高松城跡

史跡

指定区分   国指定史跡

指定年月日 昭和30年3月2日

所在地    玉藻町 「たかまっぷ」で地図を表示する

解説
 天正15年(1587)に讃岐一国を与えられた生駒親正は、翌天正16年(1588)から築城を開始した城郭である。生駒氏の治世は寛永17年(1640)の生駒騒動による転封まで4代54年間におよんだが、家臣団同士の争いにより出羽国矢島へ転封となった。寛永19年(1642)には、松平頼重に東讃12万石が与えられ、高松城を居城とした。頼重は寛永21年(1644)から城内の改修を行い、寛文10年(1670)には天守の改築を完成させ、翌年から東ノ丸、北ノ丸を新造した。改修は2代藩主頼常に引き継がれ、月見櫓や艮櫓などの建築が行われた。さらにこれらの改修と同時期頃に大手を南側から南東側に移動し、三ノ丸に御殿が建築された。その後、城の大規模な改修はなく、11代にわたって松平氏の居城としてその姿を見せていたが、慶応4年(1868)、官軍に開城することになった。明治期に外堀は埋め立てられ市街化が進み、城郭の北側も埋立てが行われ海城の雰囲気が薄れた。また、中堀より内側は兵部省(のちの陸軍省)の管轄となり、城郭建物の多くは破却され、明治17年(1884)には老朽化を理由に天守の解体が行われた。昭和29年(1954)に城跡の一部(往時の約8分の1)が高松市の所有となり、昭和30年(1955)に国史跡として指定された。
 北側は瀬戸内海に面し、残り3方向は内堀・中堀・外堀の3重の堀がめぐらされている。備讃瀬戸の交通の要衝を押さえ「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と唄われた全国に珍しい海城である。

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