楠尾(くすお)神社経塚出土遺物

考古資料

指定区分   市指定有形文化財

指定年月日 昭和45年3月28日

所在地    楠尾神社(高松市国分寺町新居3369)

解説
 経塚は、仏教が衰退してしまうという末法思想が広まった11世紀の後半(平安時代後期)から盛んに作られはじめ、末法の世を経て56億7千万年後に弥勒如来が再びこの世の救世主として現れる時までの経典の保存を本来の目的としていた。しかし、後に往生祈願や追善供養などのためにも造られるようになった。
 楠尾神社経塚出土遺物は、明治23年(1890)の楠尾神社の社殿拡張時に、現在の本殿の裏山から出土したもので、その内容は、銅板製経筒7口、陶製容器6個、和鏡1面、直刀残欠2片である。
 経塚自体はすでに失われており、構造は不明であるが、銅製の蓋付の経筒を1口あるいは2口ずつ陶製の外容器に入れて埋納したものと考えられる。外容器の組み合わせから複数回にわたって経塚造営が行われたことが想定されている。記年銘などの年代を設定する資料がないものの、近畿地方の事例などからおよそ12世紀後葉から13世紀前葉ごろに経塚が造られたものと考えられている。
 〜 国分寺町2005年『さぬき国分寺町誌』より抜粋 〜

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