平成20年度

●「春よ来い」(3月1日号掲載分)

 「春よ来い、早く来い」。
 童謡の歌詞のように、みいちゃんや桃の木の気持ちを慮(おもんばか)ってではありませんが、そうやって強く命令調で言いたくなるくらい、景気の春はなかなかやって来そうにありません。アメリカの金融危機に端を発した百年に一度と言われる世界的な経済不況は、わが国や地域の経済にも深刻な悪影響を及ぼしてきています。景気は昨年の秋から一気に厳冬に突入して、そこからなかなか抜け出す気配が見えないのが現状です。
 一方で、当然ながら地球の自転、公転は動きを止めることはなく、季節は移り変わり、自然の春は確実に巡ってきています。同時に、卒業や退職、そして入学や進学、就職など、別れと出会いの交差する社会の春も、いつもと同じように展開されていきます。ただ、自然の春は、例年とほぼ同じ姿を見せ、社会的行事なども同様に展開されていっても、それぞれの個人レベルでの人の春の模様は一年前と同じということはありません。唐詩で詠まれた「年々歳々 花相似たり 歳々年々 人同じからず」のとおりです。
 景気の春はまだまだ遠くても、人にとって今年の春は一度しかないもの。「こいつぁ春から」とばかり、何か良い出来事を期待する人も多いことでしょう。
 以前にもご紹介しましたが、思わぬ幸運に偶然出会う能力(又は、幸運との出会いそのもの)を「セレンディピティ」といい、それを最終的に生かすのは人間のひらめきであると脳科学者の茂木健一郎氏は述べています(※)。そして、「セレンディピティ」を起こすための条件として、まず行動すること、些細(ささい)な兆候にも気づくこと、など6つの心掛けを挙げ、これらを普段から実行し、脳の中にいざ幸運に出会えばそれを生かすための(ひらめきを生むための)空白を作っておくと良いのだそうです。
 英語でもハプニングとハッピーは語源が同じです。思わぬ出来事(ハプニング)が幸せ(ハッピー)をもたらす確率は高いものがあります。そのために、まずは行動を起こすこと。思わぬ幸運が多くの方に訪れる春になればと願っています。
※「ひらめき脳」茂木健一郎(新潮新書)

●「自転車を利用した都市(まち)づくり」(2月1日号掲載分)

 自転車は、国や地域、性別、年齢を問わず広く利用されている最も身近な、人に優しい乗り物です。例えば映画の中でも、おなご先生が颯爽(さっそう)と登場した「二十四の瞳」、相棒の彼女をハンドルに乗せてはしゃいでいた「明日に向かって撃て!」、少年が空を飛んで夢を膨らませた「E・T」、親子の三人乗りが幸せの頂点を表していた「ライフ・イズ・ビューティフル」など、明るく、人の温かみが伝わってくるような場面に多く登場するようです。
 さらに、自転車は、二酸化炭素を排出しない、環境に優しい乗り物としても、再評価されつつあります。
 香川県、特に高松市は、少雨温暖な気候や平たんな市街地などにより市民の日常生活で、活発に自転車が利用されている地域です。通勤通学に自転車を利用する人の割合も27%と全国平均の約2倍あります。また、市内中心部7か所のサイクルポートで一日平均約850台が稼動している本市のレンタサイクルシステムは、全国的にみても最も成功している例の一つだと言われています。
 その反面、自転車事故は全国ワースト1位となっていて、自転車の交通ルールが徹底されておらず、マナーの悪さが指摘されています。
 このような現状を踏まえた上で、自転車にスポットを当てて、ハード、ソフト両面から各種対策を講じていこうと、「高松地区における自転車を利用した都市(まち)づくり計画」が、昨年末に策定されました。国、県、警察、市、民間事業者などの関係者が一堂に会し、自転車利用のための環境整備、マナーの向上などを図っていこうとする試みは、全国的にも珍しく、模範例だとの評価もいただいています。すでに実施に移されている対策もあり、中央通りの自転車と歩行者の分離が徹底され、接触事故が減るなどの成果が報告されています。2月2日からは、自転車専用道の社会実験も始まります。また、カーフリーデー高松の継続実施や自転車を鉄道に乗せるサイクルトレインの検討なども計画に盛り込まれています。
 今後は、特に交通マナーの向上などに力を注ぎながら、映画の名場面のような、明るいイメージの「人と自転車が笑顔で行き交うサイクル・エコシティ高松」を目指していきたいと考えています。

