紙本墨書花園天皇宸翰御消息 (十二月二日)

書跡

指定区分    重要文化財

指定年月日  昭和18年6月9日

所在地     香川県立ミュージアム(高松市玉藻町5−5)

解説
 花園天皇(95代)在位の時代(1308〜18)は皇室が持明院統と大覚寺統に分かれ皇位の継承を争い、交互に皇位についていた。天皇は皇位の争いに対して常に公正な態度でのぞみ、また和学に通じ和歌もよくしていた。
 熾盛光法(しじょうこうほう)の奉行・支具などについて御近親(恐らく弟の尊円法親王であろう)にあてられた天皇御直筆の御便りである。熾盛光法は天台宗の四箇の大法のひとつで、このご祈祷で兵乱を鎮圧することができると信ぜられた修法である。日付が12月2日とあるだけなので何年のことか不明であるが、文中に「楠木事その後聞えなき旨に候云々」とあることから、元弘元年(1331)11月21日楠木正成が赤坂城での戦いに敗れ、逃げて、行くえをくらましてから翌2年4月3日同城を回復するまでの間、元弘元年12月2日と推察される。この宸翰(しんかん)は菩堤(ぼだい)を弔うため法華経の料紙とされていたものと思われる。

写真


もどる

↑このページの上へ