拾四 三谷三郎池と三谷石船古墳 


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三谷三郎池の全景
三谷三郎池の堤を見上げる

  三谷三郎池   φ  ∵  ≠  刀@ Ж  ♪  ‰
三谷三郎池のほとり
三谷三郎池のほとり

龍神のモニュメント
龍神のモニュメントと三郎池
 溜池王国の讃岐にあって,満濃池(満濃太郎),神内池(神内次郎)についで大きい池であるところから,三谷三郎と呼ばれた。これより三郎池の名がある。また地元では,三谷三郎池と称されることも多い。
 寛永5年(1628)生駒家に仕えた西嶋八兵衛(1596〜1680)によって,増築されたといわれる。当時すでに存在した小さな溜池を拡張したといわれる。生駒時代以後も水田面積の拡大に伴い,江戸時代においては高松松平藩,明治時代以降は香川県等によって,随時増築工事がほどこされ,規模も拡大し現在の姿となった。
 池の周辺には三谷地区の鎮守・三谷八幡神社や,市内最大の前方後円墳・三谷石船古墳や巨大な横穴式石室がある矢野面(やのづら)古墳が所在する等,古代の遺跡も多く見られる場所である。


   三谷石船古墳   Д  ∽  ∂  £  ♂  ∀  ξ
三谷石船古墳全景
三谷石船古墳全景・手前石船池

三谷石船古墳石棺
三谷石船古墳の石棺
 高松平野で最大の前方後円墳。全長88メートル,後円部44メートルを測る。後円部中央には,その名の由来となった石棺がのこされている。石棺はその断面の形態から舟形石棺と呼ばれるもので,枕が浮き彫りにされているのが特徴である。石材は坂出市と国分寺町の境・鷲ノ山産である。
 石棺や墳丘の形態,採集された円筒埴輪片等から,5世紀の頃に築造された古墳と考えられている。当時の高松平野では最大規模の古墳で,石棺の主は極めて大きな勢力を誇っていたと考えられる。
 従来は古墳の堀の跡と考えられていた小規模な溜池・石船池が,古墳の北側にみられるが,池の改修などに合わせて実施された発掘調査等により,石船池はそうでない事が明らかになった。この発掘調査によって多くの小型古墳が発見されており,一帯は古墳時代において墓地として利用されていたのであろう。


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