●「貫く棒の如(ごと)きもの」(1月1日号掲載分)

去年(こぞ)今年(ことし)貫く棒の如きもの
 昭和25年に作られた高浜虚子の有名な新年の句です。
 年末から新年を迎えようとするとき、私の頭の中に、必ずといっていいほどこの句が浮かんできて、来(こ)し方(かた)行く末をいろいろと回想、夢想しながら、勝手に句を解釈して、今年の「棒の如きもの」に頼むものは何だろうか、などと自省しています。
 最初にこの句を知ったときには、正月のおめでたい雰囲気に、「貫く棒」とは、おどろおどろしく似つかわしくないだろう、と違和感を覚えたものでした。しかし、過去、現在、未来という時間の悠久の流れの中で、年の変わり目の一瞬を捉えて、そこに「棒の如きもの」が横たわっているとの発見は、めまぐるしく変化する激動の現代にあって、心を落ち着けられる安心感を与えてくれるような気がします。それぞれの人がさまざまな思いの中で、変わってほしくないもの、変えたくないものをお持ちのことと思います。新年にあたってそんな思いを「貫く棒の如きもの」に託してみるのもいいのではないでしょうか。

 同じく虚子の作句ですが、年の暮れを詠んだ私の好きな句があります。
年(とし)は唯(ただ)黙々(もくもく)として行くのみぞ
 このような達観した境地には、なかなかなり得ませんが、とにかく平成20年は去り、新年を迎えました。
 正月休みの時期とはいえ、この時期ならではの仕事や商売を行っている人、交替制勤務で年末年始も仕事に出ざるを得ない人など、ゆっくりと休んでいられない方もたくさんいらっしゃると思います。また、市民の安全、安心を守るために働いている警察や消防の職員の皆様や、大晦日まで年末夜警に当たっていただいた消防団の皆様方には、本当にご苦労様です。
 ぜひとも大きな事件、事故などもなく、無事に新年を迎えられ、新しい年が「貫く棒の如きもの」の先に明るく輝かしい未来の見える年になることを願っています。
 新年あけましておめでとうございます。

●「Bon appétit(ボナぺティ)!」(トゥールの食育)(12月1日号掲載分)

 「フランスの庭」とも称される風光明媚なロワール地方の中心都市トゥール市と本市が姉妹都市提携を結んで今年で20周年を迎えます。その記念行事に出席するため、先般トゥール市を訪問してきました。
 トゥール市を訪れるのは初めてで、見るもの聞くものすべてが新鮮で、驚きと感動に満ちた旅でしたが、中でも一番強く印象付けられたのは、この地方の食の豊かさと食に対するこだわりの強さでした。
 フランスは、一部の果実や野菜を除いて自給率100%の世界有数の農業国です。その農業に支えられた食の豊かさは、広く世界で認められているところです。そんな「食の国」フランスの中でもロワール地方は、独特の豚肉の腸詰めや山羊のチーズなどの郷土料理も豊富で、それによく合うロワールワインの産地としても有名なところです。
 今回の訪問では、1974年から「食育メソッド」を提唱し、子どもの味覚を目覚めさせる授業をトゥール市からフランス全土に拡げて実践し、大きな成果を挙げてきたフランスの食育の第一人者であるジャック・ピュイゼ氏にもお目にかかることができました。また、氏の御弟子さんからは、子どもたちに食品の香りや味について比喩(メタファ)を使って自分の言葉で表現させることから始めるなど、味覚の授業のポイントを教えていただきました。さらには、土曜日の朝に市民でにぎわっている市場(マルシェ)を見学し、多種多様な食材が所狭しと山積みされ、売り手と買い手がにこやかに会話を交わしながら売買をするその明るい喧騒に、フランスの食文化の健全さと深さを垣間見ました。
 フランスで食事をしているとよく「ボナペティ」と声をかけられます。直訳すれば、「良い食欲(を)」となりますが、日常語でいうと「さあ、召し上がれ」とか、「いっぱい食べてね」という意味です。一緒に食べている人はもちろん、店の人や通りがかりの人でも明るく声をかけます。3歳になれば、他人にきちんとあいさつができるように厳しくしつけるという「あいさつの国」でもあるフランスの食に対するしつけの良さが、こんなところにも表れているような気がしました。

