平成23年度

●「伝え残したい風景―里山とため池」(3月1日号掲載分)

 先ごろ行われた「たかまつ美しいまちづくりシンポジウム」で基調講演をしていただいた、早稲田大学 佐々木葉教授が、「高松の中で一番好きなのは、本当にこのかわいらしい形の山とため池ですね。」と話されていました。讃岐平野の里山とため池。地元に住んでいる私たちは、その良さを失念しがちですが、外から来た人から見れば、その風景は非常に魅力的なものに映るようです。
 讃岐平野には、特徴的な形をした里山が数多く見られます。よくおむすび山と称されるのは、ビュート地形と言われるものです。その丸みを帯びた三角形の山は、姿形がかわいらしく、見ているだけで癒される雰囲気を醸し出すようです。「まんが日本昔ばなし」に出てくるような、と形容されることもありますが、それはある意味当然のこと。あの絵を描いているのは、高松市出身の画家、池原昭治さんなのですから。
 また、昔から水不足に悩まされてきた讃岐平野は、雨水を利活用するため、多くのため池が造られてきました。県内のため池の数は、小さなものも含めれば1万5,000弱、高松市内では約2,700か所にも上ります。全国一の密度を有するため池は、貴重な親水空間として、私たちの暮らしに潤いをもたらせてくれます。
 里山もため池も、単に自然としてそこにあるのではありません。里山は、地域の人々の手入れにより生物多様性などが保たれ、豊かな緑として残されてきたものですし、ため池は、人間の必要に応じて築かれ、活用されてきたものです。里山とため池は、地域の人々の生業(なりわい)と結びついた讃岐の独特な風景として、今日に至っているのです。高松市では、このような里山やため池を守り育てる担い手を確保し、後世に引き継いでいこうと「いざ里山市民活動支援事業」や「ため池守り隊市民活動支援事業」を展開しています。
 春もすぐそこまで来ています。柔らかな日差しを浴びて光り輝く里山とため池ののどかな様子は、他のどこにもない讃岐の誇るべき文化的景観です。私たちの責務として、これらの価値を再認識し、良好な形で伝え残していく必要があるものと考えています。

●「竜にまつわる話」(2月1日号掲載分)

 今年は辰年です。動物に当てはめると竜になります。竜は、十二支の中で唯一の想像上の動物です。四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の一つで、水中にすむとされ、鳴き声ひとつで風雲を呼び、竜巻となって昇天し、空を飛翔するとされています。こうしたことから、竜神や竜王と呼ばれる神様は、雨を降らせ、水を守る神様として、昔から水不足に悩まされてきた讃岐では、特に大切にされてきたようです。
 水中にすむ竜王の宮殿が竜宮です。その竜宮が男木島近辺にあったとする伝説が残っています。古事記や日本書紀に書かれている、山幸彦(やまさちひこ)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の物語と一緒になってこの地域に伝わっているものです。男木島には豊玉姫神社があります。豊玉姫命は孫が初代天皇となったことから、子孫繁栄の神様として、また、安産や縁結びの神様として崇敬されています。同時に、日本書紀には「豊玉姫、方(みざかり)に産(こう)むときに竜に化為(な)りぬ」との記述もあります。男木島やその周辺地域でも、豊玉姫命を竜と見なして、あるいは、竜宮の乙姫と同一視して、水を支配する雨乞いや止雨の神とする見方が強くあったと思われます。
 その他にも、讃岐国一宮である田村神社は、水神を祭る神社として知られていて、奥殿内の泉には竜がすんでいる、という言い伝えが残っているそうです。また、香川町には、西嶋八兵衛築造とされる龍満池もあります。さらに、塩江町にある香川県最高峰の山は、その名も竜王山です。
 高松市内を見回しただけでも、これだけの竜にまつわる場所や伝説があります。水不足の問題もあり、この地域の人々の竜に対する思いというのは、古くから特別なものがあったのかもしれません。
 竜は、中国では皇帝のシンボルとされてきました。その意味では、十二支の動物の中で最も強く、勢いがあり、人々の憧れる存在なのでしょう。「竜頭蛇尾」、「画竜点睛」といったことわざは竜の強さや勢いを伝えます。竜にあやかり、渇水や洪水といった水災害に悩まされることなく、昇竜のごとく運勢の上向く年にしたいものです。

●「和(わ)」と「絆(きずな)」(1月1日号掲載分)

