タイトル
屋島

源平合戦図画帖 忠度都落図

源平合戦図画帖 忠度都落図
資料データ
筆者不詳
紙本著色
縦33.6 横30.4(cm)
江戸時代後期

 平氏の中でも名だたる和歌の詠手に,薩摩守忠度という人物がいた。寿永2年(1183)7月,都にいよいよ源氏の手が近づいてきて,身の危険を感じるようになった平氏一門が,次々と慌ただしく都を離れていくなか,忠度はわずかな手勢と共に,かつて和歌について教えを受けていた藤原俊成の屋敷を訪れた。忠度は言う。「勅撰集の撰集があるだろうとかつて耳にしていたのですが,この二,三年の国の騒ぎで中止になっているのは全く無念なことです。わが一門の運命はもう尽きてしまいました。いつか世が治まりましたら,また勅撰集の沙汰がございましょうから,ここにあります巻物の中に,もし一首でも適当なものがあれば,入れていただきたく存じます。」そして,日頃から詠んでいた歌のうち,秀歌ばかりを書きつけた巻物を俊成に差し出した。そんな忠度に心を打たれた俊成が快くそれを受け取ると,忠度はこれでもう思い残すことはないとして,都を去っていった。その後忠度は,一の谷の戦で命を落としたのであったが,その遺志は,俊成によって編まれた『千載集』中の一首(忠度は朝敵扱いのため,「読人知らず」とされた)として,ひそかに成就されることとなった。
 本図は,以上のような「忠度都落」(『平家物語』第7巻)に題材をとっている。この話は,『千載集』編纂の裏話としての面白さと,忠度と俊成の細やかな心情の交流の美しさから,古くより人々に愛されてきた。また,本画帖は源平合戦中の様々な場面を描いた物で,江戸の時代,いかに源平合戦という説話が,人々に身近な形で親しまれていたかが窺えよう。



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