●「燈火(とうか)親(した)しむべし」(11月1日号掲載分)

 秋も深まってきました。この時期が、一年のうちで最も四季の移り変わりを肌身で感じることができ、物事や人生をじっくり考えるのに適した季節のような気がします。  季語に「燈火(とうか)親(した)し」というものがあります。歳時記には「秋涼の日がつづき、夜も長くなると読書に団欒(だんらん)に燈火が親しまれる」と記されています。このことから、読書の秋を象徴する季語としてよく使われるようです。
 この言葉は、もともとは、「李杜韓白(りとかんぱく)」と呼ばれる唐の四大詩人の一人である韓愈(かんゆ)が、息子の符(ふ)にあてて書いた、「涼しく夜の長い秋は、燈火の下で読書するのに適している」という手紙に由来するものです。つまり、中国の唐の時代に、都会で勉強している息子に対して、「本を読みなさい」と忠告した言葉が日本でこのように季語として使われているのです。
 読書の秋のみならず、秋にはいろいろな形容が付きます。その内の一つ、食欲の秋を象徴する季語といえば、「馬肥ゆる」。歳時記に「鳥獣は秋になると皮下脂肪がふえて太るのが一般で、晴朗な秋空の下で馬とても豊かに肥える」とありますが、これも元をただせば中国の言葉です。
 その昔、中国北方に住む騎馬民族は、秋の訪れとともに南進して辺境を脅かしたため、史記にも「秋、馬肥ゆる」時期は漢民族にとっての大きな脅威の時期だと記されています。つまり、外敵の脅威を「馬肥ゆる秋」という表現で警告していたもので、食欲とは全く関係ありません。面白いものですね。
 昨年秋、本市と友好都市交流をしている南昌市へ訪問した時に、古くから陶淵明(とうえんめい)や李白(りはく)、白居易(はくきょい)などの文人大家が好んで訪れ、詩にも詠んだ、世界文化遺産でもある廬山(ろざん)に足を運び、中国の社会と自然とが調和、呼応しながら薫り高い文化を育んでいた時代の雰囲気を少し味わうことができました。中国の古い言葉に由来する季語には、そんな歴史的で文化的な深さを感じられる含蓄があります。
 燈火の下での家族団欒や読書で、秋の夜長を楽しんでおられますか。

◆参考◆
合本俳句歳時記新版(角川書店編)

●「創造性豊かな海園・田園都市」(10月1日号掲載分)

