生駒親正肖像画

絵画

指定区分   市指定有形文化財

指定年月日 昭和64年1月5日

所在地    弘憲寺(高松市錦町二丁目4−29)

解説
 高松の基礎を築いた生駒親正(ちかまさ)の画像。剃髪(ていはつ)して小袖(こそで)・袴(はかま)に羅絹(うすぎぬ)の法衣を着て、右手に中啓(ちゅうけい)、左手に数珠(じゅず)を持ち、傍(かたわら)に太刀と茶入を置いている。賛には親正が、縁あって弘法大師生誕の讃岐の国守となり、深く真言に帰依(きえ)したことが記されている。江戸前期に遺像として描かれ、弘憲寺に伝わったものである。
 親正は天正15年(1587)秀吉の島津討伐後、功により播州赤穂6万石から讃岐17万石余の太守となる。関ヶ原の戦では、豊臣の恩顧に報いるため、親正は西軍に付き、戦に敗れ高野山に登って謹慎したが、東軍に属した子一正(かずまさ)の軍功に免じて罪を赦(ゆる)され、一正に藩主の座を譲り、慶長8年(1603)78歳で没した。
 一正は、真言宗の古刹、旧法勲寺(飯山町)を父の菩提(ぼだい)所として高松に移し、親正の諡号(しごう)から弘憲の字をとって寺号とした。
〜 高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より抜粋 〜 

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