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年3月11日に発生した東日本大震災の爪痕は深く、被災地では、気持ちの整理、切り替えがきかぬままに新年を迎える方も大勢おられることと思います。小林一茶ではありませんが、「めでたさも中くらいなり」の新春かもしれません。
 数年前からでしょうか、和風ブームの広がりとともに、「和」という漢字をよく目にするようになりました。「和」は、その一字で「日本(大和)」という国の意も表すことのできる不思議な漢字です。そして、聖徳太子の17条の憲法が「和を以って貴しと為す」で始まることに象徴されるように、「和」は、国民の結束力の基になるものとも言えます。
 加えて大震災後は、「絆」という漢字を本当によく見かけます。「がんばろう日本」の掛け声とともに、新聞や雑誌の特集のテーマとしても幅広く使用されています。先日、高松市美術館で開催されていた書の展覧会では、「絆」を書いた高校生の自由作品が何点も並んでいました。また、アジア太平洋盆栽水石高松大会の法被(はっぴ)の背中には、書道家の金澤翔子さんが書いた力強い「絆」の文字があしらわれていました。多くの外国人参加者もそれを誇らしげに身にまとい、お互いの連帯感を強めました。
 「絆」は、昨年の世相を表す漢字に選ばれましたし、新語・流行語大賞のトップテンにも入りました。大震災が人々に「絆」の大切さを再認識させ、復興に際しての日本全体の支援・協力の意識の高まりだけでなく、地域社会でのつながりを大切にしようとする動きや結婚に至るカップルの増加などの現象が見られた、とコメントされています。
 「絆」の字は「ほだす」とも読まれ、つなぎとめる、自由を束縛する、という意味があります。決して内向きになるのではありませんが、住み慣れた地域で人の情に絆(ほだ)されながら和(なご)やかに生活する。まさに大震災後の日本人が求めているものをこの二つの漢字に込めることができます。
 「和」と「絆」。「コミュニティ」を再生し、復興を成し遂げるためにも常に大切にしておきたい心持ちです。

●「感性(センス)」で切り開け!(12月1日号掲載分)

 平成23年は、我が国の歴史を画した年として、記録と記憶に残されることでしょう。
 3月11日、東日本全体を巨大地震が揺るがし、1000年に一度と言われる巨大津波が太平洋沿岸の多くの街を襲いました。この日を境にして、我が国の「戦後」が終わり「災後」が始まると記した識者がいました。ギリシャの財政危機に端を発したヨーロッパ諸国の信用不安は、極端なユーロ安をもたらし、円・ドルの為替相場も史上最高の円高水準を記録しました。さらに、先ごろ詳細が公表された平成22年の国勢調査では、初めて日本人の人口が前回調査と比べて減少し、高齢化率も世界で最も高くなりました。
 我が国は、時代の大きな転換期を迎えています。しかも、先の見通せない答えのない世界に突入しています。政治、経済、社会、文化の全ての分野において、これまでにない発想と実践による創造的革新(クリエイティブ・イノベーション)が必要です。
 5年ほど前にベストセラーとなった「ハイコンセプト」という本(※)に、新しい時代を切り開いていくためには「六つの感性(センス)」を磨いていくべき、という指摘があります。?機能だけでなく「デザイン」 ?議論よりは「物語」?個別よりも「全体の調和(シンフォニー)」?論理ではなく「共感」?真面目だけではなく「遊び心」?モノよりも「生きがい」、です。
 今年10月に亡くなったアップル社の創始者であり、カリスマ経営者と呼ばれたスティーブ・ジョブズ氏は、この「感性(センス)」を重要視し、一時代を築いた偉人でしょう。彼はデザインに徹底的にこだわり、自ら演出し五感に訴えるプレゼンテーションは、リサイタルのようで達人と称されました。有名になったスタンフォード大学の卒業式での演説では、「一番大事なことは、勇気を持って心と直感が命ずるところに従うことだ。」と説いています。
 困難な時代であることは間違いありません。だからこそ、自らの「感性(センス)」を磨き、それを十分に働かせ、人生を切り開いていくことが求められているのです。
(※)「ハイコンセプト」ダニエル・ピンク著、大前研一訳(三笠書房)

●「BONSAIの芸術祭―アジア太平洋盆栽水石高松大会」(11月1日号掲載分)

