拾五 弘憲寺・法泉寺とその周辺 


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法泉寺 生駒廟内
法泉寺 生駒廟内/一正・正俊父子の五輪塔

  弘憲寺   φ  ∵  ≠  刀@ Ж  ♪  ‰

弘憲寺境内


生駒親正夫妻墓所
 寺名は高松生みの親・生駒親正(1526〜1603)の戒名による。親正の世子・生駒一正(1555〜1610)が父の菩提を弔うために,鵜足郡法勲寺村の島田寺を移転し建立した。多くの寺宝が他寺より移されるなど,生駒家によって厚く庇護されていた。
 本堂裏には,県の史跡に指定されている「生駒親正夫妻墓所」がある。ともに大型の五輪塔で,俗に豊島石といわれる凝灰岩製のものである。かつて,一正が五輪塔を建てたことが刻まれていたが,石材の性質から剥落が激しく,残念ながら現在は読めなくなっている。
 戦災を免れたためもあって,多くの文化財が伝えられており,本尊の「木造不動明王立像」と「密教法具」が重要文化財に,「木造地蔵菩薩立像」が香川県指定の有形文化財に,「生駒親正肖像画」が高松市指定の有形文化財にそれぞれなっている。
 なお,慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦の責任を一身に負った二家老のうち小河又右衛門が切腹したのが,弘憲寺であるということは意外と知られていない。


   法泉寺   Д  ∽  ∂  £  ♂  ∀  ξ

釈迦像


銅鐘
 弘憲寺とともに生駒家菩提寺である。もっとも釈迦像の立つ寺と言ったほうが,市民の間ではとおりがいいかもしれない。
 その釈迦像の北側,奥まった場所に小さな半間四方の堂がある。この堂が生駒廟と呼ばれており,内部には生駒家二代・生駒一正(1555〜1610),三代・生駒正俊(1586〜1621)の五輪塔の墓が安置される。五輪塔は花崗岩製の小さなもので,それぞれ戒名が墨書されている。なお,法泉寺の寺名は,生駒正俊の戒名に由来する。
 高松空襲によって法泉寺は打撃を受け,寺域も戦後の区画整理等により大きく変化した。生駒廟・釈迦像ともに移転しており,西側道路の歩道に旧位置を示す石碑が戦前の状況を伝えるに過ぎない。
 なお,東門傍に吊られた「銅鐘」は,生駒家が朝鮮出兵・文禄の役(1592)のときに陣鐘として利用したものと,伝えられている。鐘は銘によれば,元徳2年(1330)に備前・金岡庄(岡山市西大寺)の窪八幡にあったもので,市内では,重要文化財に指定されている屋島寺梵鐘についで古い例である。県指定の有形文化財となっている。


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