タイトル
屋島

源義経芳野落之図

源義経芳野落之図
資料データ
菊池容斎筆 一幅
紙本墨画淡彩
縦95.8 横34.6(cm)
江戸時代末期〜
明治時代前期

 筆者の菊池容斎(17888〜1878)は,幕末から明治時代前期にかけての日本画家。旧姓河原,本名武保,通称量平。江戸に生まれ,文化2年(1805)18歳で狩野派の画家高田円乗に師事し,のち土佐派などで広く和・漢・洋の法を学んで一家をなした。明治2年,明治天皇から日本画師の称号を授かる。また,わが国古来の忠臣・義士・烈婦など五百余人の像を描いた木版本『前賢故実』全十巻を明治元年(1868)に上梓し,この大著は後に歴史画の典拠とされ,幕末から明冶の浮世絵や近代の歴史画に多大な影響を与えるに至った。
 源義経主従は,大物浦沖で嵐に遭った後,住吉浦(現,大阪市住吉区)に打ち上げられて,雪深い芳野の奥に隠れた。吉野川上流には,とても越えられそうにない難所があったが,まず義経が手本になって向こう岸まで飛んで渡ってみせ,以下次々と郎党どもは主人をまねて渡った。ところが「ぐずぐずするな,これくらいの川で」と一番威勢のよかった弁慶が,最後に渡る段になって一人格好をつけて渡ろうとしたため,失敗して川の中に落ちてしまった。(『義経記』第五巻)
 本図は,落ちた弁慶を伊勢三郎が,熊手で引っ掛けて持ち上げている場面を描いている。人一倍威張っていて人一倍体の大きな弁慶が熊手で宙吊りにされたのだから,弁慶はきまりの悪そうな顔をし,まわりの武者たちは笑っている。



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