 高松は、盆栽の街です。市内の鬼無、国分寺両地区で生産される松の盆栽は、全国の8割のシェアを占めています。もともと瀬戸内海沿岸に自生する松が盆栽に適しており、江戸時代に、そのまま鉢植えに仕立てて販売したことが始まりと言われています。
 その高松で、世界有数の盆栽の国際展覧会である「第11回アジア太平洋盆栽水石高松大会(ASPAC)」が11月18日から4日間、サンポート高松、玉藻公園、栗林公園などを会場として開催されます。2年前の台湾大会には、アジア太平洋地域の国々はもとより、ヨーロッパなど42の国や地域から、1000人近くの人が訪れていた世界中の愛好家が注目している大会です。
 盆栽は、小さな鉢に植え込まれた樹木だけで壮大な景色を作りだす、中国で生まれ、日本で独自の発展を遂げた芸術性の高い園芸です。そこには、「わび・さび」にも通じる日本独自の「凝縮」の美学があります。「日本の庭園もまた大きい自然を象徴するものです。(中略)その凝縮を極めると、日本の盆栽となり、盆石となります。」とノーベル文学賞の受賞記念講演で川端康成氏が述べています。(※)
 盆栽は、今や海外でも人気が高く、「BONSAI」は世界共通語として通じるまでに普及しています。19世紀後半に、浮世絵や陶磁器などとともに盆栽がヨーロッパに紹介され、ジャポニズムでもてはやされたものが、今日的価値で見直されているとも言える現象です。かのエルメスのスカーフにも盆栽柄は採用されています。また、日本では中高年の趣味だとされてきた盆栽も、欧米では、若い愛好家が数多く見られます。
 ASPAC高松大会の準備も大詰めを迎えています。大震災や円高の影響で、何かと苦労が多いところですが、11回目にして初めて日本で開かれる大会です。地元高松の若手職人もデモンストレーターとして登場します。本家本元ならではの、奥が深く芸術性の高い盆栽の世界を見せていただき、国内外からの来場者を存分に楽しませていただきたいと思います。
 是非皆さんも、高松が世界に誇る「BONSAIの芸術祭」に足を運び、その美と魅力を堪能してください。
(※)「美しい日本の私」川端康成著(講談社現代新書)

●「寛学事始(かんがくことはじめ)」(菊池寛に学ぼう) (10月1日号掲載分)

 「蘭学事始(らんがくことはじめ)」は、「解体新書(かいたいしんしょ)」を著した杉田玄白が当時のいきさつを回顧した書として知られていますが、同名の短編小説が菊池寛にあります。オランダ語で書かれた医学の本「ターヘル・アナトミア」を手に入れた杉田玄白が、同じくこの本を持つ前野良沢との心の葛藤を持ちながら、腑分(ふわ)けに立ち会い、その記述の正確さに驚嘆し、苦労をして日本語に訳し、「解体新書」を完成させていく様子を描いた作品です。
 菊池寛は、ご承知のとおり、大正から昭和初期にかけて活躍した高松市出身の文壇の大御所です。数多くの優れた文学作品を著すとともに、文藝春秋社を起こした実業家であり、芥川賞、直木賞を創設した人としても知られています。
 そんな郷土の生んだ偉人である菊池寛の生い立ちや人となり、また、文学作品を、小中学生にも直接触れて学んでもらおうと、松平公益会のご支援を得て、今年度から「寛学(かんがく)」と銘打った本市独自の事業を実施します。小中学生が菊池寛の生き方に触れたり、作品を読んだりする活動を通して、先人を誇りとして感じるとともに、自己の生き方を考え、夢を育み、高い志を持つことができる。また、多様な表現を学び、自己の表現力を高めようとする意欲や意識を持つことができる、といった教育効果を期待しています。小学校の作品集には、菊池寛の児童文学作品の中から「オオカミと牡牛との戦」や「良い熊、悪い人間」、「本当のロビンソン」など感動が伝わる作品を、中学校では、冒頭記した「蘭学事始」をはじめ、代表作である「父帰る」や「恩讐の彼方に」などを選定しています。
 菊池寛は、若い頃から大変な読書家でした。自叙伝の中でも『私の中学校時代に、もっとも有がたい事は高松に図書館が出来たことである。』として、『私は一日として図書館に通はないことはなかった。蔵書は二万余冊だったが、その中で少しでも興味のあるものはみんな借りたと云ってもよかった』(※)と書いているほどです。
 そんな文学作品のみならず、人物としても大変魅力的な菊池寛をもっと学ぼうと、いわば「寛学事始」を行うのです。子どもたちの生きる力を高める一助になることを願っています。
(※)「半自叙伝」菊池寛著(岩波文庫)

●「瀬戸の夕陽夢プロジェクト」(9月1日号掲載分)

