平成25年度

●「瀬戸内海とピアコンの3月」(3月1日号掲載分)

いきいきと三月生る雲の奥
        飯田龍太
 春の光が雲の奥に生まれて、活動的な3月が現れてきた喜びを詠った句です。草木が芽を出し、虫が地上へはい出る3月は、生命の息吹を感じます。そして、今年はいつもにも増して意義深い月になりそうです。
 昭和9年3月16日、瀬戸内海が、雲仙、霧島とともに日本で最初の国立公園として指定されました。その時の公園区域は、岡山県と香川県の間のいわゆる備讃瀬戸の地域。そして、その中心の一つが屋島の存在であり、屋島から見た多島美の眺望であったということです。それからちょうど80周年を迎えることを記念して、キックオフイベントが、3月16日の当日、寒霞渓、鷲羽山とともに屋島山上で開催されることになっています。We Love Yashima宣伝隊長の松本明子さんや探検隊長の荒俣宏さんも参加して、大いに盛り上げてくれそうです。
 その少し前、3月12日には、4年ごとに開催される第3回高松国際ピアノコンクール(TIPC)が開幕します。予備審査で選ばれた40人の有望な若手ピアニストが、国内外から高松の地に集結し、ピアノ演奏の技量と芸術性の高さを競い合います。「TAKAMATSU」の名を、世界中の音楽ファンに知らしめることのできるこのコンクール。創造都市高松のさらなる発展のためにも成功させ、継続開催に繋げて行くことが大切です。
 TIPCでは、毎回、風光明媚な香川、高松をイメージした委嘱作品を創作しています。第1回の曲は「屋島」、第2回は「栗林公園」でした。そして今回は、国立公園指定80周年を記念して「瀬戸内海」をテーマに、新進気鋭の作曲家である薮田翔一さんに委嘱しています。「世界の宝石」とも称される瀬戸内海の魅力を存分に表現した素晴らしい楽曲が出来上がっていると伺っています。どんな曲なのか、また、出場者がどのような演奏をするのか、本当に楽しみです。
 春の海ひねもすのたりのたりかな
           与謝蕪村
 私が瀬戸内海をイメージして曲を作るなら、この句の世界。静明なるアダージョのピアノ曲でしょうか。

●「ビバ!カマタマーレ讃岐」(2月1日号掲載分)

 昨年12月8日、本市をホームタウンとするサッカーチーム・カマタマーレ讃岐は、入替戦の死闘を制し、念願のJ2昇格を果たしました。J2リーグには、東京ヴェルディやジュビロ磐田といった著名なチームも存在します。ファジアーノ岡山や愛媛FCとの瀬戸内、北四国同士のいわゆるダービーマッチも盛り上がりそうです。香川の地で、トップレベルのサッカー公式試合をたくさん観戦できることは、本当に楽しみです。
 2006年4月に前身の高松FCを母体に生まれたカマタマーレ讃岐。チームの名前の奇抜さも売りの一つです。公募によりつけたものだそうですが、讃岐うどんを代表するメニュー「かまたま」とイタリア語で海を表す「マーレ」を組み合わせてできたものです。当時は、まだ「うどん県」も普及しておらず、発表と同時に、「サッカーをなめているのか」といった反応を中心に、全国からメールが殺到したとのことです。確かにサッカーチームに食べ物の名前を付けるのでも珍しいのに、うどんメニューの名を冠するというのは、世界中でも讃岐だけのものでしょう。
 私が北海道庁勤務時代に設立に関わった、現在J2に所属するコンサドーレ札幌も道産子(どさんこ)を逆読みして頑張れという意味の「オーレ」をつけたもの。ユニークな名前のチーム同士で、いつかJリーグで試合をすることを夢見て頑張ってほしい、と2006年の四国リーグ祝勝会で激励の挨拶をしたことが現実のものとなり、その嬉しさを今、噛み締めています。
 今年は、世界最大のスポーツイベントとも言われるサッカー・ワールドカップ・ブラジル大会が行われる年でもあります。日本代表も5大会連続で出場権を得て、本大会での活躍が大いに期待されています。サッカーが大きく話題とされる年になりそうですね。
 カマタマーレ讃岐のJ2開幕戦は1か月後、3月2日(日)です。サッカーでは、観客をサポーター(支える人)と称し、12人目の選手になぞらえられています。是非、皆さんもサポーターとして、おらがチーム、カマタマーレ讃岐を支え、一緒になって盛り上げていきませんか。

