タイトル
屋島

義経一代記之内

大物浦難風之図
資料データ
歌川国芳筆
大判錦絵三枚続
縦36.7 横74.8(cm)
江戸時代
天保14年(1843)〜
弘化4年(1847)

 歌川国芳(1797〜1861)は,江戸後期の浮世絵師。初代歌川豊国の門人で,号は一勇斎・朝桜楼。文政(1818〜29)末の《通俗水滸伝豪傑百八人》の錦絵シリーズが好評を博し,「武者絵の国芳」と呼ばれた。武者絵の他にも,風景画では洋風陰影法を取り入れて新境地を開拓し,天保の改革(風俗上よくないとの理由で,役者絵・遊女絵の売買が禁じられた)に対しては,諧謔味あふれる戯画・諷刺画を描いて反骨精神を見せるなど,豊かなアイディアとバイタリティーを持ち合わせた絵師だったといえる。
 堀川夜討ちの後,都落ちして大物浦,住吉浦,吉野とさすらった義経は,ようやく奥州入りした。本図は,中央に,追手から逃げのびるため山伏の扮装をした義経,その右側に同じく山伏の格好の弁慶,左側に北の方を大きく配しており,不安げな表情の三人が同じ方向を見やっているのは,追われている者の哀しさか。色鮮やかな作品であり,また,髪の毛一本一本まで丁寧に描き込まれている。
 幾多の艱難をへて,弁慶ほかの郎党に守られ,奥州平泉に着いた義経ではあったが,頼りとした藤原秀衡の死後,変心した泰衡の襲撃を受けて,衣川で自害してその生涯を終えることとなった(『義経記』第7・8巻)。



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