 まさに夢の共演と言ってよいでしょう。「瀬戸の夕陽」をモチーフとした、彫刻とジャズの巨匠二人のコラボレーション。それには、世界の中で今ここにしかないオンリーワンの輝きがあり、響きがありました。
 「瀬戸の夕陽夢プロジェクト」と名付けられたこの催しは、毎年夏に開催されているサンポート・ジャズ・フェスティバルの10周年を記念して企画され、去る8月7日の夕刻、披露されました。「SUNSET of SETO」をテーマに、庵治町にアトリエを構え、ニューヨークのワールドトレードセンターの「雲の砦」(同時多発テロにより消失)など、国内外に多くの作品を残してきた彫刻家流政之さんが新作を制作し、サンポートに設置。そして、50年以上前にアメリカに渡り、現在も日本が世界に誇るジャズアーティストとしてニューヨークを拠点に活躍されている穐吉敏子さんが新曲を作り、プロジェクトの実行委員長である関元直登さん率いるSWJOと一緒に世界初演を行いました。
 瀬戸内海に沈む夕陽の美しい情景を、彫刻とジャズという全く異なる芸術文化に凝縮し、形と音として残そうというアイデアは、フェスティバルの初代実行委員長だった故中澤正良さん(元NTTドコモ四国社長)が生前に構想されたものだそうです。天国の中澤さんを含めた関係者の熱い思いが通じたのか、当日は晴天微風の絶好の天気。主役である瀬戸の夕陽は、途中雲に隠れながらも間際では赤みを増した顔を少しのぞかせて、空と海を鮮やかに染めながら沈んでいきました。それに合わせて新曲「瀬戸の夕陽」が演奏されると、満員のテント広場は最高潮の盛り上がりを見せました。
 流政之さん88歳、穐吉敏子さん81歳。現役ばりばりでご活躍中のお二人は、かくしゃくとして、今なおしっかりと未来を見つめています。穐吉さんがヒロシマのために書いた曲「HOPE(希望)」が最後に演奏されました。その時、フェスティバルのもう一つの趣旨である、東日本大震災からの復興を願い、未来を生きる子ども達に夢と希望を与えるメッセージが、高松から世界に向けて力強く発信できたように感じました。

●「大屋島」の復活を願って (8月1日号掲載分)

 ここに「大屋島」と題された小冊子があります。屋島史蹟顕彰会が発行した古い屋島の観光案内本で、初版は昭和10年発行です。書き出しから、「大屋島!秀麗な屋島!霊山屋島!」と、屋島をこよなく愛していた、編集者森田惣吉氏の興奮がそのまま伝わってくるような冊子です。
 ある人が屋島を「日本のダイヤモンドヘッドだ」と評していました。あのハワイ・オアフ島のシンボルである山に擬したのです。確かに、ワイキキの浜を手前にして海に突き出たダイヤモンドヘッドの景観は、高松の海岸から見た、瀬戸内海に突き出た屋島のものと似ていなくもありません。冊子「大屋島」の中でも、「屋島は山容美で…富士山とも相並んで…天下の二大模式の秀峰である。」とあり、「屋島は風光に、史蹟に、天然記念物に、信仰に諸要素を備えて、海上公園の王座として、国宝的価値を有するに至ったのである。」とまで褒めそやしています。
 高度成長期には、修学旅行のメッカとして大勢の客でにぎわった屋島の観光も、瀬戸大橋開通時のにぎわいを最後に、長期低迷しています。平成18年の水族館のリニューアルにより、若干プラスに転じたこともありましたが、近年はピーク時の4分の1程度の年間60万人前後で推移しています。ただ、最近になって、長い間懸案となっていたホテルや旅館の廃屋が相次いで撤去され、好ましい状況も生まれつつあります。日本書紀に記された古代山城「屋嶋城跡(やしまのきあと)」の発掘調査も進んでいます。
 屋島は、ほぼ山全体が国立公園であり、史跡であり、天然記念物です。特に山頂においては、開発や現状変更が著しく制限されているため、利活用策のアイデアが出ても、実現に至らず、手詰まりになっていました。それを打開しようというのが、この度設置する「屋島会議」です。環境や文化財や芸術などの専門家と、市民、関係機関が一堂に会して屋島の将来ビジョンを明確にし、最適な保存・利活用を考えていこうというものです。
 来年の大河ドラマは、屋島にも縁の深い「平清盛」です。この機会に、「大屋島」の復活の手がかりが見つかることを大いに期待したいと思います。

平家ゆゑ名のあはれなるここちして
遍路と入りし屋島寺かな
                  与謝野晶子

●「小学校訪問 〜やさしい心と強い心を持とう〜」 (7月1日号掲載分)