●「高松の音楽ミーム」(1月1日号掲載分)

 今年の大晦日の夜は、アルファあなぶき大ホールで「第2回UDON楽カウントダウン高松コンサート」を聴きながら過ごす予定です。このコンサートは、地元の音楽家達が、仲間が正月に帰省するのに併せて一緒にクラシック音楽で年越しをしようと企画され、昨年から開催されているものです。当日は、エルガーの「威風堂々」の演奏と大合唱で新年を迎えることとなっています。
明けて2014年。3月には、創造都市推進ビジョンにいう「祝祭」のメインプログラムである「第3回高松国際ピアノコンクール(TIPC)」が開催されます。2006年に第1回、2010年に第2回が開催され、それぞれ成功を収め、高い評価を得てきました。今回も出場者の年齢制限を厳しくしたにもかかわらず、ほぼ前回並みの世界20の国と地域から239名の応募者があり、厳正な審査で選ばれた40名の若手ピアニストが高松に集結し、本選に臨みます。
一方で、今年このTIPCの創始メンバーであり功労者であるお二人の方が鬼籍に入られました。3月に亡くなられた石井瑠璃子さん(音楽委員会委員長)と9月に亡くなられた堤俊作さん(音楽監督)です。特に、石井瑠璃子さんは香川音楽連盟を率い、県内クラシック界の支柱とも言える方でした。悲しみを乗り越えお二人のご遺志に報いるためにも、是が非でも成功に導いていかなければなりません。
「ミーム」(文化遺伝子)という概念があります。リチャード・ドーキンスが著書『利己的な遺伝子』の中で提唱したもので、情報や文化が発生し、模倣によって伝達され、そして淘汰(とうた)されてゆく、その一連の有様を遺伝子による適応進化になぞらえた概念です。高松の街で、全国でも珍しい手作りのクラシックのカウントダウンコンサートが行われるのも、また、地方都市では稀な正式の国際ピアノコンクールが継続して開催できるのも、これまで先人が培ってきたこの地の音楽を愛するミームが引き継がれているからと言えなくはありません。
街を挙げて「祝祭」を盛り上げ、楽しみたいと思います。
(正月号ですが、年の言い方は旧年中のものにしています。)

●「ガヤガヤでひらめきと創造を」(12月1日号掲載分)

 以前、岐阜県庁で勤めていた時に「ガヤガヤ会議」とその十原則なるものがあり、コミュニケーションのツールとして重宝していました。会議の名前は、騒がしい様子を表すオノマトペ(擬声語)からとったもので、十原則の中には、「言いっぱなし、聞きっぱなし」という項目がありました。公式の会議で言いっぱなし、聞きっぱなしはないだろう、と思いましたが、実際実践すると、アイデアを口にしやすく、自由な意見がどんどん出てくる雰囲気が作り出せました。
 脳科学者の茂木健一郎さんは「最も身近なひらめきというのは会話」で、「知性はコミュニケーションにおいてこそもっとも端的に現れる」と言っています(注)。私が市政推進の3つの方法論に「情報公開の徹底」と「説明責任の全う」に併せて「コミュニケーションの活性化」を掲げているのも、対話などの活発なやりとりから、新しいアイデアや良い施策が生まれることが多いと考えるからです。
 コミュニケーションの充実は、さまざまな関係性において必要かつ重要です。市民との協働を軸としたまちづくりを謳(うた)う本市において、行政と市民、特にトップの私と市民との間のコミュニケーションをいかに活性化させるかは、大きな課題です。その対策の一環として「市長まちかどトーク」を平成21年度から行っています。今年度は10月末までに、「塩江温泉観光協会」、親しい人の喪失を体験した人の心のケアなどを行っている「NPO法人グリーフかがわ」、若手起業家などの集まりである「西日本めちゃイケ異業種交流会」など、既に5つの団体との間で実施しています。
 さまざまな活動をしている市民団体の皆様と膝を交えて、率直な意見交換をすることにより、私は関連施策の進め方について多くのヒントを得られています。そして、市民団体などの方々は、行政側の考え方や関連情報を得ることができて、自分たちの活動をより効果的に進めるのに役立っているようです。
 リラックスした雰囲気でワイワイ、ガヤガヤやる。そこにひらめきと創造の種が生まれます。あとはそれをいかに花開かせるか、ですね。

(注)「ひらめき脳」茂木健一郎著(新潮新書)

●「二つのサミット」(11月1日号掲載分)

