高松城 北之丸月見櫓、 北之丸水手御門、 北之丸渡櫓、 旧東之丸艮櫓

建造物

指定区分   重要文化財

指定年月日 昭和22年2月26日

所在地    玉藻公園(高松市玉藻町2−1) 「たかまっぷ」で地図を表示する

解説
 高松城は天正15年(1587)に讃岐一国の領主となった生駒親正によって、翌16年(1588)に築城が開始された。生駒氏4代の後、寛永19年(1642)に松平頼重が東讃12万石の領主として高松城に入ると、寛永21年(1644)から城の修築を開始した。特に寛文10年(1670)には天守の改築、さらには翌11年(1671)からは新たに東ノ丸、北ノ丸の新造を行うなど、大規模な改修を行っている。この東ノ丸・北ノ丸の新造に伴い建築された建造物が4棟現存している。
 月見櫓は北ノ丸の最北端に位置し、瀬戸内海がよく監視できる。「到着を見る」という意味の着見櫓が本来の名称である。三重三階の総塗籠で、各階に2本の長押をめぐらせている。初重には切妻破風が見られ、その下部に石落としが設けられている。内部は中心の4本の柱が2階部分で継ぎ足しながら3階天井まで延びている。南面には続櫓と呼ばれる小規模な平櫓が付属する。古文書の記載から、延宝4年(1676)に上棟と考えられる。
 水手御門(みずてごもん)は月見櫓の南に位置し、西面した薬医門である。月見櫓と同時期頃に建築されたと考えられるが、解体修理に伴う調査によって地下から古い礎石が発見されており、幕末頃に建替えられたと推定される。海に向かって開いた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけた。
 渡櫓(わたりやぐら)は、水手御門の南に位置する総塗籠の平櫓である。南側3間分は北ノ丸の新造前に所在した海手門の部材を再利用しており、柱が細く、内壁も波型真壁となっている。また、城外側は大壁、城内側は真壁となっており、3種の壁構造が見られる。梁の継手の下面に「延寳四年卯二月十日井上氏□□」とあることから、月見櫓と同時期に建築されたと考えられる。
 艮櫓(うしとらやぐら)は延宝5年(1677)に東ノ丸の北東隅に建築された建物である。その名称は櫓が所在する場所が高松城の丑寅(うしとら)にあたることに由来している。三重三階の総塗籠で、初重には二重の屋根を貫く千鳥破風が見られ、城外側の隅には袴型の石落としが設けられている。昭和42年に現在地(太鼓櫓跡)へ移築されている。

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