 「田園都市」はともかく、「海園都市」というのは耳慣れない言葉だと思います。香川県、香川大学と高松市で構成した「広域拠点あり方検討委員会」の報告書で新たに出てきた用語です。
 この報告書で「クリエイティブ高松」、「海園都市」といった言葉と概念を聞いた時、私は、高松を主な舞台とした村上春樹の小説「海辺のカフカ」の中にある詩の一節を思い出しました。
 「海辺の椅子にカフカは座り 世界を動かす振り子を想う」
 舞台はサンポートでしょうか。独特の把(とら)えどころのない言葉の列ですが、私の中で勝手に高松都市圏の未来とイメージをつないでいます。
 本市の最大の特徴であり、魅力は、小西和(こにしかなう)の「瀬戸内海論」の序文で新渡戸稲造(にとべいなぞう)が、「私は実に『世界の宝石なり』と断言する」とした美しい瀬戸内海の臨み、開かれていることにあることは、万人が認めるところです。しかしながら、報告書の指摘にもあるように、郊外化とモータリゼーションの相乗作用による画一的な都市化や無機的な市街地の拡散が、個性やアイデンティティーを喪失させ、魅力と活力を損ない、本四架橋の開通もあって、広域的な観点から見れば、「瀬戸の都」、「四国の玄関」と呼ばれた高松が、その求心力を失いつつあることも事実でしょう。この現状を打開すべく、高松都市圏の将来のあり方を「海園都市」という絶妙のネーミングとともに、多角的に示している本報告書の提言は誠に示唆に富み、有用なものとなっています。今後、「創造性豊かな海園都市推進委員会」を中心とした活動に期待したいと思います。
 ところで、先般、本市と土庄町、小豆島町、三木町、直島町、綾川町の1市5町で「瀬戸・高松広域定住自立圏(仮称)」を構成し、国が掲げる定住自立圏構想の先行的実施団体に応募しました。これからの人口減少、少子高齢社会において大都市圏への集中が極端に進むことのないよう、地方圏において一定の高次な都市的機能の集積、確保を図り、いわば人口や文化のダム的機能を果たそうというものです。圏域全体では、人口約50万7千人、面積約745平方キロメートルとなり、規模的にも、有する都市機能としても、また豊富な地域資源をとっても、中四国において堂々たる中核的で魅力的な都市圏となります。何をやっていくのか、具体的な協議はこれからですが、広域による行政展開の利点を最大限引き出しながら、海、野、山を活かし、島(しま)、街(まち)、里(さと)が一体的に融合した創造性豊かな海園・田園都市づくりを目指していきたい、と思っています。

●「成蹊(石あかりロード)」(9月1日号掲載分)

 石は硬いものです。中でも庵治石は、世界で最も硬い花こう岩として知られています。でも、そこから漏れでてくる光は、柔らかく、優しく心を和ませ、いやしを与えてくれます。
 8月2日から開催されている「むれ源平石あかりロード2008」を見てきました。この「石あかりロード」は、今年で4回目を迎えますが、評判が内外に伝わり、年々、出展数も増え、さまざまな関連イベントも加わって、今や、高松の夏を代表するイベントの一つに数えられるまでの盛り上がりを見せています。会場は、ことでん八栗駅から、旧街道沿いに北へ、那須与一(なすのよいち)が馬に乗って扇の的を射たという「駒立岩(こまだていわ)」辺りまで、約1キロ。そこに今年は210の大小さまざまで個性あふれる石あかりが並べられて、来場者を迎えてくれています。
 この沿道には、「駒立岩」のほか、与一がそこで祈りを捧げたという「祈り岩」、義経が誤って弓を海に落としてしまい、弱い弓が敵に渡り、貧弱さをからかわれることを恐れて慌てて拾い上げたという「弓流し跡」、平家が防衛のために構えた「総門跡」、そして街道のちょうど中間地点には、週末のイベント会場にもなっている弘法大師により創建された名刹(めいさつ)「洲崎寺」があります。これらが主役の一つである源平合戦の史跡です。
 もう一方の主役は、庵治石。石あかりで使われる石は、庵治石ばかりではありませんが、隣の庵治町とともに、日本一の集積と言われるこの地の石材業を支えているのは、何と言っても世界でここでしか取れない最も硬く、美しく、また高価な花こう岩である庵治石の存在です。最も硬く、磨くほど美しくなるからこそ、最も高度な加工技術が育ち、根付いているのです。世界的に活躍している流政之(ながれまさゆき)さんが庵治の岬にスタジオを構えているのも、20世紀を代表する彫刻家であるイサム・ノグチが日本での滞在場所としてのアトリエを牟礼町に置いていたのも、この地に庵治石があり、高い技術を持った石匠(せきしょう)、石工(いしく)たちがいたからです。
 「桃李不言、下自成蹊」(史記)=桃やスモモは、美しくおいしいので、言わずとも自然に多くの人が集まってきて、下に小径(こみち)ができる。
 まさに今、琵琶法師が語った源平合戦の伝説を今に伝える史跡の上で、庵治石というオンリーワンの貴重な地域資源が石あかりという新たな展開を得て、人が集い、新たな蹊(ロード)が成らんとしています。

●「吉里吉里(きりきり)の山が壊れた」(8月1日号掲載分)

