タイトル
屋島

八嶋大合戦

八嶋大合戦
資料データ
歌川国芳筆
大判錦絵三枚続
縦38.7 縦76.4(cm)
江戸時代
文化12年(1815)〜
天保13年(1842)

 歌川国芳(1979〜1861)は,江戸後期の浮世絵師。初代歌川豊国の門人で,号は一勇斎・朝桜楼。文政(1818〜29)末の《通俗水滸伝豪傑百八人》の錦絵シリーズが好評を博し,「武者絵の国芳」と呼ばれた。武者絵の他にも,風景画では洋風陰影法を取り入れて新境地を開拓し,天保の改革(風俗上よくないとの理由で,役者絵・遊女絵の売買が禁じられた)に対しては,諧謔味あふれる戯画・諷刺画を描いて反骨精神を見せるなど,豊かなアイディアとバイタリティーを持ち合わせた絵師だったといえる。
 表題は「八嶋大合戦」だが,壇の浦の戦いを描く。
 主なモチーフとして描かれているのは画面中央の義経八艘飛びであるが,画面左には,入水しようとする二位の尼と安徳天皇,武者二人を両脇に抱えた平教経の姿が見える。壇の浦の戦いでも敗色が濃くなって絶望した平氏の人々は,春先のまだ冷たい海に次々と自ら身を投じ,命を絶っていった。このとき安徳天皇はまだ十歳たらずであり,二位の尼は「波の下にも都がございますよ」と慰め申し上げて,一緒に入水したという。平教経の抱えている二人は,それぞれ安芸太郎,安芸次郎という源氏方の武者の兄弟であり,義経を討つことをあきらめ,もはやこれまでと入水の覚悟を決めた教経に,「さあ,貴様ら死出の山の供をせよ」と捕らえられ,ともに海に入った。
 顔の表現,使用された色数,類型化した構図などから,国芳の若書きとみることができる。



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