「サミット」とは、山頂を意味し、首脳の地位をそれになぞらえた主要国首脳会議のことを指します。国内では、これを自治体首長に置き換えて、さまざまな会議が行われています。先般も、二つのユニークなサミットが、相次いで本市において開催されました。9月27日に行われた「第4回中四国・瀬戸内クルージング・サミット」と、10月4日・5日に行われた「第4回古代山城サミット」です。
 「中四国・瀬戸内クルージング・サミット」は、この地域で公共マリーナを有している瀬戸内市、三豊市、新居浜市、福山市、高松市の5市の市長と関係者が集まって意見交換をし、クルージングを中心とした、瀬戸内海のより積極的な活用方策を考えていこうというものです。毎回、実際にクルージングを体験しながら、それぞれの地域の持つ魅力を再発見していく企画もあり、瀬戸内海の活かし方や今後の取り組みを考えていく上で、大変勉強になっています。
 「古代山城サミット」は、西暦663年の白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れた大和朝廷が、唐・新羅軍の侵攻に備えて、対馬から畿内にかけて造らせた山城の遺構が所在する市・町の代表が集まり、意見交換などを行うものです。日本書紀などの文献に記録が残っている本市の「屋嶋城(やしまのき)」を始めとした「朝鮮式(ちょうせんしき)山城(やましろ)」と、記録はないものの実際に遺構が残っている「神籠石系(こうごいしけい)山城(やましろ)」を合わせて現在、22の山城が確認されていて、その所在市町がメンバーとなってサミットを行っています。この古代山城が築かれたのは、今からさかのぼること1350年ほど前。悠久の時を超え、古代山城の遺構の存する地域が一堂に集い、連携と交流を図り、お互いの絆を確かめようというのがこのサミットの目的の一つです。屋島を世界遺産に、との屋島小学校6年生の感動的な学習発表もあり、高松大会もおおいに盛り上がりました。
 来年は、瀬戸内海が日本で最初の国立公園として指定を受けて80周年を迎える記念の年です。屋島からの眺望が指定の決め手となったと言われる瀬戸内海国立公園に、密接に関連するこの二つのサミットの開催は、記念行事などの気運を盛り上げていく絶好の契機ともなりました。

●「『一合(いちごう)まいた』と『耕(たがや)す文化』」(10月1日号掲載分)

収穫の秋を迎えました。連日猛暑が続いた夏が過ぎ、讃岐平野では稲穂がたわわに実る季節になりました。日常生活で稲作に関わることが少なくなった現代社会においても、稔りの秋の豊作は素直に嬉しく、大きな喜びを感じます。
 今年の夏も「さぬき高松まつり」が盛大に開催されました。打ち上げ場所が変更された花火「どんどん高松」は大好評でした。また、最終日の総踊りの前には、ディズニー・パレードも行われ、沿道の親子連れなどに楽しんでいただきました。そんな中、昨年に引き続き、オープニングセレモニーでは、「正調一合まいた」の輪踊りが実施されました。高松市民よう協会や婦人団体の皆様などとともに、私も浴衣を着て、昔懐かしい盆踊りの風情を味わいながら踊りました。
 「正調一合まいた」は、この地方に古くから伝わる豊作祈願の民謡です。「(ハアー)一合まいた籾(もみ)の種(たね) そのまた枡(ます)高(だか)は(コリャセ)一石一斗(いっこくいっと)一升(いっしょう)一合(いちごう)と一勺(いっしゃく)(サアヨウホイヨウホイヨウイヤセ)」で始まり、以下九合まで数えあげられながら歌われます。意味は、「籾を一合まいたら、(その千倍以上の)一石一斗一升一合一勺の実りがあってほしい。」というほどのものです。この歌詞ができた当時の讃岐の小作農は、高い小作料、日照り、水不足に悩まされながら、狭い面積から少しでもたくさんの米を収穫しようとしていたことでしょう。その気合と願望がこの民謡からも感じとれます。そして、輪踊りの振りも稲作に関わる仕草がそのまま取り入れられています。稲刈りのポーズから「刈って、眺めて、喜んで、たくさんとれたと俵を持って、頭を下げて拍手(チョン、チョン)で祝う」という内容です。
「土地ごとに自ら耕し、そしてそれを楽しむことこそ、文化の本質である。英語のカルチャー(文化)は何よりもまず耕作を意味し、土地ごとに自然条件、歴史や伝統を踏まえながらつくるのを、楽しむことに他ならない。」と、故木村尚三郎氏が名著「『耕す文化』の時代」のあとがきで述べています。「正調一合まいた」の輪踊りで表されている世界には、まさに讃岐高松の文化の原点が宿っているのです。

