四 法然寺・平池と門前町


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法然上人供養塔
法然の供養塔・このまわりに藩主と一族の墓が立ち並ぶ

  法然寺   φ  ∵  ≠  刀@ Ж  ♪  ‰
十王堂
法然寺参道・右手十王堂

涅槃堂
法然寺・涅槃堂

二尊堂
法然寺・二尊堂

鐘楼門
法然寺・鐘楼門
 高松松平家初代・松平ョ重(1622〜1695)は,雌山といわれた小高い山とその麓に,法然上人ゆかりの生福寺を移し法然寺と名付け,松平家の菩提寺とした。寛文8年(1668)着工,同10年に落慶法要を行った。本堂・涅槃堂・二尊堂・来迎堂・十王堂等,現在も当時の建物が多く残り,創建時の豪壮さを伝えている。
 雌山の頂一帯には般若台といわれる墓域があり,法然上人の供養塔やョ重の墓を中心に歴代藩主(2代ョ常,9代ョ恕・10代ョ胤は除く)やその奥方,また,子供や一族の墓碑がたちならぶ。般若台の周囲には,大老・大久保家をはじめとした家臣の墓や,一般人の墓も立てられ,他の大名家墓地には見ない雰囲気をかもしだしている。
 また,寺の周囲には平池をはじめとする大きな池や,堀跡などが見られ,般若台のある丘を中心に,法然寺の大規模な建造物をとりこんでいる。このことは法然寺とその境内が,ことある時に高松城の南の出城としての役割を担っていたためといわれている。
 「絹本著色観音功徳図」「絹本著色十王像」「紙本金地著色源氏物語図」「後深草天皇宸翰御消息」の四点の重要文化財がある。


   平池   Д  ∽  ∂  £  ♂  ∀  ξ
平池の水面
平池の水面

イワザラ・コザラの像
イワザラ・コザラの像

平池のたたずまい
平池のたたずまい
 伝えるところによれば,治承2年(1178)平清盛(1118〜1181)の命によって,阿波民部田口成良が築造したといわれる。市内に多くある溜池の中でも,極めて古い築造伝説を持つ池ではなかろうか。
 同池が有名なのは,次のような人柱伝説・イワザラ・コザラの物語である。
 築造のおり堤が容易に完成しなかった。そのときチキリ(織機の部品のひとつ)を持った女が訪れ,人柱を埋めるとよいと告げた。誰を人柱にするか決まらなかったが,翌朝一番早く通りかかった者を人柱にすることにしたところ,先の女が通りかかったので,捕らえ無理に人柱にした。その後,堤の端から流れ出る水の音が,イワザラ・コザラ〜言わなければよかった,来なければよかった〜と聞こえたという。
 現在,水に苦しんだ高松の悲劇・人柱伝説を忘れることのないように,堤にはイワザラ・コザラの像が立てられている。


  門前町   Å  ∈  ∃  η  煤@ ∬  ⌒
仏生山町並
仏生山の町並

秋の祭・大名行列
高松・秋の祭,大名行列
 仏生山は,古くは百相(もまい)といわれた。明治31年(1898)の町制施行のとき,法然寺の山号から現在の町名となる。
 法然寺は,藩主・松平家の菩提寺として高い格式を誇り,寺領として朱印地となっていた。その門前町として発達したのが,現在の仏生山の町並みである。
 町並みは,藩主が法然寺に参詣する道は御成街道(おなりかいどう)といわれ,その御成街道沿,チキリ神社の北側まで,かっては数多くの江戸時代の建造物・町屋が建ち並んでいたが,現在では多くが現代建築に様変りし,その数は極めて少なくなりかつての面影は失われつつある。
 現在,秋季には高松の秋祭りとして,町並みに沿って大名行列が繰り出され,多くの市民の人気を集めている。


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