下司廃寺(げしはいじ)塔跡

史跡

指定区分   市指定史跡

指定年月日 昭和51年7月3日

所在地    東植田町 「たかまっぷ」で地図を表示する

解説
 古代寺院の遺構が殆んど失われている中で、下司廃寺(げしはいじ)塔跡は、比較的よく残している。塔跡基壇は高さ約2メートル、大きな楠の樹間に祠(ほこら)が置かれ、礎石数個が露出し、古瓦破片が散乱している。境内地並びに堂宇の全容は不詳であるが、周辺の地名(東の丁・中の丁・西の丁など)があり、相当広い寺域にわたっていたことが推定され、この地が宗教的に開けていたことを物語っている。
 6世紀のころ、仏教の伝来にともない崇仏・排仏の争いが激しかったが、朝廷の方針が仏教奨励に傾くにつれ、諸国の豪族も仏教に帰依(きえ)するものが相次ぎ、各地に国分寺・国分尼寺の壮大な伽藍(がらん)が創建されるにおよび、豪族達も競って寺院を建立した。讃岐にも古代寺院が30近く建立され、地方における仏教文化の中心地となっていた。
〜 高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より抜粋 〜 

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