●「『常に過渡期(かとき)』であると認識する」(9月1日号掲載分)

「永遠の今」。
 故大平正芳元首相の演説集の題名です。市長になる直前の時期にこの哲学的な言葉を目にして、私はその深遠な響きに魅力を感じてきました。しかし、その意味するところは、分かるようで分からない、というのが正直なところでした。
 そんな中、スウェーデンの国家戦略の一つとして「『常に過渡期』であると認識する」という考え方があることを知りました(注)。以前にこのコラムで記した「独創指向」などとともに挙げられていたものです。「永遠の今」という言葉を社会的、政治的な意味合いで解釈すると、この「常に過渡期」という言葉に言い換えてもよいのではないか、と直感的に思いました。
 厳密な意味では、「過渡期」は「古いものから新しいものへと移り変わっていく途中の時期」(大辞林)で、転機や曲がり角などを言うとされていますので、「常に過渡期」という表現は語弊があるかもしれません。しかし、人生にしても、社会にしても、仕事にしても、どんな時も「常に過渡期」であり、これで終わりということはない、という考え方は、前向きになれて元気を与えてくれます。
 自身の存在も含めて、全ての事象は時間とともに変化していて、我々は常に過去と未来の間の「永遠の今」を生きているのです。そして、政治、経済、社会の今の状況は、過去に自分たちで作ってきたルールやシステムを前提にして生み出されているものであり、「常に過渡期」であるとの認識を持てば、これを未来へ向かって思い切って改善、改良していくことこそが大事なのではないか、と思うようになりました。その点、「常に過渡期」と認識したスウェーデンの大胆な改革実行力に比べ、我が国は既得権益に配慮しすぎて、変革に消極的すぎるきらいがあります。間違っていれば後から直せばよい、というくらいの柔軟な発想も、場合によっては必要だと思います。
 「今日という日は残された日々の最初の一日」(チャールズ・ディードリッヒ)と認識しながら、「永遠の今」を大切にしてまいりたいと思います。

 (注)岡澤憲芙氏講演録「第36回行財政研修会東京セミナー講演シリーズ 福祉社会を考える」
    (一般社団法人 地方行財政調査会)

●「海を思う」(8月1日号掲載分)

 2013夏会期瀬戸内国際芸術祭が始まりました。この芸術祭の一貫したテーマは「海の復権」。「海の日」が7月にあるように、海を思い、語るには、夏は最も適した季節です。
 海と聞くと、まず子どもの頃に歌った歌が頭に浮かびます。「海は広いな大きいな」で始まる童謡の「海」。それから少し気取って、ドヴュッシーの交響詩「海」というところでしょうか。これらの歌や音楽に併せて、小さい頃から親しんできた瀬戸内海の、穏やかで心を優しく包み込んでくれるような景色をはじめとして、各地のさまざまな表情を見せる海の様子が思い出されます。
 美しい海としてまず思い浮かべるのは沖縄の海です。高校一年生の夏、国際海洋博覧会に初めて行った沖縄で見たエメラルドグリーンに輝く海の美しさには、いっぺんに魅せられました。その後も沖縄へは何度か行きましたが、街の様子は大きく変わっても、魅惑的な「美(ちゅ)ら海」は相変わらずであり、毎回感動を覚えます。
 札幌で生活していた時に何度か訪れた、流氷で有名なオホーツクの海も忘れられません。アムール川の河口で発生した流氷が接岸すると、海の上を歩くこともできます。一面、厳寒の真白な氷の世界。でも、流氷が栄養分も一緒に運んで来て、サケ、マス、カニやホタテなどがたくさん採れる漁場として極めて豊かな海なのです。
 それから隠岐の海。松江に赴任していた3年間は、夏休みに隠岐の島々を家族で訪れ、透明度の高い澄んだ海でレジャーを楽しみました。ツッピン飛び跳ねるトビウオに囲まれた船釣りや手の感触だけで引っ掛ける夜のイカ釣り、スキューバダイビングなどは隠岐で初めて体験したものであり、思い出の海です。
 これら三つの海には、奇しくも国境の海という共通点があります。それぞれが隣国との間で領土領海問題を抱えています。言うまでもなく、全ての海はつながっています。平和の海の象徴とも言える瀬戸内海の水も、これらの海に流れ込んでいるはずです。国境の海、東日本大震災の被災地の海も含めた世界中の「海の復権」を願って、芸術祭を盛り上げていきたいと思います。

