光厳院宸翰御奉納心経

書跡

指定区分   重要文化財

指定年月日 昭和19年9月5日

所在地    香川県立ミュージアム(高松市玉藻町5−5)

解説
 光厳院(こうごういん)は後伏見天皇(93代)の第1皇子量仁(かずひと)親王で、嘉暦(かりゃく)元年(1326)7月後醍醐天皇(96代)の皇太子となられたが、文保の御和談(わだん)(大覚寺統と持明院統が交互に皇位につく申し合わせ)によって、後醍醐天皇の子孫は永久に皇位につくことが出来なくなるので討幕を計画され、正中の変となり元弘の乱ともなった。後醍醐天皇が隠岐に流され、その後北朝第1代の天皇に即位されたが、正慶(しょうけい)2年(1333)5月上皇となり、丹波(京都府)北山国郡の常照寺に入って仏道に精進された。
 延元元年(1336)3月に伊勢大神宮・石清水八幡宮・春日神社の三社へ奉納のため書写されたのがこの般若心経(はんにゃしんきょう)である。三社へは太上天皇量仁の奥書が書かれている。ところがこの御奉納心経は三社へは奉納されなかったものと見え、現在3巻揃って松平家に所蔵されている。
〜 高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より抜粋 〜 

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