前田城跡

史跡

指定区分   市指定史跡

指定年月日 昭和51年7月3日

所在地    前田西町 「たかまっぷ」で地図を表示する

解説
 前田城は、十河城主存春(まさはる)(景滋)のとき、その弟宗存(むねまさ)が分家して、前田氏の居城とした。2代前田宗春(むねはる)、3代前田宗清(むねきよ)と続いたが、天正10年(1582)8月、土佐の長宗我部元親の侵攻をうけ落城した。
 城跡は、神泉山の舌状台地の南突端にあり、本丸・二の丸に分かれている。本丸跡は、現在樹木に覆われ、墓碑が建立されている。また、外周には、かつて壕跡(ほりあと)が残されていたが、現在はほとんど埋め立てられている。南の壕跡をへだてて二の丸跡があったが、現在は宝寿寺と墓石が残るのみである。城跡の西側と南側の入口は近代の石垣であるが、東・北の両面は、当時の土壇が残存している。
 前田城跡は、自然の立地条件を合理的に利用した典型的な中世の城塞として、その遺構をよく残している。

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