タイトル
屋島

八嶋大合戦

八嶋大合戦
資料データ
歌川国芳筆
大判錦絵三枚続
縦36.0 横74.8(cm)
江戸時代
弘化4年(1847)〜
嘉永5年(1852)

 歌川国芳(1797〜1861)は,江戸後期の浮世絵師。初代歌川豊国の門人で,号は一勇斎・朝桜楼。文政(1818〜29)末の《通俗水滸伝豪傑百八人》の錦絵シリーズが好評を博し,「武者絵の国芳」と呼ばれた。武者絵の他にも,風景画では洋風陰影法を取り入れて新境地を開拓し,天保の改革(風俗上よくないとの理由で,役者絵・遊女絵の売買が禁じられた)に対しては,諧謔味あふれる戯画・諷刺画を描いて反骨精神を見せるなど,豊かなアイディアとバイタリティーを持ち合わせた絵師だったといえる。
 表題は「八嶋大合戦」となっているが,画面中央の義経の八艘飛びを始めとして,海上戦が描かれているため,典拠としたのは屋島の戦ではなく,むしろ壇の浦の戦いである。両軍の武士たちは,小船どうしをぶつけあって,皆思い思いに闘っている。義経八艘飛びとは,壇の浦の戦いでは最も知られたエピソードのひとつといえる。平氏の勇将能登守教経が乗った船が,義経の船とぶつかった際,教経は目ざとく義経を見つけて襲いかかろうとした。すると義経は,弓の長さの二倍ほども離れた他の船へ,ゆらりと飛び乗って逃れた。その早業に,教経は義経を狙うのをあきらめたという。『平家物語』第11巻,『源平盛衰記』第43巻に載る話だが,両書とも義経が一艘飛んだことを記すのみであり,八艘に増えたのは,義経の伝説化が著しかった近世に入ってからであるようだ。



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