参 屋島寺と源平古戦場
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![]() 重要文化財・屋島寺本堂 |
![]() 梵鐘は重文 ![]() 蓑笠大明神・狸を祀る ![]() 屋島寺門/四天王を祀る |
屋島南嶺に所在する寺。四国八十八ケ所霊場第八十四番札所。 開基は奈良時代末に来朝した中国の高僧・鑑真(688〜763)で,最初は北嶺に堂が建てられたといわれる。その後,空海(774〜835)によって南嶺の現在地に移された。その山号・南面山のとおり正しく南を向いている。 現在,参拝者の多くは車を利用するが,仁王門前に到達する遍路道が整備され,道路沿いには弘法大師の伝説にちなんだ「加持水(かじすい)」や「不喰梨(くわずのなし)」,西行法師ゆかりの「畳石(たたみいし)」があり,市民の散歩コースとしても利用されている。 重要文化財には,「屋島寺本堂」,「木造千手観音坐像」,「梵鐘」がある。また,宝物館裏には,凝灰岩の露頭を利用した雪の庭が見られる。 また,同寺は狸の伝説も有名で,屋島に住む太三郎狸は,化け学の先生として名を売った。住職が代わった時には,源平合戦の様子を演じて見せたという。 |
![]() 檀ノ浦を東南上空より ![]() 安徳天皇社 ![]() 佐藤継信の墓(牟礼町所在) ![]() 佐藤継信の墓(屋島東町所在) |
寿永2年(1183)都を逃れた平家一門は,屋島とその周辺に根拠地を築いた。しかし,翌々年の文治元年(1185)には源義経を大将とする源氏軍に攻められ,屋島と五剣山の間に入り込む檀ノ浦を舞台に戦いが繰り広げられるが,平氏が敗れ長門壇ノ浦に落ちることとなる。 屋島を舞台に繰り広げられたこの戦いでは,有名な「那須与一・扇の的」をはじめ「継信の最後」「悪源太景清と三保谷十郎の錣引」「義経の弓流」等の合戦絵巻が伝えられており,屋島の東麓から,隣の牟礼町・庵治町にかけては,現在も多くの史跡が残されている。 その主なものには,「船隠/平家が軍船を隠したところ」(庵治町所在),「祈岩・駒立岩/那須与一が扇を射るときに,祈った場所の岩,馬を止めた岩」「弓流の跡/源義経が弓を流した場所」「射落畠/佐藤継信が源義経の身代わりとなって討たれた場所」「総門跡/平家が陣を構えた場所」「佐藤継信の墓/佐藤継信が葬られた場所,同地には大夫黒之墓等もある」(牟礼町所在),「菊王丸之墓/継信の首を取ろうとして駆け寄った菊王丸は,継信の弟・忠信に射られる」「安徳天皇社/平家が奉じた幼帝・安徳天皇の行宮があった場所」「佐藤継信の墓/佐藤継信の供養塔,屋島寺から八栗寺に至る遍路道沿にある」「血の池/闘い終わった将兵が血刀を洗ったところ池の水が赤く染まった」(高松市屋島所在)等がある。 なかには,高松初代藩主・松平ョ重によって整備されたものもあるが,その多くは地域の人々によって語り継がれたものである。 |
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