●「日本一の海城(うみじろ)に和船就航」(7月1日号掲載分)

 6月初旬、玉藻公園のお堀に和船「玉(たま)藻(も)丸(まる)」が就航しました。この和船は、松平家の初代頼重公が入府した1640年代頃の高松の城下町を描いたとされる「高松城下図屏風」において、堀に描かれた和船を参考に松平公益会が建造され、市にご寄贈いただいたものです。
ご承知のとおり、高松の町は天正15年(1587年)讃岐一国の領主となった生駒親正によって、当時「野原」と呼ばれていた港町に城が築かれたところから始まっています。この城は、かつては城壁が海に直接面し、外堀・中堀・内堀の全てに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできるようになっていました。水軍の運用も視野に入れ設計されており、近世城郭の海城としては最初で最大の例とされています(注)。
「讚州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と、古くから伝わる民謡に謳われていることでもその特徴がよく分かります。お堀の中には、当然、鯉ならぬ鯛などの海水魚がたくさん泳いでいます。目の前の美しい瀬戸内海の風景と相まって、鯛やヒラメが舞い踊る華やかな竜宮が脳裏に浮かんだのでしょうか、昭和6年にこの地を訪れた与謝野晶子は、「わだつみの玉藻の浦を前にしぬ高松の城竜宮のごと」(わだつみ=海の神霊)との歌を残しています。
今年は、水戸の水術「水府流」の流れをくみ松平頼重公が水練に用いたという「水任流」発祥から370年の節目の年に当たります。去る6月2日には、「玉藻丸」のお披露目も兼ねて、記念の英公様追悼游泳祭が開催されました。恐れ多くも、高松松平家と水戸徳川家の当代ご当主お二人と一緒に私も和船に乗り、泳ぎながら運ばれてきた酒と鰆を口にして、「あっぱれ」な各流派の泳法を観覧させていただきました。
「玉藻丸」の「城(じょう)舟(せん)体験」は大人一人500円。航行中は船頭のガイドを楽しみながら遊覧し、お堀の鯛に餌をあげることもできます。大名気分を味わうもよし、はたまた竜宮の乙姫様の気分を味わうもよし。屏風絵の中に入り込んだような、非日常の時空を是非お楽しみ下さい。

(注)「ビジュアル・ワイド 日本名城百選」(小学館)より 

●「公園の思想」(6月1日号掲載分)

 「日本では『公園の思想』が理解されているとはいえません」と神野直彦先生が近著で指摘されています(注)。「公園の思想」とは、ドイツの文学者ゲーテが提唱したとされる、封建領主や貴族が独占していた美しい庭園を、全ての社会の構成員に開放して公園を作ろうという思想です。
 いや、本市にある国の特別名勝「栗林公園」にしても生駒家、松平家の下屋敷だったものが明治時代に公園として一般開放されたもので、多くの市民に親しまれているのではないか、などとの反論があるかもしれません。それはその通り。でも、ここで先生が言わんとしているのは、「公園の思想」に代表される「公(おおやけ)」というものが何かという正しい意識が我が国に十分に根付いていない、ということのようです。「公」とは本来、社会の構成員の全てが排除されない「私達のもの」と意識されるべきなのに、「公」イコール「官」という間違ったレッテルが貼られ、「官から民へ」という、言葉で「公」の領域が、個人の「私」的権利によって侵食されるような事態がまかり通っていることを憂いているのです。本来の「公」の領域は「民」がみんなで支配すべきものであり、それが民主主義の基本である、ということを訴えているのです。
 この「公園の思想」を敷衍(ふえん)して考えていくと、本市のまちづくりに関して、より公共性を重視した突っ込んだ議論と対策が必要な分野があると思います。それは、交通や景観の分野です。
 「公共交通」では、ヨーロッパで見られる福祉施策的な位置づけをより重視していくことが必要だと考えています。そのため、「公共交通利用促進条例(仮称)」の制定を目指しています。「公共空間(景観)」については、先に「景観条例」を改正し、規制に強制力を持たせました。さらに、対象区域の見直しや、色彩基準などを導入して規制を強化する「屋外広告物条例」の大幅な改正を検討中です。
 交通行政、景観行政などにおける「公共性」をどこまで求めていくべきなのか。いずれも、あなた(官)任せにせず、市民みんなで議論し、決めていく必要があります。