 「俺方(おらほ)のあたりが源氏ボタルの北限なんだっちゃ」という亡き友Kさんの声が耳元に蘇(よみがえ)ってきました。そして、それは彼の故郷を突然襲った大地震のあまりにも大きな爪あとに、途方にくれたような悲しい響きでした。
 去る6月14日の朝、発生した岩手・宮城内陸地震は、岩手県と宮城県の県境である栗駒山周辺の地域の自然と人々の生活をずたずたに切り裂きました。そして、彼の地は、私自身の思い入れも深いところでした。
 私は、旧自治省に入省して、3か月の研修を終えて、宮城県庁に赴任しました。その時に地方課で机を並べていたのが、金成(かんなり)町(現栗原市)から出向で宮城県庁に派遣されていたKさんでした。私より一回り以上年上ではありましたが、出向者同士で同じ独身寮住まいということもあり、9か月ほど、公私ともども、ほとんど一緒に過ごしました。彼は、地元で北限の源氏ボタルを保存する活動をしていて、寮の部屋でも水槽に蛍の幼虫の餌(えさ)となるカワニナを飼っていました。よく水槽の横で一升瓶を脇に酒を飲み交わしたものです。また、渓流釣りも趣味で、毛ばりを手作りしながら、二人で「釣らぬイワナの骨算用?」をしていました。
 また、私の愛読書の一つでもある、井上ひさしの「吉里吉里人(きりきりじん)」も、東北本線の一ノ関駅手前での列車乗っ取りから物語が始まり、まさにこの地方が舞台となっています。奇想天外で、どたばた喜劇的な話ですが、純朴な人々が多いこの地域を、吉里吉里国として日本から独立させて、一つのユートピアを求めようとしたものでした。
 さらに、ここは、奥州藤原氏が栄華を極めた、深い歴史を持つところです。衣川(ころもがわ)の古戦場では、芭蕉が「夏草や兵どもが夢のあと」の名句を詠みました。大学時代に衣川村(現奥州市)を訪れた時、村長さんが、義経は、ここで死なずに中国へ渡りチンギス・ハーンとなった、という伝説を真顔で教えてくれました。
 自然がとてつもなく大きな猛威をふるった後でも、源氏ボタルは舞い、夏草が生い茂っていることでしょう。無常感を禁じ得ませんが、同時にいつどこでどんな大災害が起こるかもしれないという覚悟と備えの必要性を改めて痛感させられています。
 犠牲となられた方々のご冥福と、一日も早い復旧、復興を心からお祈り申し上げます。

●「矜持(きょうじ)を持ちたい(菊池寛生誕120年)」(7月1日号掲載分)

 現代の日本人が失いつつあるものの一つに、「矜持(きょうじ)」というものがあるように思います。その意味を他の言葉で的確に言い表すのは難しい言葉ですが、辞書を引くと「自分の能力を信じて抱く誇り」と記されています。
 私がこの言葉を意識するようになったのは、バブル経済が絶頂期を迎えようとしていたころに、元旦から大型スーパーが店を開けることに対して、ある識者が、「正月ぐらいは商売を休む矜持を持ちたい」と発言していたのを目にしてからです。元旦から店を開けることに対して、私自身も違和感を感じていたものの、時代が求めるのであれば、仕方ないではないか、と思っていたのですが、「矜持を持つべき」という言葉が、私の違和感の正体をえぐり出していました。
 昨年の世相を表した漢字は、「偽」でした。食肉や野菜の産地偽装に始まり、賞味期限の改ざん、政治の偽り、耐震偽装など、次々と化けの皮がはがれ落ちました。今年は、「偽」を真ん中からたたき割って、「人の為」になるような年になって欲しいとしゃれていましたが、相変わらず、似たような話が後を絶ちません。商人の矜持、政治家の矜持、料理人の矜持、役人の矜持、そして日本人の矜持はどこへ行ってしまったのでしょう。
 さまざまな文献などを見る限りでは、戦前の、少なくとも明治の後半から昭和初期にかけての日本人の思想と生活態度の中には、この矜持というものがしっかりと意識され、根付いていたように思います。もちろん、お門違いや鼻持ちならない矜持もいっぱいあったのでしょうが、為政者から庶民に至るまで、自らの矜持を持つことは、当たり前のこととして、認識されていたように見えるのです。
 そんな時代を生きていたのが、今年生誕120年、没後60年を迎える本市出身の文豪・菊池寛です。文藝春秋社を設立し、芥川賞、直木賞を創設した実業家でもあります。この文藝春秋社の社長である菊池寛の日常生活を、秘書の女性の目を通して「こころの王国」という小説で書かれた、作家で東京都副知事の猪瀬直樹さんと、直孫で菊池寛記念館名誉館長の菊池夏樹さんのお二人を迎えて、来る7月4日(金)にサンポートホール高松で記念講演会が開催されます。
 この機会に、それぞれが自らの矜持をしっかりと持ち、粋に生きようとしていたように見える「モダン日本」(菊池寛が創刊した雑誌の名前)の時代の人々の生き様を、菊池寛を中心に、少しのぞいてみてはいかがでしょう。

