柴野栗山(しばのりつざん)宅址

史跡

指定区分   市登録史跡

登録年月日 平成18年10月10日

所在地    栗山記念館(牟礼町牟礼3028) 「たかまっぷ」で地図を表示する

解説
 江戸時代の儒学者である柴野栗山は、元文元年(1736)三木郡牟礼村字宗時(現高松市牟礼町)に生まれ、幼くして讃岐国高松藩の儒者・後藤芝山に学んだ後、18歳で江戸において昌平黌の林復軒、後に京都で国学を高橋宗直に学んだ。明和4年(1767)に阿波藩蜂須賀候に招かれ儒臣を務めた後に、天明8年(1788)には幕府の儒員となり、岡田寒泉らとともに聖堂の制を改める等、朱子学を厚く信奉して、古学を排斥した。いわゆる「寛政異学の禁」は、栗山の建議が松平定信に取り入れられたものである。古賀精里・尾藤二洲とともに「寛政の三博士」と称される朱子学者であり、昌平黌を復興させた中心人物であった。また『神武陵詩』にみえるように勤王の精神による山陵、大内裏の修復・造営についての献策の他、海防など外交の献策にまで亘って、その功績が残る。学者・教育者であった栗山は、また池大雅、韓天寿、高芙蓉などにも交わり、書画法帖に精通した人物として多くの著書、題跋を残し、文化4年(1807)12月1日、72歳で没した。
 栗山の死後、100年祭に際し、誕生の地に遺業を顕彰するために栗山の尊像の他、宅趾碑、栗山堂などが建立された。現在の記念館は、平成3年に建てられたもので、多くの遺墨・遺品・著書・書簡が展示されている。
 平成18年12月1日には、盛大に200年祭が催され、「進学三喩」を刻んだ石碑が、記念館の玄関脇に建てられた。

写真

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