(注)「税金 常識のウソ」神野直彦(文春新書)より 

●「幸せな高齢社会の都市(まち)であるために」(5月1日号掲載分)

 この4月の組織改正で、健康福祉局の中に長寿福祉部を設置しました。長寿福祉課と介護保険課、それに介護予防を中心に高齢者のさまざまな相談に応じ支援する地域包括支援センターの3つの課をまとめて、高齢者施策を一体的、総合的に展開できるようにしようというものです。
 お手本は信州にあります。全国一の長寿県で高齢者一人当たりの医療費が最も低い長野県。中でも健康長寿で有名な川上村(かわかみむら)では、20年前から健康老人率という独自指標を設定しています。要介護・要支援の認定を受けていない高齢者の割合で、それを高めるために福祉、介護、医療施策を連携させて実施してきたといいます。その率は85.1%。74歳までに限ると96.7%で全国一だそうです。ちなみに高松市では78.6%(74歳以下95.2%)です。川上村はレタスの生産量全国一を誇る村で、高齢者の就業率はなんと63.3%。多くの高齢者が農業に従事し、経済的利益も上げながら、健康を維持し、年齢を重ねていることがうかがえます。さらに、家族や看護師に看取られながら自宅で亡くなる人の割合が4割近くにも上るとのことです。
 日本でも有数の農業が盛んな小さな村だからできる、との見方もあるでしょう。でも、これから迎える超高齢社会において、我々が目指すべき方向も同じだと思います。すなわち、健康で生きた甲斐を持って働ける高齢者を多くしていくこと。そして、住み慣れた地域内において、在宅を中心にしながら、医療を含めた包括的な福祉サービスの提供を行えるシステムを構築することです。今後、本市においても、財源とマンパワーの確保に対処しながら、長寿福祉部を中心に、地域の実情に合った健康長寿施策を展開し、併せて地域包括ケア・システムの構築を急ぎたいと思っています。
 福祉、介護、医療施策の充実と連携が何より大切です。でも、それとともに関連する他施策、特にコミュニティ振興策や農業振興策、さらには公共交通施策において、高齢者福祉を視野に入れた展開が非常に重要であると考えています。幸せな高齢社会の都市であるために、自治体の総合力が問われているのです。

●「書の楽しみとパフォーマンス」(4月1日号掲載分)

 書道ブームだそうです。四国中央市の紙まつりで行われる全国高等学校書道パフォーマンス選手権大会が年々盛り上がり、「書道ガールズ」という映画がヒットしたことが火付け役となったようです。香川でも昨年夏には、うどん県書道パフォーマンス大会2012が開催されました。1月の高松市成人式のオープニングでは、その大会で優勝した高松商業高校書道部のお祝いの書道パフォーマンスが大変好評を博しました。
 書道は私の趣味でもあります。もともと悪筆の私が、自分の名前くらいは毛筆できれいに書けるようになりたい、という動機で通信講座を受け始めたのが約8年前。月ごとに課題を清書して送り、添削して返してもらうという自己流の稽古を続けてきました。平成18年11月に東京から帰ってきた後は選挙などもあり、しばらく書道から遠ざからざるを得ませんでした。市長に就任後、光栄にも小林秀雲先生が月2回程指導してくださることになり、稽古を再開し今日に至っています。作品も毎年条幅の掛け軸などを市職員文化展に出展するとともに、硯友展でも2度、二曲屏風を美術館に飾らせていただきました。
 字を書くことにコンプレックスを持っていた私ですが、書道はすぐに夢中になりました。面白いのです。最近は公務が忙しく、筆をとり紙に向かう時間がなかなか取れないのが悩みです。でも書道をしている時は、もやもやした気分や余分な雑念が頭から振り払われます。満足のいく清書ができた時などは、清涼感と充実感が心の中にあふれます。カタルシス(浄化の快感)を感じるといっても過言ではなく、気分転換にも最適です。
 「書はダンスに似ている」ということを誰かが書いていました。やり直しのきかない即興性が同じだということです。書道パフォーマンスは、音楽に合わせて体を動かしながら、大きな紙に書(画)をしたためていきます。いわば、即興性の高い書とダンスをそのまま組み合わせた斬新で発展性の高い芸術といえるものです。私自身、これからも書を楽しみながら、書道パフォーマンスの今後について、大いに注目していきたいと思います。

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