●「雨の日と月曜日は」(6月1日号掲載分)

 昨年5月2日に私が高松市長に就任して、1年が経過しました。この間、本当にいろいろなことがありましたが、市民のみなさんの多大なるご理解とご協力もあり、高松市政が、おおむね順調に推移してきているのはありがたい限りです。
 当然のことではありますが、市長になって、仕事の内容も、日々の生活もそれ以前のものとは、一変しました。そんな中で、自分の心持ちの一つの変化として、「雨の日と月曜日は」という往年のヒット曲になぞらえて言えば、雨の日や月曜日もそう嫌ではなくなった、ということがあります。
 まず、雨の日。空模様と同様に、気分が暗くなるという人は多いのでしょうが、特に私は不精なせいか、傘を差すのがとにかく億劫(おっくう)で、雨の日は大の苦手でした。また、思い込みもありますが、「晴れ男」を自称していました。
 しかし、それも良し悪し。昨夏の渇水時期には、本当にやきもきしました。史上最速という5月24日に早明浦ダムの取水制限が行われるという緊急事態に、市長就任初年度から大渇水かと、いつもは自慢している自身の「晴れ男」ぶりを嘆いたものでした。水不足は、7月中旬に、これも異例の時期に上陸した台風4号のもたらした降雨で、どうにか解消となりましたが、今一度、水源確保対策と水利用のあり方の見直しの必要性を痛感した出来事でした。それ以来、雨の日も良いものだ、と思えるようになりました。
 そして、月曜日。私は、大学を出て、旧自治省という役所に入り、東京の霞ヶ関とともに、全国各地で勤務をしてきましたが、いずれも一般職の公務員としての生活で、単身赴任の経験も含め、いわゆるサラリーマンの日常生活を過ごしてきました。仕事が嫌いだったわけじゃないのですが、宮仕えの身では、週末の土日の休みをのんびり過ごした後の月曜日は、憂鬱(うつ)になることもありました。
 それが、市長になると、土日といっても、イベントや行事などに参加することが多く、休みという感覚がなくなりました。その分、月曜日は、デスクワーク主体の日常業務に戻る日ということで、その切り替えが逆に嬉しく、張り切って仕事に向かえるようになりました。
 「雨の日と月曜日は、いつも憂鬱になるの」、と歌うカーペンターズの古いLPレコードを聴きながら、今は、そんな日々を懐かしく思い返しています。

●「球春真っ盛り」(5月1日号掲載分)

