八 香西寺と勝賀城跡


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香西寺
香西寺の本堂

  香西寺   φ  ∵  ≠  刀@ Ж  ♪  ‰
本堂
香西寺本堂

香西寺前の松
今は枯れてしまった香西寺前の松
 香西西町に所在する寺。
 天平11年(739)行基によって開かれたと伝えられる。勝賀山の北麓には奥の堂と呼ばれる場所があり,瓦片が出土することから勝賀廃寺と呼ばれており,これが香西寺の前身といわれる。
 その後空海が再興し,勝賀寺といわれた。中世には土地の豪族香西氏の庇護を受けた。江戸時代の寛文9年(1669)には,藩主・松平ョ重(1622〜1695)によって,現在地に再建され,寺名も現在の香西寺に定まった。
 著名な行事として,毎年1月21日前後に催される初大師大護摩供養があり,当日は多くの参拝者が訪れ,火渡りの行事などで賑わう。
 重要文化財「木造毘沙門天立像」を所蔵する寺としても著名。
 なお,香西寺の東には,香西氏の最後の拠点で,戦国時代に土佐・長宗我部氏と乱戦を繰り広げた藤尾城跡があるが,現在は宇佐八幡宮の敷地として,近在近郷の人々の信仰の場となっている。


   勝賀城跡   Д  ∽  ∂  £  ♂  ∀  ξ
勝賀山
勝賀山・山頂に城跡が所在

土塁跡
土塁跡・石垣と見れば近世の城

大手門
大手門と推定される箇所
 鬼無,香西,下笠居の三地区にまたがる勝賀山の頂上一帯に造られた山城。
 城主の香西氏は,承久の乱(1221)から戦国時代末期まで,十八代にわたって讃岐中央部を中心に勢力を振るった武士団の棟梁である。
 その香西氏が,標高364メートルの山頂に,拠点としての城を築いた。記録によれば,数度攻められているが,その都度,敵を退けることに成功したと伝えられる。廃城の年代は不明であるが,香西氏が長宗我部元親(1538〜1599)に属した後,豊臣秀吉(1536〜1598)の四国平定軍に屈した前後と思われる。
 現在も本丸を囲む土塁(堤防のようなもの)や,入口にあたる虎口等がきわめてよくのこっている。特に,土塁は県下の他の山城に例を見ない規模と構造を持っている。その様子から戦国時代後半頃のものと思われ,香川県下の代表的な山城として知られている。現在,高松市指定史跡となっている。
 なお,麓には常時の居館・佐料城跡の堀の一部が残っている。


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