生駒親正(いこまちかまさ)夫妻墓所

史跡

指定区分   県指定史跡

指定年月日 昭和30年4月2日

所在地    弘憲寺(高松市錦町二丁目4−29) 「たかまっぷ」で地図を表示する

解説
 弘憲寺本堂の西隣にある境内墓地に、人目をひく大型の塔婆(とうば)がある。これが、高松城主生駒家初代の親正夫妻の墓塔である。
 墓塔は、白粉石と俗称する白色の角礫凝灰岩で製した五輪塔である。向って右が親正の墓で、総高3.09メートル、左の夫人の墓も似ているが2.9メートル。どちらも地輪(基礎)の前面に、法名・慶長14年(1609)に嗣子一正建立という刻銘があったというが、いまは風化して、剥落消滅している。
 関ヶ原の戦いで敗れた生駒親正は、高野山に登り髪をそり落とし仏門に入ってひたすら罪を謝し、また子一正の功もあったので、徳川家から許されて高松城に帰り、慶長8年(1603)2月13日没した。綾歌郡飯山町にあった旧法勲寺を子一正がここに移築して弘憲寺としたのである。初代高松城主の墓所として、意義ある史跡である。
〜 高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より抜粋 〜 

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