 暦の上では、春は5月5日の立夏までということですが、実感としては、4月から5月にかけてのこの時期がまさに春本番だと思われている人が多いのではないでしょうか。花見の季節も終わり、新緑がまぶしい良い季節を迎えました。そして、春の陽気とともに、本格的なスポーツシーズンも到来です。
 「球春」という言葉があります。丁度、プロ野球や春の高校野球が始まる3月ごろから新聞のスポーツ面の見出しに「球春到来」という言葉がよく出てきます。現代になって野球のシーズン開幕を喜ぶ気持ちを込めて作られた造語のようですが、今では俳句の季語としても認められているようです。
 球技といえば、本市を本拠地とする四国・九州アイランドリーグの香川オリーブガイナーズ、四国サッカーリーグのカマタマーレ讃岐の両チームも、新たなシーズンの幕開けとともに、初戦を勝利で飾るなど、好スタートを切り、これから応援にも熱が入るところです。激しいリーグ戦を戦い抜き、ウェスタン・カンファレンス(西地区)で2位となったbjリーグの高松ファイブアローズも併せて、まさに本市でも「ボールの春、球春真っ盛り」という感じです。これにVチャレンジリーグに所属する四国エイティエイツクイーンを加えて、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールという全国的にも人気のある主要な球技四種目で、本市にはそれぞれトップチームが拠点を置いています。また、本市を中心に活動しているサーパス香川アイスホッケークラブもあり、これらのチームの存在は、素直にありがたいことだと思っています。
 スポーツは、いろいろな楽しみ方ができます。自ら実践することはもちろんですが、会場やテレビでスポーツの試合を見て応援することでも、喜怒哀楽入り混じって充実感が得られます。そして、少し大げさですが、スポーツには、自分が生きている証を実感させてくれるような力があるように思います。もちろん、自分自身や贔屓(ひいき)のチームが勝負に負けたりすると、抑えようのない怒りや悔しさをどこかにぶつけたくもなるのですが、それもまた、生の実感というものでしょう。
 スポーツの語源は「港(ポート)を出ること」だと聞いたことがあります。母港(日常)を離れ、気晴らしや遊びをすることにより自分を取り戻すためにする行為だというのです。
 多くの市民のみなさまが時には港を離れて、楽しみや生きがいを持って生活していけるよう、本市に拠点を置くこれらのトップチームの活躍を応援しながら、市民の生涯スポーツ、学生スポーツ、学童スポーツなど、すそ野の広いスポーツの振興を様々な施策を通じて図ってまいりたいと思っています。

●「春はあけぼの」(4月1日号掲載分)

 「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく」有名な清少納言の「枕草子」の出だしです。 健康増進と気分転換のためにと昨年の秋から始めた私の早朝散歩の習慣も、どうにか一冬を越して、今日まで続いています。ほぼ毎朝6時前に起きて約40分間、歩数にして約5千歩、距離にして4キロ強を歩いています。
 この冬は、地球温暖化も一休みとなったかと嬉しい錯覚に陥るような、寒さの厳しい冬でした。冷え込んだ朝は、布団から出るのが億劫(おっくう)になるし、散歩の間は、ずっと暗い中を歩いているせいか、気分もあまり浮き立たず、「夜明け前が一番暗い、我慢、我慢」と言い聞かせていることもありました。
 それが、春が近づくにつれ、次第に周囲に明るさが増してきました。寒さも和らぎ、空気も緩んできて、そうなると、散歩をしているときの気分も明るく、思考も前向きになってくるから不思議です。そんな時、散歩コースの途中から屋島を眺めていると、自然と「やっぱり『春はあけぼの』だなあ」という気持ちが湧いてきて、枕草子の冒頭の句が頭に浮かんでくるのです。
 日の出前、屋島の周りを取り囲む空がぼんやりと明るくなってくる様子は、まさに「山ぎは、少しあかりて」。さらに「紫だちたる雲の細くたなびきたる」様子が加わると、清少納言でなくとも思わず深呼吸をして、手を合わせたくなるような厳(おごそ)かさと美しさを感じます。早朝にカタルシスを得られるような感動があるから、早起きも苦にならなくなってきました。
 今、その屋島では、約1340年前の「屋嶋城(やしまのき)」が長年の眠りから目を覚まそうとしています。この「屋嶋城」は、倭(やまと)の国が663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れた後、唐・新羅軍が侵攻してくることを恐れて、天智天皇{中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)}が各地の要所に築かせたと日本書紀に伝わる古代山城の一つです。
 那須与一(なすのよいち)の扇の的をはじめとして、いくつもの伝説が残っている源平の古戦場跡というだけでも歴史のロマンにあふれ、史跡として大きな価値を持つ屋島で、更に約500年以上遡った古(いにしえ)の時代の光がベールを脱いで漏れてこようとしています。屋島自身が一つの「あけぼの」を迎えていると言えるかも知れません。
 そう思いをめぐらせていると、本当に朝の散歩は「いとをかし」ものなのです。

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