 私が直接市内の小学校を訪問して、子どもたちが元気に遊んだり勉強したりしている姿を見て回る活動を、2年前から行っています。年10校程度ですが、市長自身が学校現場に足を運ぶことで、教育現場の実情を肌で感じ、今後の教育政策に生かそうというものです。
 この事業を始めるきっかけとなったのは、セント・ピーターズバーグ市を訪問した時に受けた「高松市では市長が学校に行って子どもたちと直接触れ合う機会を持っているか。」というリック・ベーカー市長からの問いかけでした。ベーカー市長は、3年間かけて市内すべての小学校を回ったとのことでした。その目的を尋ねたところ、「子どもたちが市長本人の話を直接聞き、触れ合うことによって、セント・ピーターズバーグ市に生まれ育ったことを誇りに思い、人生の岐路に立ったときに思い出し、帰郷するきっかけになるかもしれないから。」とのことでした。それは良い試みだと、帰国後早速実践に移すこととしたものです。
 小学校訪問では、まず校内放送で全校児童に挨拶をかねて話しかけています。具体的な例を引きながら「やさしさ」と「強さ」について話をし、「やさしい心」と「強い心」を持とうと語りかけています。併せて、毎日続けてほしいこととして、「挨拶をしよう」、「朝ご飯をちゃんと食べよう」、「本をよく読もう」という3つのことをお願いしています。その後、授業の様子をのぞいて回ったり、一緒になって英語の挨拶ゲームをしたり、体育館で「じゃんけん汽車ポッポ」に興じたりと、それぞれの小学校の活動内容に沿って体験します。子どもたちと一緒に活動することで、私自身がいっぱいエネルギーをもらっています。また、高学年の子どもと質疑応答などでやりとりをすると、子どもの素直な疑問や意見から、まちづくりについてのヒントをもらうこともあります。
 子どもたちにはこれからも、相手の気持ちを思いやり行動することができる「やさしい心」と、「やればできる。あきらめずに最後までやり抜こう。」という「強い心」をしっかりと持ち、生きる力を養いながら成長していってほしいと願っています。

●「コミュニティの再生」 (6月1日号掲載分)

 選挙の関係でお休みしていた「市長どっとコム」を今月から再開します。
 まず初めに、去る3月11日に発生した東日本大震災により、甚大な被害を受けた皆様に心からお見舞いを申しあげるとともに、被災地の一日も早い復興をお祈りします。
 報道等で見られたこの地域の方たちの純朴さや我慢強さ、それにお互いに助け合い、どうにか明日への希望を見出そうと懸命な努力をする姿は、世界に大きな感銘を与えました。同時に、極限に近い厳しい状況において、人と人とのつながり、地域の絆というものが少しでも残されていることがいかにありがたいものであるかを、強く印象づけられました。これからの本格化する被災地の復興も、このコミュニティの再生を抜きにしてはありえないと思っています。
 欲求段階説を提唱したマズローは晩年、最上位としていた「自己実現」の欲求のさらに上位に「自己超越」の欲求があり、人間はさらなる達成感を得るために他人を助けたいと思うようになると言っています。この未曾有(みぞう)の大震災に対して「がんばろうニッポン」の掛け声のもとに、大勢のボランティアが被災地に入り、国民が一丸となって復興へ向け協力しようとしている現在の状況は、「ニッポンというコミュニティ」の求心力が新しい形で戻ってきたと言えるのかもしれません。
 私は、今回の高松市長選挙に当たって「コミュニティの再生」という課題を、マニフェストの冒頭に掲げました。『現在の都市を覆っている危機は、都市における人間の絆としてのコミュニティの崩壊にある』(注1)と言い切る識者もいます。都市化が進み、人間関係が希薄となり、従来の「農村型コミュニティ」は崩壊しつつあります。これからの『日本社会における根本的な問題は、「個人と個人がつながる」ような「都市型コミュニティ」ないし関係性というものをいかに作っていけるか、という点に集約される』(注2)との指摘は的を射ています。市内に44ある地域コミュニティ協議会の活動を中心に、ソフト、ハードの両面で関連施策を積極的に展開し、真の「コミュニティを軸としたまちづくり」を推進してまいりたいと思います。

(注1)「ポスト工業化時代の都市ガバナンス―その政治経済学― 神野直彦」(35頁) <岩波講座・都市の再生を考える2>
(注2)「コミュニティを問いなおす 広井良典」(18頁) <ちくま新書> 

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