永/かえい/2年
 高松藩の職(しょく)を辞退(じたい)
1855
 安政/あんせい/2年
 江戸にて死去(しきょ)。80歳(さい)
※ 出奔・・・江戸時代に武士(ぶし)が逃亡(とうぼう)して跡(あと)をくらますこと。
※ 自造・・・自分が行ったことによる罪。五山はこのように表現(ひょうげん)している。
※ 流寓・・・所々にさすらいとどまること。流浪(るろう)して他国(たこく)にすむこと。
※ 逼塞・・・落(お)ちぶれて忍(しの)びかくれること。
※ 赦免・・・罪(つみ)を許(ゆる)すこと。過失(かしつ)を許すこと。
※ 出仕・・・藩に勤(つと)めること。

五山堂詩話
 五山堂詩話(ござんどうしわ)とは菊池五山が発行(はっこう)した本。15巻(かん)からなる。
 漢詩(かんし)の作品を紹介(しょうかい)・批評(ひひょう)した本である。名のある詩人(しじん)はもとより,名もない人々(ひとびと)の漢詩も多く掲載(けいさい)されている。
 この本の発行(はっこう)により菊池五山は,江戸において文化人(ぶんかじん)としての地位(ちい)を確立(かくりつ)した。

一族の紹介(しょうかい)
菊池半隠(はんいん)高松城跡
 讃岐(さぬき)における菊池一族(いちぞく)の先祖(せんぞ)
 薩摩藩(さつまはん)の儒学者(じゅがくしゃ)・菊池耕齋(こうさい)の子として生まれる。
 江戸昌平坂(しょうへいざか)学問所(がくもんしょ)・林大学頭(だいがくのかみ)に入門(にゅうもん)し,のちに学頭(がくとう)となる。
 元禄(げんろく)8年(1695),高松藩二代藩主(はんしゅ)・松平頼常(まつだいらよりつね)/徳川光圀(とくがわみつくに)の子/に召出(めしだ)され三百石(さんびゃっこく)を受(う)ける。
 藩主の侍読(じどく)/藩主の師(し)/として活躍(かつやく)をした。
 頼常死去にあたり、その葬儀(そうぎ)をつかさどり、墓碑(ぼひ)の文を書く。
 享保(きょうほう)5年(1720)7月没(ぼつ)、62歳。
 なお、半隠の子孫(しそん)は改易(かいえき)となり、五山の時代に再興(さいこう)される。

菊池黄山(こうざん)
 増田正宅(ますだまさいえ)の末子(まっし)として生まれる。
 儒学(じゅがく)・医学(いがく)を学(まな)び、高松の城下(じょうか)・古馬場(ふるばば)で塾(じゅく)を開(ひら)く。馬術(ばじゅつ)などの武術(ぶじゅつ)も怠(おこた)らなかったという。
 藩主一族でのちに阿波(あわ)藩主となる蜂須賀宗鎮(はちすかむねしげ)に従(したが)い、江戸にでる。
 のち高松に帰るが、藩に仕(つか)えず(藩士由緒録(はんしゆいしょろく)によれば,低(ひく)い身分(みぶん)で高松藩に仕えている。)多くの子弟(してい)の教育(きょういく)に力(ちから)を注(そそ)いだ。
 数(かず)多くの弟子(でし)の中でも、高松藩校(はんこう)・講道館(こうどうかん)初代総裁(しょだいそうさい)となった後藤芝山(ごとうしざん)がいる。
 有名(ゆうめい)な柴野栗山(しばのりつざん)は芝山の弟子で、黄山の孫(まご)弟子にあたる。
 平賀源内(ひらがげんない)の儒学の師ともいわれる。
 安永(あんえい)5年(1776)没、80歳。
 文武両道(ぶんぶりょうどう)に優(すぐ)れながらも高位高禄(こういこうろく)を望(のぞ)まず、清貧(せいひん)のなかですごした生涯(しょうがい)であった。

菊池寛(かん)
菊池寛胸像 菊池寛は高松市出身(しゅっしん)の文豪(ぶんごう)として有名である。
 菊池五山の義兄(ぎけい)・菊池守拙(しゅせつ)の子孫(しそん)で,明治(めいじ)23年高松市に生まれた。
 詳(くわ)しくは,菊池寛記念館(きくちかんきねんかん)のページへどうぞ

菊池家系図(けいず)
菊池家系図のページへ

参考文献1 江戸の詩壇ジャーナリズム〜「五山堂詩話」の世界 揖斐高著 株式会社角川書店発行 平成13年12月25日
参考文献2 菊池寛の祖とその時代 井下香泉著 高松大学出版会発行 平成14年3月1日