十河(そごう)城跡

史跡

指定区分   市指定史跡

指定年月日 昭和51年7月3日

所在地    十川東町 「たかまっぷ」で地図を表示する(称念寺)

解説
 十川東町の「城」といわれる地名の台地上にあり称念寺を中心とする一帯である。四方の眺望にすぐれ、城として恵まれた立地にある。同寺の境内に、本丸があったと考えられている。
 本丸跡には、将兵の菩提を弔うため称念寺が建立された。北側の空堀は、歴然と名残をとどめ、西側の鷺(さぎ)の池、東側の急傾斜など天然の地形を利用した中世の典型的な城跡として貴重な史跡である。
 南北朝時代、山田郡の豪族植田景保(かげやす)の第4子吉保(よしやす)が十河城に分家し、城主となる。以来、存景(まさかげ)・存春(まさはる)(景滋(かげはる))と続き、足利幕府細川管領家の執事(しつじ)職をつとめた阿波の三好家から一存(かずまさ)、存保(まさやす)と二代にわたって当主を迎え、国内の名族をおさえて讃岐の旗頭となり2万石を領した豪族である。十河城は土佐の長宗我部元親の讃岐侵攻に際し、激戦の城となったことで有名である。
〜 高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より抜粋 〜 

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